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ジャン=マルク・ルイサダ 氏(Jean-Marc Luisada) ピアノは愛です。音楽もまた愛です。それ以外の何物でもありません。愛のない人生なんて考えられない。 この記事は2009年7月16日に掲載しております。

彼ほど粋なピアニストはいないかも…というくらい小さな動作すみずみまで音楽的なジャン=マルク・ルイサダ氏。心から愛していると言われるピアノとの関係、最新録音のショパン・マズルカ集のエピソードまでエスプリに満ちた優雅な対話の時間をお届けします。

Profile

pianist ジャン=マルク・ルイサダ

pianist
ジャン=マルク・ルイサダ
6歳でピアノを始めたルイサダにとって、彼の音楽の才能を決定づけたのは、2人の教師である。それは、マルセル・シャンピとドゥニーズ・リヴィエールだ。まず、パリで彼らのもとで勉強を始めた。16歳でパリ国立高等音楽院に入学。その両方の課程でプルミエ・プリをとり、1978年には大学院に進学。1983年ミラノで開催されたディノ・チアーニ国際ピアノ・コンクールで第2位入賞。1985年にはワルシャワでのショパン国際ピアノ・コンクールに第5位に入賞、併せて国際批評家賞を受賞。ワルシャワでの成功が彼を国際的キャリアに導き、世界中で演奏会を行うことになった。また、ドイツ・グラモフォンと契約を結んで、ショパン《ワルツ集》、《マズルカ集》、この2枚のディスクは、レコード芸術誌で吉田秀和「今月の1枚」に選ばれる。グラナドス《ゴイェスカス》、また、マイケル・ティルソン・トーマス指揮、ロンドン交響楽団とのグリークとシューマンのピアノ協奏曲を録音した。ルイサダは映画が大好きで、フランスを代表する大女優ジャンヌ・モローと共演したプーランクの《象ババールのお話》の録音(ドイツ・グラモフォン)が彼のお気に入りの企画のひとつとなった。それ以降も、2つのお芝居に絡んだ。そのひとつは、高名な女優マーシャ・メリルと共演した、サンドの手紙の朗読とピアノ演奏を交えた舞台「聖なる炎~ジュルジュ・サンドとショパン」(邦題「ショパンとサンド~愛と哀しみの旋律」)である。ルイサダは、1998年にRCA Red Seal/BMGフランスと独占契約を結んだ。同レーベルからは、ビゼーとフォーレ(これは年間ディスク大賞を受賞した)、ショパン、ドヴォルザーク、シューマン、モーツァルト、ハイドン、リスト、スクリャービン、ベートーヴェン等のアルバムがリリースされている。2008年9月24日には、ショパン:舟歌&幻想ポロネーズ~ショパン名演集がリリースされ、レコード芸術誌で吉田秀和「之を楽しむものに如かず」に選ばれ、特選盤となる。2009年ショパンのマズルカ集とシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」とブラームスのピアノ五重奏曲Op.34が来日記念盤としてリリースされる予定である。2006年には、4ヶ月にわたるNHKピアノ・スーパーレッスン、ショパン編(NHK教育テレビ)に講師として出演。大好評により、DVDがBMGJAPAN、書籍がNHKから発売。また、2007年にも同じく4ヶ月にわたってNHK教育テレビで再放送された。1989年6月に「芸術文化シュヴァイエ勲章」を、1999年11月には、「国家功労5等勲章」をフランス政府より授与される。2003年7月14日には、「芸術文化オフィシエ勲章」を授与された。ルイサダは、現在、パリで黒のラブラドール犬ボギー(この名前は勿論ハンフリー・ボガートにちなんでいる)とパリで暮らしている。
「ジャン=マルク・ルイサダ」オフィシャルサイト(ソニーミュージック)
※上記は2009年7月16日に掲載した情報です

