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- pianist
エリック・ハイドシェック - 1936年フランス北部の古都ランスを代表するシャンパン王シャルル・エドシック家に生まれる。
名ピアニスト・名教師として名高いコルトーに才能を見出され、6歳より本格的な勉強をはじめ、8歳でエコール・ノルマルに入学。1952年パリ国立音楽院に進学し、54年に首席で卒業。
1955年パリ・シャンゼリゼ劇場でのリサイタルでピアニストとしての地位を確立。その後、ケンプやルービンシュタインに認められ世界的な名声を得る。コルトーには、その死の年(62年)まで指導を受け続け、その直伝の個性を優先する演奏法は、現在も彼の中で脈々と息づいている。個性喪失的傾向に傾いている時代風潮の中で極めて貴重な存在であり、各地に熱心な支持者を持っている。
これまでに100枚以上の録音を残しており、日本では特に愛媛県宇和島でのライヴ録音が大ベストセラーとなる。06年廃盤となっていな宇和島ライヴ録音が再発売され、再びベストセラーを記録。
08年、初来日より40周年を記念して行われたサントリーホールでのリサイタルは大盛況となった。
「Eric Heidsieck」Official Website(仏語)
※上記は2009年12月14日に掲載した情報です
Q1.自分で影響を受けたと思われるアーティストは?
師事したピアニスト、ピアノを聴いてもらったピアニストからはそれぞれ大きな影響を受けています。アルトゥール・ルービンシュタイン、アルフレッド・コルトー、ヴィルヘルム・ケンプ、ゲザ・アンダからは音楽のすばらしさ、ピアノを弾くことの楽しさを教えてもらいました。加えて、これまで出会った音楽以外の分野のアーティストからもさまざまなことを得ています。
私はピアニストにならなかったら、きっと役者か建築家か詩人か、いずれにしても何かを創造する職業に就いていたと思います。何かを作り出す、空間を構築する仕事が好きなのです。
Q2.ヤマハピアノに対するイメージと印象は?
私はいつもヤマハのピアノを弾くと、黒鍵の幅が他のメーカーよりも太く長く感じるのです。それが私の手にしっくりとなじむ。微妙な感覚なのですが、どうも大きさが違うように感じてならないんです。
私の指はとても太くて短い。恩師のコルトーはとても長い指をしていた。いつもうらやましくてたまらなかったものです。そんな私の指に、ヤマハのピアノはとても合う。弾きやすいと感じるのです。
Q3.あなたにとって音楽(ピアノ)とは?
私にとってピアノを弾くことは、「生きる」ことを意味します。自分の人生をピアノで表現しているのです。昔から自分の考えを何かの言葉で表すよりも、ピアノを弾いて表現するほうが的確に、かつ自然にいくと思っています。ルービンシュタインにピアノを聴いてもらったとき、「私のピアノをどう思われますか」と質問したら、「きみはきみの手と指で自分自身のおしゃべりをしている。それでいいんだよ」といわれました。感動しましたね。
Q4.印象に残っているホールやライブハウスは?
もう長年世界各地のホールで演奏していますから、どこということはできないですねえ。でも、日本のホールはいずれもすばらしいと思いますよ。音響もいいし、もちろん聴衆の質も高い。集中して聴いてくれるため、自分の持てるすべてを出すことができます。
ただひとつ、要望をいわせてもらえるなら、楽屋をなんとかしてほしい。私は小さな空間に閉じ込められて、しかも窓もないというところにいると、息苦しくなってしまうのです。エアコンがものすごく効いていると、体調が悪くなってしまい、逃げ出したくなってしまう。これからいい演奏をしたいと思っているときに、自分を律するのが大変です。小さな窓でいいんです。外の空気を吸うことができる楽屋を希望したいですね。
Q5.ピアノを学ぶ(楽しむ)方へのメツセージ
ピアノを趣味で弾いている人、若いピアニスト、学生、プロを目指している人、ピアノを教えている人などすべての人に共通していえることだと思いますが、「練習しなくては」と考えて鍵盤に向かうことほど無意味なことはありません。これでは、音楽は楽しむことができませんから。「弾きたい!」という強い気持ちを持つことが何より大切なのです。
私は子どものころから鍵盤を見ると、蜂が甘い蜜に吸い寄せられるように、弾きたくてたまらなくなりました。その気持ちはいまでも変わりません。ピアノを弾くことが好きで好きでたまらないのです。そういう気持ちを持って弾くと、心から楽しめます。どうぞ音楽を、ピアノを楽しむことができるよう、自分の気持ちをそこに向けてください。