この記事は2014年11月25日に掲載しております。
ソロ、室内楽など幅広い活動を展開している練木繁夫は、2013年5月25日銀座のヤマハホールでリサイタルを開いた。プログラムはオール・ショパン。前半はバラード第1番、ポロネーズ第4番、ピアノ・ソナタ第2番「葬送」。後半はスケルツォ第2番、ノクターン ロ長調 作品62-1、ピアノ・ソナタ第3番という構成で、ヤマハCFXの響きを最大限発揮する、すばらしい演奏を披露した。
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練木 繁夫 - 1976年ツーソンのバイエニアル・ピアノ・コンクールと1979年ピッツバーグのスリー・リヴァーズ・ピアノ・コンクールで1位に輝く演奏を機に、ボストン響、シカゴ響、デンバー響、ピッツバーグ響、ミネアポリス響、ワシントン・ナショナル響等と共演の機会に恵まれる。アメリカ国外でもメキシコ国立響、フランス放送管、そしてN響を含む日本の主要なオーケストラと共演。また、76年より、チェロの巨匠ヤーノシュ・シュタルケルとともに世界各地を公演し、絶賛を浴びる。2009年10月、紀尾井ホールでの「デビュー30周年記念リサイタル」は、各方面から高い評価を得た。
室内楽奏者としてもヨーロッパ、アジア、北米のコンサートやフェスティバルに数多く出演。スイスのFestival der Zukunftの室内楽シリーズと霧島国際音楽祭に毎年出演している。2008年より、漆原啓子(Vn)との本格的なデュオを結成し、今後の活躍が益々期待されている。
93年第24回サントリー音楽賞を受賞。90年シュタルケルと収録したD.ポッパーの作品のCDが、グラミー賞のソリスト部門にノミネートされる。97年にはオール・シューマン・プログラムの「パピヨン」が、文化庁芸術祭賞作品賞を受賞。03年秋には著書「Aをください」(春秋社)を出版。
現在、インディアナ州立大学教授、桐朋学園特任教授、国立音楽大学招聘教授、相愛学園大学客員教授、エリザベート音楽大学非常勤講師、霧島国際音楽祭企画委員。2007年からは、東邦音楽大学、東邦音楽大学院にて定期的にマスタークラスを開講。
リサイタルのみならず、室内楽、オーケストラ共演と幅広く活躍中。
※上記は2014年11月25日に掲載した情報です
音楽とともに呼吸すると自然で美しい音が生まれるようになる
「今回は、ヤマハのすばらしい響きをもつ楽器でしっかりと準備ができ、いい状態で本番に臨むことができました」
彼はこれまでショパンは数多く演奏しているが、ショパンだけでひとつのリサイタルを組んだことはない。今回のリサイタルは、初の試みとなった。
「ショパンだけにじっくり向き合うリサイタルは初めてで、だからこそピアノに何ができるか、ピアノがどう反応してくれるかということがとても大切な要素でした。ピアノのキャパシティでショパンがいかようにも変わるからです。その意味でCFXとじっくり対峙でき、幸運でした。特にオール・ショパン・プロを組んだことで、いろんな面のショパンが見えました…」
ショパンの作品を演奏することで、ショパンの人間性により近づくことができたという。
「ショパンの作品はあまりにも官能的ですので、暗譜してしまうと、自分の欲求と合わせて弾いてしまうきらいがある。それに曲も対応するようにできているから、どんどん自分なりの演奏になっていってしまいます。耳だけに頼って演奏していると、それが加速してしまう。常に楽譜を読み、目を使って耳と照らし合わせていくことが必要不可欠ですね。耳に心地よい音楽ですから、好きなようにアレンジして脱線してしまう危険性をはらんでいる。ルバートもし放題になってしまう。これがもっとも危険なことです」
楽譜の読み込みの大切さ、これに関して熱弁をふるう。練木繁夫は母校のインディアナ大学をはじめさまざまなところで教鞭を執り、各地のマスタークラスなどでも活発な指導を行っているが、こうした話はあたかも彼のレッスンを受けているような感覚をもたらす。
これまでJ.S.バッハ、ベートーヴェンなどさまざまな作品をレパートリーの根幹に据えているが、昔からショパンも大切なレパートリーのひとつ。それを今回はリサイタルでじっくりと聴かせた。そしてオール・ショパン・プロを弾くことにより、また新たなショパン像が見えた。
