リガ(ラトビア)出身のディーナ・ヨッフェは、モスクワ音楽院において、今なお広く知られるゲンリヒ・ネイガウス流派の代表的な提唱者であるヴェラ・ゴルノスタエヴァに師事。
シューマンおよびショパン国際ピアノコンクールで最上位を獲得し、ズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ネヴィル・マリナー指揮のNHK交響楽団、ヴァレリー・ゲルギエフ、ドミトリー・キタエンコ指揮のモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、ジェームス・デプリースト指揮の東京都交響楽団、ギドン・クレーメル指揮のクレメラータ・バルティカ、ユーリ・バシュメット指揮のモスクワ・ソロイスツ、ヤツェク・カスプシク指揮のオーケストラ・シンフォニア・ヴァルソヴィアなどとのコンサート協演を通じて、ソロおよびオーケストラで輝かしいキャリアを収める。
ロンドンのバービカン・センター、東京のサントリー・ホール、ミラノのサラ・ヴェルディ、ウィーンの楽友協会およびコンツェルトハウス、モスクワ音楽院の大ホール、パリのサル・プレイエルなどの名だたるホールや、ハーグのオランダ王室宮殿で開催されたベアトリクス女王のためのコンサートで演奏を行う。
音楽祭にも精力的に参加し、G.クレーメル、Y.バシュメット、V.トレチャコフ、V.レーピン、M.ヴァイマン、M.ブルネロなど、数多くの世界的に有名な音楽家と共演。 国際ピアノコンクール審査委員:クリーブランド(アメリカ)、ショパン(ワルシャワ)、アルトゥール・ルービンシュタイン(テルアビブ)、リスト(ワイマール)、マリア・カナルス(バルセロナ)、浜松(日本)など多数。 ヨーロッパ、日本、アメリカでマスタークラスを開催。
1989-1996:テルアビブ大学(イスラエル)ルービン音楽アカデミー教授。
1995-2000:愛知県立芸術大学(日本)客員教授。
2012-2014:ハンブルク音楽大学客員教授。
2014-2015:クラクフ音楽アカデミー(ポーランド)客員教授。
2015-:バルセロナのリセウ音楽院特別教授。
北京の中央音楽学院(中国)客員教授。
ブレシア(イタリア)の「タレント・ミュージック・マスターズ」アカデミー教授。
マラガ(スペイン)の「ミュージック・サマー」フェスティバルおよびマスタークラスのアーティスティック・ディレクター。
日本ピアノ教育連盟名誉会員。
生徒は数々の国内・国際ピアノコンクールに入賞、その多くはアメリカ、ヨーロッパ、日本の音楽アカデミーで教鞭をとっている。
ラジオ、テレビ、商業用録音多数。
レコードのリリースは、ショパン、シューベルト、シューマン、プロコフィエフなどの作品のほか、ショパンの24の前奏曲(VD-VDC-1334)、幻想曲へ短調と19のワルツ(CD-VICC-63)、スクリャービン/ショパンの24の前奏曲Op.11と24の前奏曲Op.28スペシャルバージョン、シューマンの交響的練習曲Op.13とクライスレリアーナOp.16(AGPL-003)など。 CD集「リアル・ショパン」:NIFC 012 プレイエル・ピアノ(1848年パリ製)によるショパンプログラム、CD:シューマンのソナタ嬰ヘ短調とショパンの4つのスケルツォ(PAMP-1036/2009)。
NHK(日本)でのスクリャービン、ラフマニノフ作品のライブDVD。
室内楽はシューベルト(XCP-5026)、プロコフィエフ、シマノフスキ(AGPL-001)、ストラビンスキー、フランクなど。
イスラエル / ドイツ
リガで専門家となる基礎を最初に手ほどきしてくれた、ニナ・ビニャチャン先生とファイナ・ブラフコ先生には、心から感謝しています。その後、15歳でモスクワの中央音楽学校に入学し、そのままチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に進学しました。中央音楽学校から修士課程を修了するまで、私はずっとヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生に師事してきましたが、今日では、10年間同じ先生に師事することはめったにありません。多くの若者は、プロの土俵に引き上げてくれる人を求めて、世界中を駆け回っているからです。彼らは、先生ではなく、プロモーターを探しているのです。ゴルノスタエヴァ先生はモスクワ音楽院でしか教えていませんでしたから、いわゆる「ネイガウスのクラス」の、あの創造性に満ちた雰囲気の中で、すでに素晴らしい技量を持つピアニストや大きなコンクールの入賞者たち、さらには素晴らしい人柄の仲間たちに囲まれて、全てのレッスンを受けることができたのは、本当に恵まれたことだと思っています。