ピアノは愛です。音楽もまた愛です。それ以外の何物でもありません。愛のない人生なんて考えられない。

1985年のショパン国際ピアノ・コンクールで第5位入賞を果たし、以後世界各地でソロ、室内楽、オーケストラとの共演と幅広い活動を展開しているフランスのピアニスト、ジャン=マルク・ルイサダは、音楽家のみならず俳優、映画監督、詩人、小説家、画家などジャンルを超えた多くの人々との交流をもつマルチな感覚のアーティスト。
いまではカーリーヘアに小粋なメガネとお洒落な服装がトレードマークだが、実は1980年に初めてショパン・コンクールに挑戦したときは、髪を七三に分けて黒ぶちのメガネをかけ、地味なスーツを着たまじめそのものの風貌だった。

「ああ、そのときの話はしないで。もう忘れたい、おぞましい記憶なんだから(笑)。あのころはまったく没個性の、人々の印象に残らない人間だったんですよ。演奏もしかり。コンクールではまったく認められなかった。そこで5年間かけて、私は自分を改造したというわけ。外見から変えてゆき、徐々に中身を変化させ、そして猛練習をして演奏家として認められるように自分を仕向けていったのです。そしてショパン・コンクールに再挑戦しました。外見はともかく、自分の演奏でもう一度勝負したかったからです」

 その努力が実って見事入賞に輝き、直後から仕事が次々に押し寄せる人気、実力ともに備わったピアニストに変貌した。

「もうコンクールに参加しなくていいわけですから、とても精神状態がよくなりました。演奏することが喜びとなり、楽しみになりました。自分の名がフランスのみならず他国においても知られるようになったことはとても重要です。欧米各地や日本でも演奏することができるようになりましたし、国際フェスティヴァルにも招かれるようになりました。当時からみると住むところもかなり変わり、いまはクリエイティヴな仕事に携わっている人々が好んで暮らす、パリのマレ地区にあるルイ13世の時代に完成したヴォージュ広場のアパルトマンに住んでいます」

 実は、同じ建物にマウリツィオ・ポリーニが部屋をもっていて、彼はよく6月になると集中的にここで練習するのだという。3年ほど前にはこんなことがあった。

「当時、私はベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏するので必死にさらっていたのです。パリの古い建物はエアコンがないため、蒸し風呂のような状態。そこで窓を開けて練習していました。するとポリーニがリストのピアノ・ソナタを練習し始めた。彼も窓は全開。その演奏がすばらしいため、私は練習をやめて30分ほど聴いていました。一旦演奏が止んだので、今度は私がベートーヴェンを始めた。すると、ポリーニが耳を傾けている様子。そんなことが午後2時から8時まで続いた。その後、階下でポリーニの息子のダニエレ(彼もピアニストですが)に会ったので、お父さんが私のコンチェルトのオーケストラ・パートを弾いてくれると期待していたんだけどなあというと大笑いしていました。このようにパリはいろんな人との交流ができる町です」

 ルイサダは1958年チュニジア生まれ。とても音楽好きな子どもで、話し始めるのはすごく遅かったため両親は心配したが、3歳のころにはベートーヴェンの曲を口ずさんでいるような子だった。2歳でフランスに移り、6歳でピアノを始めた。

「最初の先生は年配の女性で、とても親切に見てもらいました。その後、11歳のときにマルセル・シャンピと彼の助手であるドゥニーズ・リヴィエールに変わり、南フランスからパリまで毎休日レッスンに通いました。遠いところから通ってくるので一日中見てくださり、クリスマスには朝の9時から夜の9時まで練習に明け暮れたことを覚えています」

 その後ロンドンのユーディ・メニューイン学校に進み、メニューインをはじめナディア・ブーランジェ、ヴラド・ペルルミュテール、チェロのモーリス・ジャンドロンら偉大な音楽家から多くを得、英語も学んだ。

「この学校は大きなサークルのような感じで、何年間も30人だけで集まって生活をしていたので外部で何が起きているかまるでわかりませんでした。でも、ひんぱんにコンサートを行ったため聴衆に慣れ、アガルことがなくなりました。その後、パリ音楽院で3年間ドミニック・メルレに師事して音について、その重さについて、音響効果について学び、ニキタ・マガロフ、ジェルジュ・シャーンドル、パウル・バドゥラ=スコダといった偉大な演奏家からも多くを学びました。彼らから学んだことがいまの私を形成しているのです。みなさんすばらしい人格の持ち主でした」

