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© クリスチャン・シュタイナー
- pianist
野島 稔 - 横須賀市生まれ。桐朋学園高校、大学、ソビエト留学まで井口愛子氏に師事。63年、第32回日本音楽コンクール第1位受賞。66年ソビエト文化省の招きでモスクワ音楽院に留学、レフ・オボーリン氏に師事する。69年第3回ヴァン・クライヴァーン国際ピアノ・コンクール第2位入賞。翌年ニューヨークのカーネギー・ホールでデビューリサイタルを開き、以来、日本を代表する国際的ピアニストとして国内のみならずアメリカ、ヨーロッパ、アジアの各地でリサイタルを行う。また、日本の主要オーケストラ及び海外のオーケストラとの共演は数え切れない。ピアノ芸術の真髄を伝える貴重な演奏家として、今後一層の活躍が期待されている。2006年からは、横須賀芸術劇場において「野島 稔・よこすかピアノ・コンクール」にて審査委員長を務め、後進の発掘と育成にも力を注いでいる。東京音楽大学学長、桐朋学園大学院大学特任教授。
※上記は2017年5月23日に掲載した情報です。
Q1.自分で影響を受けたと思われるアーティストは?
小学生の頃からディヌ・リパッティが大好きで、写真を額に入れ、ピアノのそばに置いていたくらいですから「アイドル」でしたね。実演で聴いたことはなくレコードでしか知りませんでしたから、私にとっては神秘的な存在の一人でしたけれど、音の美しさは絶品です。
Q2.ヤマハピアノに対するイメージと印象は?
子供の頃からずっとヤマハのピアノで育ってきましたので、音の感触が身体に染みついているといえるでしょう。ですからヤマハを弾くと落ち着きますし、親近感がわくのです。もちろん楽器もさまざまな改良を重ねて、より多彩で豊かな響きになっていると思いますが、それでも基本的な音のキャラクターは、自分が小学校の頃から感じているものと変わりません。
Q3.あなたにとってピアノとは?
ひと言で表現するのは難しいのですけれど、ピアノに触ることでその時々の自分を知るということはあります。少しの時間でもピアノを弾き、「音楽的にこれでいいのだろうか」「自分にいま、足りないものはあるのだろうか」などと自問自答することも多いですから、そうしたことを教えてくれる相手として大事な存在だといえるでしょう。
Q4.印象に残っているホールは?
弾きやすいホールだったと記憶しているのは、ニューヨークのカーネギー・ホールです。1970年にアメリカでのデビュー・コンサートを行いましたが、大きなホールですし、たくさんのお客様がいらっしゃる中、ステージに出たのですけれど、不思議なほど親密な雰囲気に満ちており居心地がよかったのです。おそらくそこに集まっていらっしゃるお客様の雰囲気も、そのホールの響きを作り出していたのでしょう。
Q5.ピアノを学ぶ(楽しむ)方へのメッセージ。
コンクールの審査などをしていて感じるのは、伸び伸びと演奏している姿に接すると好感がもてるということです。若い頃はまだまだ足りないものがあって当然ですし、それを必要以上に意識してしまうと音楽が小さくなってしまいます。基礎的な演奏テクニックを身に付けた上であれば、少しくらい破天荒であってもいいですし、自分の感性を恐れず積極的に前面に打ち出すことがもっとも大切なのです。ぜひ臆することなく、前へ進むことを忘れずにいてください。
コンサート情報
- 野島稔ピアノリサイタル
- 日時:2017年7月8日 16:00
- 会場:木曽町文化交流センター
- 出演:野島稔