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児玉 桃さん 長年弾いている作品でも、今この瞬間に生まれたような新鮮な魅力と感動を伝えたい。 2026年1月

パリを拠点に国際的に活躍しているピアニスト、児玉桃さん。そのレパートリーはバッハから現代音楽まで幅広く、豊かな表現力で多くの聴衆を魅了し続けている。近年は指導やコンクールの審査でも忙しく、2027年の浜松国際ピアノコンクールの審査委員長に就任することが決まっている児玉さんに、これまでの歩み、今後の抱負などをうかがった。

Profile

ピアニスト 児玉桃
© Lyodoh Kaneko

ピアニスト
児玉桃
幅広いレパートリーと豊かな表現力で国際的に活躍を続けるピアニスト。J.S.バッハからメシアンを含む現代作品まで、その演奏は高い評価を得ている。幼少期をヨーロッパで過ごし、ドイツの学校で教育を受けた後、パリ国立高等音楽院にてマレイ・ペライア、アンドラーシュ・シフ、タチアナ・ニコラエワといった巨匠に師事。1991年にはミュンヘン国際コンクールにおいて、最年少で最高位に輝き、その才能を世界に知らしめた。
以来、ヨーロッパ、北米、アジアの主要な音楽祭やコンサートホールで演奏活動を展開。ケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、小澤征爾指揮ボストン交響楽団、モントリオール交響楽団、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団など、世界一流のオーケストラと多数共演している。また、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団のアジアツアー、オーギュスタン・デュメイ指揮関西フィルハーモニー管弦楽団のヨーロッパツアーではソリストを務めた。
現代音楽にも積極的に取り組み、特に作曲家・細川俊夫からの信頼は厚く、数多くの作品を手掛けている。ルツェルン音楽祭、ウィグモアホール、東京オペラシティ文化財団の共同委嘱による「練習曲集」をルツェルン音楽祭にて世界初演、東京オペラシティにて日本初演。ピアノ協奏曲「月夜の蓮 —モーツァルトへのオマージュ—」は、ハンブルクにて北ドイツ放送交響楽団と世界初演、日本初演は小澤征爾指揮&水戸室内管弦楽団により行われ、CD化もされ大きな話題を呼んだ。
ヨルグ・ヴィットマン、ロドルフ・ブルノー=ブルミエをはじめ、多くの現代作曲家が児玉桃に作品を献呈し、初演を行っている。
CDはオクタヴィア・レコードより「ドビュッシー:impressions」、「ショパン・ピアノ作品集」、「メシアン:幼子イエスに注ぐ20のまなざし」、「メシアン:鳥のカタログ」全集がリリースされ、ヨーロッパでも高い評価を得ている。ECMからは「鐘の谷~ラヴェル、武満、メシアン:ピアノ作品集」がリリースされ、ニューヨーク・タイムズ、サンフランシスコ・クロニクル、ル・モンド・ド・ラ・ムジーク、仏クラシカ・マガジン、テレラマ等で絶賛を博した。2017年にはECM第2弾「点と線・ドビュッシー&細川俊夫:練習曲集」をリリース。さらに、ペンタトーンより、姉の児玉麻里との連弾によるチャイコフスキー三大バレエ抜粋をリリース。2021年3月にはECM第3弾「細川俊夫:月夜の蓮-モーツァルトへのオマージュ-、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番」がリリースされている。
後進の指導にも力を注いでおり、現在はドイツのカールスルーエ音楽大学で教授を務める。また、エリザベート王妃国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクール、ジュネーヴ国際音楽コンクール、ロン=ティボー国際コンクール、浜松国際ピアノコンクールなど、数々の世界的コンクールで審査員を務めている。
2009年中島健蔵音楽賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。令和4年度には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
現在はパリに在住。
株式会社 ヒラサ・オフィス
2026年1月

素晴らしい教師たちとの出会い

幼少の頃からヨーロッパで育ち、豊かな才能をのびやかに開花させ、洗練された国際感覚を持つピアニストへと成長した。

「父の仕事の関係で1歳から7年ほどドイツのデュッセルドルフで暮らしました。ピアノは、3歳くらいからシューマン音楽院で音楽教育を学ぶ学生の方に手ほどきを受けました。私は彼女の最初の生徒で、今思うと実験的なレッスンをしてくださり、スタッカートはカエルが跳ねるようにとか、ここは鍵盤の上を人が歩いているようになど、インスピレーションを音に結びつけてピアノと親しむことができました。リトミックのような体操をしたり、クリスマスには『くるみ割り人形』と『ピーターと狼』のレコードをくださって、私はそれを繰り返し聴いてさまざまな場面を想像し、音楽が大好きになりました。幸せなピアノと音楽との出会いだったと思います。

その後、スイスのドイツ語圏のツークに移り、少しピアノから離れていた時期があります。バレエも習っていたので、学校の勉強とバレエと、豊かな自然の中でスキーやスケートをしたり、屋外でよく遊んでいました。10歳のとき、5歳上の姉がパリ国立高等音楽院に入学したので、姉に付き添う母と一緒に私もパリに行きました。当初は1年くらいの予定で、母は私を連れて日本に帰るつもりだったのですが、姉が師事しているジャルメーヌ・ムニエ先生が私も教えてくださることになり、そのまま40年以上パリで暮らすことになりました。ムニエ先生は小さな生徒は教えなかったのですが、特別に毎週レッスンをしてくださり、音階やアルペジオなど、基礎的なテクニックからしっかり学び、13歳でパリ国立高等音楽院に入学することができました。それと並行して、中学・高校の課程はパリのドイツ人学校で学びましたが、午後2時に授業が終わるので、ピアノを練習する時間があったのは幸いでした」

 

名ピアニスト、名教師のジャルメーヌ・ムニエのレッスンは厳しくも温かく、多くのことを学んだと語る。

「卒業してからも、ときどき先生のお宅を訪ねたのですが、エレベーターで上階に上がるときの緊張感はなかなか抜けませんでした。時間きっかりにベルを鳴らさなければならず、ドアの前で待っていると、ドアの向こうで先生の愛犬のブルドッグが吠えていたり……、懐かしい思い出です。ムニエ先生は深い知識と教養を持った素晴らしい教育者で、聖書の『タラントのたとえ話』をしてくださって、ひとりひとり持っている才能をどう増やして伸ばすかが大切だとおっしゃったことなどが印象に残っています。壁にぶつかったときなどに、そういう先生の言葉をよく思い出します。楽譜に赤や緑の鉛筆で書き込まれた注意を見ると、よく1時間のレッスンでこんなに多くのことを教えてくださったと、自分自身が教える立場になってつくづく思います」

 

16歳でパリ国立高等音楽院を卒業し、19歳でミュンヘン国際音楽コンクール最高位に輝き、ピアニストとしてデビューした。

「少し早過ぎたと思います。そこから自分でいろいろ探していかなければならなくて、大変だった面はありました。タチアナ・ニコラーエワ先生が、「コンクールの後が大切。25歳くらいまでは、演奏会をセーブしてレパートリーを増やしなさい。自分に合わないと思うものも勉強しなさい」とおっしゃって、ヨーロッパに演奏旅行でいらっしゃる度にレッスンをしてくださいました」

Textby 森岡葉

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2026年1月