 その教えがさまざまな演奏会、録音で実を結んでいる。最新録音はショパンのマズルカ集(全41曲)。昨年10月、軽井沢の大賀ホールヤマハのCFIIISを使って行われた。

「今回の録音はヤマハのピアノ、チューナー、ホール、録音スタッフなどすべてが最高のレヴェルでした。フランスやイタリアではこうはいきません。何かが最高でも、何かがトラブルを起こすということが往々にしてあるからです。日本では全員が最善を尽くして仕事をしてくれるため、私も演奏だけに集中できる。納得のいく演奏ができました。特にチューナーとは心を通わせることができました。仕事熱心で、私の音楽をよく理解してくれるからです。ただし、マズルカはとても難しい作品です。各々の曲がとても短く、約3分のなかですべてを表現しなくてはなりません。日本の俳句のように、ごく短いなかでストーリーを作り上げなくてはならない。ショパンが描きたかったメランコリーな感覚と力強さ、農民たちの素朴な舞踊など、ポーランドのルーツに根ざした音楽を表現しなければならないのです。短いなかにも構成力がしっかりとしていて内容が濃い。ようやく私もこの年代になって弾くことができるようになりました。最近始めた《舟歌》もそうですが、人間として成熟しないと弾けない作品は多い。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番《悲愴》もそうですが、子どもでは弾けないと思います。もちろんただ弾くことはできますよ。モーツァルトのピアノ・ソナタも子どもが簡単に弾きます。でも、こうした作品は人生を経験した大人だからこそ作品の深いところにある作曲家の真意が理解できるのだと思います」

ルイサダは、ストレートに物を語る実直な性格である。雄弁な語り口の端々にユーモアとウイットを混ぜ、詩を朗読するように一定のリズムをもたせながら話を進める。それは彼の演奏を連想させる。アルフレッド・コルトーの流れを汲むフランスのロマンあふれるピアニズム。流麗でエレガントで馥郁たる香りをただよわせる演奏。マズルカでもこの美質は存分に生かされている。そしてコルトーの話になると、より舌がなめらかになる。

「コルトーのショパンはすばらしいですよね。彼はテクニック、表現力、音楽性ともにすばらしかった。ゴージャスのひとこと。若いピアニストはもっとコルトーの古い録音に耳を傾けるべきです。録音は古くても、真の音楽がそこには存在するからです。私にとって、コルトーはピアノの神様です。一度だけパーティで演奏を聴く機会に恵まれました。これは私の人生のなかで最高の瞬間でした。ああ、思い出すだけでからだが震えます(笑)。こんなにも人の心を揺さぶるピアノが演奏できるなんて、すごいことですよね」

 ルイサダはマスタークラスなども活発に行っているが、生徒が古い時代の偉大なピアニストの演奏を知らないことに驚くという。

「私は古い無声映画や文学なども大好きなんですが、昔の文化に触れることによって自分を構築していくことができると考えています。私が室内楽を多く行うのも、幅広いレパートリーを知り、他の楽器とのアンサンブルを通して自分の音を注意深く聴くようになるからです。ピアニストは孤独です。自分のなかだけに閉じこもっていては、世界が開かれません。さまざまな人と交流し、さまざまな音を聴き、自分を豊かにしていくことが必要ではないでしょうか。そうすることによって、演奏に深みが増し、肉厚な響きが生まれるのだと思います。ピアノはさまざまな楽器と合わせることができる最大のメリットをもっています。声楽や朗読とも一緒にできる。どうぞもっとアンサンブルを楽しんでください。私がそれにハマっているのが理解できると思いますよ。ピアノってこんなに楽しいんだってね。ピアノから離れられなくなりますよ」
こういってルイサダはいたずらっ子のような目をしてウインクをした。

Textby Text by 伊熊よし子

ジャン=マルク・ルイサダへ “5”つの質問

※上記は2009年7月16日に掲載した情報です