第10回浜松国際ピアノコンクールが、2018年11月8日から25日まで開催された。稀に見るハイレベルな接戦となった第1次予選から第3次予選までを振り返ってみよう。
多くの入賞者が国際的なピアニストとして活躍していることで知られ、回を重ねるごとに知名度を高めてきた浜松国際ピアノコンクール。第10回という節目を迎えた今回は、同コンクールをモデルとした恩田陸さんの小説『蜜蜂と遠雷』の人気の影響もあり、第1次予選から連日チケットは完売、テレビ局の取材が複数入るなど、これまでで最も大きな注目を集める中での開催となった。
今回のコンクールには37カ国1地域、13歳から30歳までの382名からの応募があり、DVDによる予備審査を通過した21カ国1地域の95名が参加を承認され、最終的に19カ国1地域の88名が第1次予選のステージに立った。
今回から新たに審査委員長に就任したのは、日本とロンドンを拠点に活躍するピアニスト、小川典子さん。「浜松から世界の檜舞台に直接ピアニストを送り込みたい」と意気込みを語り、BBC交響楽団のディレクター、ポール・ヒューズさん(イギリス)を審査員に招くなど、新たな方向性を打ち出した。副審査委員を務めたのは、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校の鍵盤楽器研究科長・高度演奏研究科長のロナン・オハラさん(イギリス)、東京藝術大学教授・同大学音楽学部長の迫昭嘉さん。そのほか、2003年の第5回浜松国際ピアノコンクールで最高位を受賞したアレクサンダー・コブリンさん(アメリカ/ロシア)、ヤン・イラーチェク・フォン・アルニンさん(ドイツ)、ムーン・イクチューさん(韓国)、エリソ・ヴィルサラーゼさん(ロシア)、ウタ・ヴェヤンドさん(ドイツ)、ウー・インさん(中国)、ディーナ・ヨッフェさん(イスラエル/ドイツ)という錚々たる顔ぶれの審査委員が、約3週間にわたって若者たちのみずみずしい演奏に耳を傾けた。
ピアノの鍵盤と同数の88名がそれぞれの個性を競い合った第1次予選は、いずれの演奏も実にハイレベルで、この中から24名を選ぶのは至難の技だと感じた。
第1次予選は、エチュード1曲を含む自由な選曲の20分間の演奏。与えられた20分間で、自身の魅力をどのようにアピールするか、いずれのコンペティターもバラエティに富んだ選曲で渾身のステージを楽しませてくれた。
コンクールでよく演奏される曲目ばかりでなく、ボルコム、リゲティ、ルトスワフスキなどの珍しいエチュード、ワーグナー/リスト《「タンホイザー」序曲》、ストラヴィンスキー/アゴスティ《組曲「火の鳥」》などの編曲作品、ラモー、スカルラッティなどのバロック作品をプログラムに入れるコンペティターもいて、ピアノ音楽の多彩さ、奥深さを実感する5日間となった。
小川典子審査委員長が、「審査は、ひとりひとりの審査委員が小さなマスに気持ちを込めて1票を投じる孤独な作業だった」と語った後、発表された第1次予選通過者は、アンドレイ・ゼーニン(ロシア)、田所マルセル(フランス)、務川慧悟、安並貴史、佐川一冴、牛田智大、アレクセイ・シチェフ(ロシア)、キム・ソンヒョン(韓国)、ザン・シャオルー(中国)、太田糸音、リー・イン(中国)、ドミトロー・チョニ(ウクライナ)、重兼稔宏、フィリップ・ショイヒャー(オーストリア)、イワン・ヤルチェフスキー(ロシア)、アンドレイ・イリューシキン(ロシア)、今田篤、タチアナ・ドロホワ(ロシア)、イ・ヒョク(韓国)、ポリーナ・サスコ(ウクライナ)、梅田智也、ブライアン・ルー(アメリカ)、ジャン・チャクムル(トルコ)、アリョーシャ・ユリニッチ(クロアチア)の24名。惜しくも予選通過を逃したコンペティターの演奏もいずれも秀逸で、浜松の会場の聴衆、インターネットで視聴した世界中の聴衆の心に深く残る名演が数多くあったことだろう。
第2次予選は、佐々木冬彦さんによるコンクール委嘱作品《SACRIFICE(犠牲)~ピアノのための(2017) ~》を加え、古典派、ロマン派、近・現代作品から異なる時代区分を選び、指定された作曲家の2作品以上を演奏することが課された40分間のソロリサイタル。幅広い時代の作品スタイルの理解が問われたラウンドとなった。