「ショパンは、“緻密さ”が大切だと思います。ショパンの弟子たちが残した文章を読むと、ショパンは何度も同じ旋律やフレーズが出てきたときに、“けっして同じように弾く練習はするな”といっていたようです。バラードやスケルツォを例にとると、同じメロディが何度も出てきますよね。それを同じように弾くわけにはいきません。メロディが同じでも、フレーズが異なっているからです。3度同じメロディが出てくる場合、1度目は自然に弾き、2度目はもう少し凝った弾き方をし、3度目はまた1度目と似た弾き方に戻すなどの工夫が必要です」
初めてショパンの作品と出会ったのは小学生のころで、即興曲だった。だが、当時はまだ作品の内容までは理解できず、「宇宙人」に出会ったような感じを抱いていた。
「子どものころは、バッハもベートーヴェンもショパンもみんな初めての出会いですから、どんな曲も見知らぬ人に会ったような感じです。でも、いま考えてもみると、いつもバッハが基本になっていたように感じます。いまでもそうですが、どんな作曲家の作品を弾いても、常にバッハがその元にある。現在はモダンピアノで弾くわけですが、だからこそ響きのいいピアノでバッハを弾きたいですね」
練木繁夫は、高校からインディアナ大学でジョルジュ・シェベックに師事した。この先生は、からだの使い方から音楽の考え方にいたるまで、強要せずに自分で気づくようさまざまなことを伝授してくれた。
「留学してシェベックに師事し、音楽とはこんなに広いものかと目が開かれる思いがしました。自分のからだを自然に使っていけば、自然で美しい音が生まれるようになる。“音楽とともに呼吸する”ということですね。不必要な緊張や堅さはいらない。合法的にからだを使うことにより、いいテンションが得られ、いい音が出せる。そういう教えでした」
ただし、いわれたことがすぐに実践に移せるわけではなく、先生にいわれたことを本当に自分で理解し、実行できるまでにはかなりの時間を要した。頭で納得し、完全に自分のものにしなくてはならないからである。
「音と呼吸と力。からだから力が放出されてピアノのなかに吸収されていくわけですが、こんなたとえで表現されたこともあります。ローソクを1本消すのと、50本消すのでは息の使いかたが異なりますよね。そのローソクが近くにあるのか、もっと遠くにあるのか、それによっても著しく異なります。シェベックの教えは本当に興味深く、思想的だったり自然科学の話が盛り込まれたり…。私は学生時代に師事したのと、彼のアシスタントを務めた時代を合わせると8年間ほどそばにいましたが、ずっとこの先生に習いたいと思っていました」
いま、自分が教える立場になったとき、ふとした瞬間にシェベックの教えに気づくことがある。当時は気づかなかったことでも、あるとき「先生のいいたかっことはこういうことだったのか」と。すばらしい恩師に巡り合えた生徒はとても幸せだと思うのだが、彼もその幸運を享受している。
もうひとり、人生の師とも呼ぶべき大きな存在は、チェロのヤーノシュ・シュタルケル(1924~2013)である。ハンガリー出身の偉大なチェリスト、シュタルケルとは30年間パートナーとして共演を重ね、世界各地で演奏し、録音を行い、音楽人生をともに歩んできた。その30年間は練木繁夫にとって財産であり、命の糧であり、人間形成の上でももっとも重要な宝である。
「最初に共演したのは学生あがりの25歳のころで、シュタルケルからいろんなことを習うという感じでした。共演者というのは、ツアーなどに出た場合ずっと一緒だから音楽のみならず人間的にも合わないとやっていけないからといわれ、まずは試験採用のような形でした。でも、一緒に演奏していくうちに、いつのまにか本採用になっていたのでしょうか、自然にパートナーとしてあちこちで演奏するようになっていました(笑)」
30年間ともに演奏するなかで、シュタルケルは練木繁夫の演奏に関してひとことも批判めいたことはいわなかった。
