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中村 由利子 さん(Nakamura Yuriko) ピアノ1本で、どれだけ表現できるか。その可能性を追求していきたいと思っています。 この記事は2011年8月23日に掲載しております。

デビューアルバム『風の鏡』がベストセラーを記録して以来、作曲家&ピアニストとして多彩な活動を展開。心の琴線をやさしくふるわせる美しい音楽を次々と世に送り出し、多くの人々を魅了し続けている中村さんに、音楽との出会いから旬な話題まで、たっぷりと語っていただきました。

Profile

pianist 中村 由利子

pianist
中村 由利子
中村由利子 YURIKO NAKAMURA (作曲家/ピアニスト) 横浜生まれ。フェリス女学院短期大学音楽科ピアノ科卒。1987 年デビュー。
幼い頃から、雨音や絵本などにインスピレーションを受けて自ら作曲を始める。 13 才の時に、横浜市主催の作曲コンクールに入賞。 デビューアルバム「風の鏡」は、ベストセラーを記録し、ニューエイジミュー ジックの代表的なメロディーメーカーとして、幅広い層に支持される。 自己のアルバムとユニット&サントラも含め、30 枚以上のアルバムをリリース する他、「10 人のピアニスト」など数々のコンピレーションにも取り上げられる。映像とのコラボレーションでも大きな評価を得ており、映画「1999 年の夏休み」 (1988 年公開)や、三鷹の森ジブリ美術館で上映された、宮崎駿監督によるオ リジナル短編アニメーション「星をかった日」(2006 年~)の音楽を担当。 2011 年秋公開予定の、金子修介監督の映画「メサイア」の音楽も担当する。 一方、写真家・秋山庄太郎氏、前田真三氏の映像作品に楽曲が使用されるなど、 多種多様な映像作品を彩っている。
また、TOKYO FM「ジェット・ストリーム」のテーマをはじめ、CM、アニメ ーション、ドラマなど、様々なメディアの音楽も手がける。
海外では、香港、ベネズエラ、フランス、アメリカでも CD が発売されている。 中でも特に韓国で人気が高く、16 タイトルの CD リリースと数多くのコンサー トを行っている。 また、日本人音楽家として初めて韓国ドラマ(「ごめん、愛してる」(KBS)「春 の日」(SBS)「がんばれ!クムスン」(MBC)など)の音楽を担当する他、 韓国大手企業の CM にも楽曲が使用される。 最近では、日韓共同制作のアニメ「冬のソナタ」にも楽曲を提供した。
コンサート活動も積極的に行っており、お客さまからイメージを頂いて即興演 奏をする「イメージリクエスト」のコーナーも人気がある。また、白鳥英美子、 山本潤子など、実力派シンガーとのステージや、ギタリスト・古川昌義とのユ ニット「Life is Melody」、そして画家とのコラボレーションやボーカリストの プロデュース&アレンジと、音楽センスを活かした活動も話題を集める。
3 月 11 日の東日本大震災の後、復興を祈り作曲した「えがおの日まで」が、 秋山庄太郎氏の花の写真作品と共に YouTube にアップされ話題を呼び、 TBS「サンデーモーニング」のコーナー「考・震災」のテーマ曲として現在も 使用されている。 デビュー以来変わらない類いまれなメロディーセンスと、包み込むようなピア ノタッチで、常に多くのファンの心をつかみながら、独自の世界を輝かしく放 ち続けている。
中村 由利子オフィシャルサイト
※上記は2011年8月23日に掲載した情報です

作曲を意識し始めた原点は、作曲コンクールでの入賞

3歳のときにトイピアノを買ってもらったんですね。それで、母から少しずつ童謡を片手で弾けるように教えてもらいつつ、今日、こんな楽しいことがあったとか、公園で遊んだとか、そのときの自分なりの印象を弾いて遊んでいました。最初はメロディになっていなかったんですけど、音を組み合わせながら弾いていくうちに、悲しい感じになったり、神秘的な感じになったりと、色々な表情のメロディができていくのが面白くて…。「この子はピアノが好きらしい」と両親が思ったらしく、ピアノ教室に通い始めることに。それが5歳のときでした。
そして13歳のときに、自己流で作った曲を音楽の先生に聴いてもらったら、「これ、コンクールに出したらいいんじゃない?」と。それで、横浜市主催の作曲コンクールに応募して、賞をいただいたんです。このコンクールでの入賞は作曲を意識し始めた原点。応募を勧めてくださった先生には感謝、ですね。

