この記事は2023年12月7日に掲載しております。
イギリス出身の若きピアニスト、ジョージ・ハリオノは国内外のコンクールで上位入賞に輝き、そのみずみずしく前向きな演奏が高い評価を得ている。彼が2023年11月11日にヤマハホールでリサイタルを行ったが、その前日にインタビューに応じ、幼いころから現在にいたるまでのピアノとのかかわり、音楽家としての想いなどを雄弁に語った。
- pianist
ジョージ・ハリオノ - 9歳でのソロ・リサイタルデビュー以降、イギリスを始め、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界各国にて公演を行い、ウィグモアホール、ベルリン・フィルハーモニー、ロイヤル・アルバート・ホール、シカゴ・シンフォニーホールなどの著名なホールに登場。
2013年にはロンドンのサウスバンク・センターにてベートーヴェン「ピアノ・ソナタ 第1番 Op.2-1」のレコーディングを行い、2016年にはモスクワ音楽院大ホールで行ったチャイコフスキー「ピアノ協奏曲 第1番」の演奏はロシア国営テレビおよびMedici TVの配信で生中継された。12歳でオーケストラと初協演し、モスクワ国立交響楽団、マリインスキー歌劇場管弦楽団、タタルスタン国立交響楽団、シカゴ・ニューミレニアム管弦楽団、フランクフルト歌劇場管弦楽団、チュメニ・フィルハーモニー管弦楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団などと協演するほか、高名なピアニストであるデニス・マツーエフとの共演や、ヴァレリー・ゲルギエフ、アレクサンドル・スラドコフスキー、エフゲニー・スヴェトラーノフ、アイナルス・ルビキス、アントン・ルブチェンコ、高関健、セバスティアン・ヴァイグレといった多数の指揮者と共演。
グランド・ピアノ・コンペティション(モスクワ)、仙台国際音楽コンクール、ロイヤル・オーバーシーズ・リーグ音楽コンクール(ロンドン)、ジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクール(アメリカ・ユタ州)、ラニー=シュル=マルヌ国際コンクール(パリ)、ディヌ・リパッティ音楽コンクール(ブカレスト)といった世界中のコンクールで数々の受賞歴を持つ。
最近ではモスクワのザリャジエ・コンサートホールにてベートーヴェン「ピアノ協奏曲 第5番『皇帝』」を、フランクフルトの旧オペラ座にてリスト「ピアノ協奏曲 第1番」を演奏。またポーランドにおいて最も歴史のある重要な音楽祭、ドゥシニキ国際ショパン音楽祭に招聘され演奏を披露。
最年少の15歳でフルスカラシップ奨学生として英国王立音楽院に入学し、学士号を取得。
英国王立音楽院にてパスカル・ネミロフスキ教授に師事するほか、ドミトリー・バシキーロフ、ウラディーミル・アシュケナージ、ウラディーミル・オフチニコフ、サイモン・レッパーといった名指導者のマスタークラスを受講。また、彼にアーティストとしての才能を見出している指揮者のアレクサンドル・スラドコフスキーとも度々共演している。ロシアの名ピアニスト、デニス・マツーエフは「ジョージ・ハリオノは大変才能に恵まれている。これから驚くべきキャリアを積むだろう」と彼を評している。
2018年にはロンドンのクラシック・ブリット・アワーズで、期待の新人アーティストを対象とした「サウンド・オブ・クラシカル・ポール」にノミネートされた。2022年にはザリャジエ・コンサートホールにて行ったアレクサンドル・ルディン指揮のベートーヴェン「ピアノ協奏曲 第5番『皇帝』」の演奏に対して、440Hzアワーズの「ベスト・ゲスト・アーティスト賞」を受賞。
オフィシャルサイト
※上記は2023年12月7日に掲載した情報です。
偉大なアーティストのサポート
その成長は著しく、10代前半からは国外で演奏したり、録音も行うようになっていく。
「そのころからいろんなチャンスに巡り合うことができるようになりました。モスクワではデニス・マツーエフが僕の演奏をとても気に入ってくれ、さまざまなサポートをしてくれるようになりました。ロシアのカザンで演奏したときは、指揮者のアレクサンドル・スラドコフスキーがコンチェルトの指揮を担当してくれたのですが、彼からも多くのことを学びました。実は、このときのリハーサルは苦い思い出があります。というのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だったのですが、僕はまだコンチェルトの経験が少なく、オーケストラとまったくかみ合わなかったのです。そのときにスラドコフスキーに“私はいかようにもきみに合わせられるが、このまま続けるか、あるいはしっかり話し合いをしてから再度リハーサルをするか、どっちがいいかい“と聞かれたのです。僕はすぐに話し合う方を選択しました。その後はリハーサルも、もちろん本番もうまくいき、マエストロには大いに感謝することになりました。もしも、もう一度チャンスがあったら、また共演したいです」
ジョージ・ハリオノはとても素直な性格である。この逸話のように、人の意見にしっかり耳を傾け、先輩格の音楽家から多くのことを学んでいる。ラン・ランもそのひとりだ。
「ラン・ランは超多忙な音楽家ですが、若手ピアニストを発掘し、育成し、将来に向けて夢をかなえることの手助けをすることに情熱を傾けています。初めて声をかけてもらったのは9歳のときで、ロイヤルフェスティヴァルホールで、ピアノ50台を100人の若いピアニストがワーグナーの《ワルキューレの騎行》などを演奏するというイヴェントに参加したときです。その後、14歳以下のピアニストが参加するミュージックキャンプにも呼んでもらいました。いつもいろんな演奏の場を提供してくれ、僕のピアノの成長を見守ってくれます。マツーエフもラン・ランも、あんなに忙しい人なのに若手をサポートすることを自身の使命のように感じている。僕もその姿勢を見習いたいと思っています」
※上記は2023年12月7日に掲載した情報です。