「最初は着いていくのが精いっぱいでしたが、あるとき私がちょっと音楽を仕掛けたことがあるんです。そうしたらシュタルケルがそれにすぐに反応してくれた。それからですね、共演者としてともに音楽を作っていくという立場を意識するようになったのは」
シュタルケルは男っぽく凛として、話題も多岐に渡り、温かい人柄だった。去年の4月28日にインディアナの自宅で88歳の人生に幕を下ろしたが、練木繁夫は亡くなる1週間前お見舞いに訪れ、これが最後となった。
「シュタルケルからは本当に多くのことを教えてもらいました。リハーサルもレッスンのようでした。彼に一度ピアノのレッスンを受けたことがあるのですが、そのときのひとことは忘れられません。“左手から音楽を見るように”といわれたのです。ああ、チェリストらしいことばだなあと思いました。当然のことながら音楽は左がベースとなり、右は即興的な意味合いが濃い。ハーモニーがないと成り立たないわけで、下から音楽を見ることの大切さを教えてくれたのです」
シュタルケルは自身の著書「チェロ・メソード」でも、左手の独立性と強化について説いている。ピアノでも同様のことが大切だといいたかったに違いない。
「シュタルケルはジョークのセンスも抜群でした。上質なジョークは文化のひとつだと思いますが、いろんなジョークを顔色ひとつ変えずにしらっと話す。ユーモアのセンスにいつも驚かされ、笑ってしまいました」
あるとき、ツアーの最中に空港で飛行機が遅延となり、シュタルケルはチェロを練木繁夫に預けて次の便の予約に走っていった。そのときに、ベンチに座っている人が練木繁夫のことをじっと見ていた。
やがてチケットが入手できたため、練木繁夫はシュタルケルにチェロを返し、洗面所にいった。戻ってくると、シュタルケルが笑いをこらえている。理由を聞くと。
「いま、あそこのベンチに座っていた人がこう聞いてきたんだよ。“あのトイレにいった人はヨーヨー・マですか?”って」
この話をシュタルケルはいろんな人に話し、ヨーヨー・マ本人にも伝えた。
「これ、シュタルケルの人柄をよく表しているでしょう。ふつうだったら、自分が著名なチェリストだから、そう聞かれたら気分を害しますよね。でも、彼はいかにもおかしそうにその話をみんなにして喜んでいた。私はそれ以後、ヨーヨー・マと呼ばれました(笑)。本当にユーモアたっぷりの懐の深い人でした」
この逸話は、シュタルケルの人間性の豊かさと、彼の深い音楽性に共通している。お酒とタバコが大好きで、特にスコッチを愛していたという。
練木繁夫はチェロとの共演のみならず、ヴァイオリンとのデュオも積極的に行っている。漆原啓子とは2008年からベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲で共演したが、その作品をより深く知るためにベートーヴェンのさまざまな文献を調べた。
「原点版や各種の文献を調べると、ベートーヴェンが実際に書いた音符がどうだったのか、記号や指示はどれが正しいのかなど、いろんなことが見えてきます。fの位置ひとつでも表現はまったく変わりますから、調べれば調べるほど音楽の深層に迫ることになりますし、ベートーヴェンに少しでも近づくことができます。汲めども尽きぬ魅力がありますね」
昔は「練習嫌い」とよく書かれていた。だが、近年は練習大好き人間になったと明かす。
「練習すると発見が多いからです。自分に対する発見です。でも、練習すればするほど下手になるのも事実。理想が高くなるわけですから、練習してもその理想には近づけず、下手になっていく(笑)。文献を調べるのも練習の助けになりますが、物を書くのも好きです」
2003年秋、「Aをください ピアニストと室内楽の幸福な関係」(春秋社)を出版した。これにより、文を書くことが楽しみになった。今後は練習嫌いを返上してさまざまな研究を重ね、知識を取り入れながらピアノとじっくり向き合い、シューベルトの後期のピアノ・ソナタを視野に入れ、ソロと室内楽の両面で活動していきたいと語る。練木繁夫は話上手でとても感じがよく、ユーモアたっぷり。シュタルケルから音楽のすばらしさとともに、その方面の術も学んだようだ。シューベルトの自然で美しい響きに早く出会いたい。
Textby 伊熊よし子
※上記は2014年11月25日に掲載した情報です