音楽院でのクラスは、いつも公開レッスンでした。偉大な先生方のレッスンを聞くために、他の町から20~30人以上の人が訪れていたのです。学生は、音楽院で教える全ての教授のレッスンを聴講することができました。「ドアは開いていた」のです。ほぼ丸一日、レッスンの前後を教室で過ごして、他の生徒の演奏を聞いたり先生の説明を聞いたりするうちに、勉強の仕方も身につきましたし、膨大なレパートリーの知識を蓄えることもできました。
夫のミヒャエル・ヴァイマンはダヴィッド・オイストラフの生徒でしたが、私もよくレッスンを聴講しに行き、時には室内楽を協演する機会にも恵まれました。ロストロポーヴィチやオボーリン、オイストラフなど、多くの偉大な先生方の下で学ぶことができて、みんな幸運だったと思います。
モスクワでは、きわめて高度な音楽教育が行われていました。ソルフェージュや和声、音楽史など、音楽家にとって欠かせない科目を、かなり早い段階から教えてもらいました。もちろん、形式のアナリーゼもやりましたし、ポリフォニーのレッスンは試験があって、学生は3時間でフーガを作曲しなければなりませんでした。声楽の生徒とのコレペティトールのクラスもありました。
練習の時に大切にしていたことは何ですか。
10年間の学生寮生活では、そしてその後も、寮では他の生徒と競って、練習用ピアノのある教室を確保しなければなりませんでした。ピアノの数が足りなかったのです。しかしそのお陰で、限られた時間の中でなるべく効率的に練習する方法を覚えました。そうした状況では、ただ長い時間練習するよりも、限られた時間で集中を高めたほうが効果的なのです。
ディーナ・ヨッフェ教授は、1974年のロベルト・シューマン国際コンクール、1975年にはワルシャワの権威あるショパン国際ピアノコンクールで最上位を獲得して国際的な称賛を受け、世界への扉を開きました。
1967年に、コンチェルティーノ・プラハ国際コンクールのプログラムを準備しなさいと先生に言われました。リガで録音してプラハにテープを送り、二位を獲得しました。そして、プラハの素晴らしい「ルドルフィヌム・ホール」で演奏する機会を与えられたのです。生まれて初めての、海外でのコンサートでした。自分が受けたコンクールの経験の記憶を振り返ると、まずはどのステージもミニリサイタルのように演奏しようと強く思っていました。そうすることで、コンクールで演奏していることを忘れることができたのです。
今日、参加者の多くは完璧を極めることばかりに集中しています。音楽的な側面はあまり意識せずに、完璧なテクニックに集中して個人の感情を押し殺すべきだと考えているかのようです。もしこうした演奏家の心を変えられなければ、個性のないデジタルなピアニストがまもなく舞台に立つことになるのではないかと、私は恐れています。私の記憶では、特にショパン・コンクールには、素晴らしい観客の前で「自分は芸術家だ」と感じさせてくれる空気に満ちていたのを覚えています。
コンクールの主催者は、多額の賞金を与えるのではなく、入賞者に多くのコンサートや録音の機会を与えて、コンクールの予算でこうしたコンサートの費用を賄ったら良いと思います。ソ連では、国際コンクールの準備は国内予選から始まります。十分な準備をした少数の人だけがこの予選を勝ち抜いて、国際コンクールに参加することができたのです。
どのようにして演奏と教育のバランスを取っていますか。
演奏家はいつも、先生でもあり、同時に生徒でもあるのです。自然とバランスが取れます。教えることで演奏に役立ちますし、逆に演奏から教える時のヒントを得ることもあるのです。しかし、生徒にも私自身にも、最良の教師はバッハやベートーヴェンであり、ショパンであると言い聞かせています。教師も生徒もみな、最も大切なのは作曲家の譜面であると悟る必要があります。そうすれば、演奏と教育という二つの活動が矛盾することはありません。審査員としては、いつも教師と参加者の両方を見ようと努めています。私の生徒については、卒業生だからといって特別扱いすることは一切ありません。