コンクール委嘱作品《SACRIFICE(犠牲)~》は、“キリストの十字架上の犠牲”をテーマにした暗く重い作品。前半はバッハ《マタイ受難曲》の導入合唱の旋律に短三和音が重ねられ、後半はイエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登っていく姿を描写した6つの変奏曲からなるパッサカリアとなっている。第2次予選のステージに立った24名のコンペティターは、それぞれの感性でこの作品に真摯に取り組み、24通りの解釈で深い精神性を感じさせる演奏が繰り広げられた。
第2次予選を通過したセミファイナリストは、アンドレイ・ゼーニン(ロシア)、務川慧悟、安並貴史、牛田智大、キム・ソンヒョン(韓国)、ザン・シャオルー(中国)、アンドレイ・イリューシキン(ロシア)、今田篤、イ・ヒョク(韓国)、梅田智也、ブライアン・ルー(アメリカ)、ジャン・チャクムル(トルコ)の12名。全員男性、日本人コンペティターが国籍別最多の5名残るなど、コンクール史上初の結果となり、各メディアで話題となった。
第3次予選の課題は、室内楽とソロリサイタル(演奏時間は合計70分以内)。モーツァルトのピアノ四重奏曲第1番、第2番のいずれかを弦楽器奏者と演奏し、さらに自由な選曲でソロ演奏を披露するハードなプログラムだ。コンクールも終盤になり、12名のセミファイナリストにとって精神的にも体力的にも限界に挑戦するラウンドだったことだろう。彼らと共演したのは、いずれも日本を代表する6名の弦楽器奏者。漆原啓子さん(ヴァイオリン)、鈴木泰弘さん(ヴィオラ)、向山佳絵子さん(チェロ)のAチームと、川久保賜紀さん(ヴァイオリン)、松実健太さん(ヴィオラ)、長谷川陽子さん(チェロ)のBチームが、交互に12名のセミファイナリストの演奏をサポートした。
第8回コンクールから導入されたモーツァルトのピアノ四重奏曲は、古典作品の機能和声を基礎とした音楽文法の理解、他奏者とのコミュニケーション能力が試される作品。12名のセミファイナリストは、それぞれのアプローチで弦楽器奏者たちと緻密にコミュニケーションを交わしながら、清々しい演奏を聴かせてくれた。
第3次予選を通過したのは、バッハ/ブゾーニ《シャコンヌ》を圧倒的なテクニックと構成感で聴かせ、ラヴェル《鏡》で音色の色彩感をアピールした務川慧悟さん、温かく繊細な表現でベートーヴェン《ピアノソナタ第31番》、ドホナーニの小品3曲を演奏した安並貴史さん、音楽と戯れるようなモーツァルト《ピアノ四重奏曲 第1番》を鮮やかに聴かせ、シューベルト《即興曲op90-3》の抒情あふれる演奏で会場を魅了した後、リスト《ロ短調ソナタ》のすべてのフレーズを明晰に描き出した牛田智大さん、シューベルト《楽興の時》プロコフィエフ《ピアノソナタ第7番》をコントラストに満ちた演奏で聴かせた今田篤さん、モーツァルト《ピアノ四重奏曲 第2番》の精妙な演奏、チャイコフスキー/プレトニョフ《くるみ割り人形》、アルカン《イソップの饗宴》《ピアノ独奏による交響曲 op39 No.4-7》の凄まじいテクニックと軽妙洒脱な表現が見事だったイ・ヒョクさん、ショパン《幻想ポロネーズ》、シューベルト最晩年の《ピアノソナタ第21番 D960》を情感豊かに歌い、モーツァルト《ピアノ四重奏曲第1番》では自由に装飾音を入れた即興的なアンサンブルを楽しませてくれたジャン・チャクムルさんの6名。ファイナリスト6名中4名が日本人、そして偶然にも6名それぞれ異なるコンチェルトを演奏するという興味深い本選が行われることとなった。
今回のコンクールの公式ピアノとなったのは、国内外のピアノメーカー3社のピアノ。ヤマハCFXは、第1次予選88名中39名、第2次予選24名中12名、第3次予選12名中7名に選択され、常に最も多くのコンペティターに支持された。
ヤマハCFXを選んだコンペティターたちからは、「タッチのコントロールが自在で、色彩感豊かな音色を生み出すことができた」「イマジネーションを刺激される響きに導かれ、思うままの表現ができた」「とにかく安心感があり、心配なく自分の演奏ができた」などの声が聞かれた。
Textby 森岡葉