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:チック・コリア 氏(Chick Corea) "5つ$quot;の質問

Profile

pianist チック・コリア

pianist
チック・コリア
1941年マサチューセッツ州チェルシーで生まれる。ジャズ・トランペッターの父親から影響を受けピアノを習い始める。1960年代にモンゴ・サンタマリア楽団、ハービー、マン、スタン・ゲッツのグループに参加。そして1968年にマイルス・デイビスの記念碑作品「イン・ア・サイレント・ウェイ」「ビッチェズ・ブリュー」に参加して話題を集める。1970年にアンソニー・ブラクストンとサークルを結成。そしてそして1972年、名グループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーを結成、驚異的セールスを記録。1970年後半にはハービー・ハンコック、ゲイリー・バートンとのアコースティックな音楽への追求を見せる。1980年代に入るとクラシック音楽、ニュー・ビバップ論の展開など幅広い活動を続ける。1985年にGRPレコードと契約し、チック自身の名グループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーを超えたと言わしめた最強グループ、 "チック・コリア・エレクトリック・バンド" を結成。さらに、メンバーにジョン・パティトゥッチ(b)、デイブ・ウェックル(ds)、とチック・コリア・エレクトリック・バンドを結成。2つのグループで活動を展開。そして1992年には念願の自己レーベル "ストレッチ・レコード" を設立。
「チック・コリア」オフィシャルサイト(ユニバーサルミュージック)
※上記は2009年4月13日に掲載した情報です。

Q1.自分で影響を受けたと思われるアーティストは?

 いろんな人から違った形で影響を受けたから、ひとりだけ挙げるということはできないな。すぐにひらめいただけでも、ジャズの世界ではマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、バド・パウエル、セロニアス・モンク、ホレス・シルヴァーなど、きりがないほどたくさんいるからね(笑)。作曲家ではまずバルトーク、それにストラヴィンスキー、ずっと後になってからはモーツァルトにも影響を受けたね。

Q2.ヤマハピアノに対するイメージと印象は?

 60年代半ば頃にヤマハピアノと出会った時には、作りもメンテナンスも丁寧なのが印象的だった。楽器としてはヨーロッパの老舗のものに一日の長を感じたけれど、1983年のCFIIIでそれらを凌駕して、今のものはさらに進化している。私は楽器のレスポンスには敏感で、ヤマハピアノのレスポンスの速さと、ダイナミック・レンジの広さが気に入っているんだ。最近は、ディスクラビア™にもハマりつつあるよ。

Q3.あなたにとって音楽(ピアノ)とは?

 ピアノは音楽を表現するための道具、つまり、自分の想像力や喜び、感情といったものを表現するための道具という意味では、他の楽器と変わりはないけれど、とても幅広いアイディアが表現できるという点に大きな特徴があると思う。シンプルなメロディーのアイディアからリズムのアイディア、オーケストレーションのアイディア、トーンのアイディアまで、あらゆる種類のアイディアが表現できるわけだからね。

Q4.印象に残っているホールやライヴハウスは?

 ライヴハウスで最初に思い浮かぶのはブルーノート東京だよ。世界で最も演奏しやすいし、日本のお客さんはいつも最高だし、ヤマハのノリさん(※)がいつもピアノを完璧にチューニングしてくれるしね(笑)。コンサートホールでは、響きがとても自然で2つの巨大なシャンデリアが印象的なウィーンのムジークフェライン(楽友協会)と、ガウディ風の建物が最高に美しいバルセロナのパラウ・デ・ラ・ムシカ・カタラナだね。

(※チック・コリアが古くから信頼を寄せる調律師、小沼則仁氏のこと)

Q5.ピアノを学ぶ(楽しむ)方へのメッセージ

 もしも本当にピアノを弾くことに興味があるなら、今すぐピアノを始める道義的責任がある(笑)。やりたいことをやらなければ、欲求不満になっちゃうからね。何かを追求したいという気持ちを持つのは良いことだし、自分で定めた目標を達成するというのは、人生において成功するということなんだ。その意味で、ピアノは多くの喜びをもたらしてくれるものだから、みんなどんどんヤマハのピアノを買おう!(笑)