歴史的には、ショパン・コンクール(1927年)に始まる大規模な国際コンクールの開催を通じて、若者は世界の審査員やプロモーターの前で演奏して心をつかむチャンスを手に入れました。今日でも、準備やコンテストの場での演奏という意味で、コンクールは重要です。これにより、さまざまな様式の音楽を含む大きなプログラムを準備したり、室内楽のレパートリーを勉強したり、(ショパン・コンクール、浜松国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際音楽コンクール、チャイコフスキー国際コンクール、リーズ国際ピアノコンクールなどでは)大ホールでのオーケストラとの協演を準備したりするなど、多くの重要な資質を修得することができます。
コンクールを経ずに成功することは可能ですか。
今日では、インターネットやソーシャルメディア、動画等がありますから、コンクールで演奏をしなくても有名になることは可能でしょう。しかし、幸運や人脈が必要ですし、ふさわしい時にふさわしい場所にいなければなりません。マネジメントもつけて、多くの指揮者を知らなければならないのです。(共演者を決めるのは、コンサートの主催者やマネジメントではなく、普通は指揮者なのです!)浜松国際ピアノコンクールで初めて審査員を務めた時はどうでしたか。
素晴らしい体験でした。このコンクールの運営は、世界有数のレベルです。ピアノのコンディションは素晴らしく、聴衆にも恵まれており、コンクールの水準も高いですし、コンクール期間中の音声や動画のストリーミングも驚異的な品質です。各ラウンドのプログラムもよく考えられています。第一次予選と第二次予選では、大がかりなプログラムを構築する余地が十分にあります。モーツァルトの室内楽が入っているのも良い点です。若いピアニストも審査員も、そして聴衆も、このコンクールに参加して楽しむことができます。ついでに、私は日本が大好きなのです。現時点でのコンクールの準備方法について、私の時代の経験と比べるのは難しいですが、まず学習者は、ある時点で先生と話し合って、「どうしてコンクールに参加するのか」という目的を決めなければなりません。プログラムの選定はとても重要です。「コンクールで演奏する上で、何が目標なのか」を考えて、教育のある段階において自分の実力を見極めたい、ということであれば、全ステージにふさわしいプログラムを選ぶことが大切です。プログラムは、あなた自身を表現していなければなりません。
オーケストラとの協奏曲や室内楽はとても重要ですが、弱点にもなりがちです。若いピアニストは、コンクールの本選までオーケストラとの協演のチャンスがないことも多々あります。参加者をサポートして、コンクール前にオーケストラとのリハーサルの機会を与えてくれる団体があれば良いのですが。
私自身の体験でいうと、バイオリニストの夫、ミヒャエル・ヴァイマンとのデュオで、昔も今も多くの室内楽を演奏しています。バイオリンとピアノのために書かれた曲はおおむねレパートリーになっていて、ベートーヴェンのトリオ全曲や20世紀の音楽を録音しています。多くの音楽祭で、ユーリ・バシュメットやマリオ・ブルネロ、ギドン・クレーメルをはじめ、さまざまな興味深い音楽家とも協演してきました。
若い音楽家には、できるだけ早い時期から室内楽を演奏し始めることをお勧めします。若い人たちが室内楽の演奏にもっと時間を費やすようになれば、もちろんコンクールでの室内楽のステージももっとうまくいくでしょう。今日、最も有名な音楽祭は、室内楽のフェスティバルです。室内楽の体験を通じて、ソロのレパートリーを含む、音楽全般への理解が大いに深まるはずです。
コンクールでの演奏では、本来の自分を表現しましょう。コンクールで結果を出すことはとても重要ですが、それは、プロの音楽家としての第一歩に過ぎないのです。
DVD録画では、カメラのことは忘れて、大勢の聴衆の前で弾いているとイメージするようにしましょう。DVDの事前審査では、全参加者が同じ条件であると私は確信しています。