やりたいことは、何でもやりたかった。

音楽に夢中になる一方で、父が画家だったこともあって、絵も音楽と並行してやっていました。でも、自分を表現する手段として、音楽のほうが絵よりもずっと勝っていたので、フェリス女子学院短大音楽科に進学したんです。
大学時代は、高校生のころからジャズにも惹かれていたので、大学には内緒で(笑)、渋谷のヤマハにあったジャズピアノ教室に通っていました。結婚式場やレストランで弾くバイトも! それにバンドもやっていて…、でもこれはバレちゃいました(笑)。やりたいことは何でもやりたかったんですよね。クラシックも好きでしたが、手が小さくて握力も弱く、それがピアノを弾く自分にとって大きな壁になっていたので…。他の音楽に対しては、どんどん壁を取っ払って、壁破壊(笑)!そういうところがあったと思います。
曲も作り続けていましたが、13歳のときから表には出していなくて、次に出したのは23歳頃。パルコ主催のオルガン坂大賞というコンテストの作詞・作曲部門に応募して、賞をいただいたんです。今振り返ると、音楽を色々やりながらも、好きなこと、やるべきことは曲作りなのかな、と気づかされるタイミングがポイントポイントであったんですよね。

曲作り。その魅力とは…

デビューしてからも出会いに恵まれた音楽活動でした。1stアルバム「風の鏡」を「1999年の夏休み」という映画で全編にわたって使っていただいたり、写真家の前田真三さんや秋山庄太郎さんの作品とコラボレーションさせていただいたり。ジブリ美術館で上映された宮崎駿監督の短編アニメの音楽も担当しました。
ギャラリーで即興演奏したり、コンサートで皆さんからの「今日はこんな感じで」といったイメージリクエストに応えて演奏するときは、子どもの頃に絵を描いていたときと似ています。パレットに絵の具を並べて、そこから自由に色を出していくような感じ。浮かんでくるものをどんどん形にしていくんです。映画やコマーシャルの音楽など依頼されて曲を作るときは、たくさんモチーフを書きます。小さな五線紙を持ち歩いて、電車の中でも浮かんだら書いて、というように。そしてそれをピアノの前に持って行って、曲を作っていきます。それこそ完成するまでは大変!好きでこだわってきたぶん、自分への駄目出しはすごく厳しいんです。でも、そういう大変さよりも完成したときの喜びのほうが大きいですし、みなさんに聴いていただいて、良かったと言ってもらえることが、何よりもうれしい。

どんな条件でも、ベストを尽くすこと。その大切さを韓国、パリで学んだ。

韓国でも2000年に初めてアルバムがリリースされて、毎年のようにコンサートもおこなうようになって。ちょうど頻繁に訪れていたときに、韓国ドラマを手がけている監督さんと出会い、「ごめん、愛してる」というドラマの音楽を担当したんですが、あらすじを日本に送ってくださるのは、いつも録音の間際。韓国の仕事のやり方は日本に比べてスピーディで、ゆっくり吟味する時間がないんです。録音に間に合うように、作ったばかりの曲を自分で韓国まで持っていかなければならなかったりもして…。
そう言えば、89年のパリ録音でもすごい体験をしました。床がギシギシいったり、地下鉄が通る音も聴こえてくるので、「どうするんですか?」とスタッフに訊いたら、音がするところを避けてピアノを置けばいいとか、地下鉄が通り過ぎてから始めようとか…。そういった厳しい条件の中でやることが人一倍苦手だった自分にとっては、ちょっと頭を殴られたような感覚がありました。そのときに与えられた環境の中で、どれだけ集中力を出せるか、ベストを尽くせるか。それが大事なんですよね。

シンプルにメロディを歌いたい。

9月18日に、年に1回のペースでおこなっているPIANO FANTASYというコンサートを銀座ヤマハホールで開催します。ホールを拝見させていただいたときに音響が素晴らしかったので、もちろんアンサンブルや大きな編成での演奏も凝ったアレンジの曲も好きですが、ある意味、色々なものをそぎ落として、シンプルにメロディを歌ってみようと。原点に戻るような感じで、ピアノと植木昭雄さんのチェロだけで演奏します。ヤマハホールは、そう思わせてくれる空間だったんです。
ヤマハCFXもほんと、すごいですよね。音がきめ細かくて、デジタルカメラの画素数が多い、みたいな(笑)、その素晴らしいピアノの音とチェロ、それからお客様といい形の一体感というんでしょうか、ひとつの空間で音楽を共感しあえるコンサートになればと思っています。

今まで諦めていたものにも挑戦

画家や歌手とコラボレーションしたり、一昨年から私流の講座も! そして去年から、ギタリストの古川昌義さんと「Life is Melody」というユニットの活動も始めました。
つい最近まで、ピアノだけとか、ギターとふたりだけとか、そうなると、さてどうしようって、どこか自信のない自分がいたというか、駄目だなって思うところを気にしていたんです。韓国やパリでの出来事をはじめ色々な方との出会いや経験が、そういう壁のようなものをカーテンくらいの薄さにしてくれましたけど(笑)。でも、そのすべてを取り払っていけるように、ボイストレーニングを始めたり、絵もまた描くようになりました。今まで諦めていたものにも挑戦していくことで、ピアノ1本でどれだけ表現できるか、その可能性を追求していきたいと思っています。

中村 由利子へ “5”つの質問

※上記は2011年8月23日に掲載した情報です