この記事は2010年7月28日に掲載しております。
5月28日、ヤマハホールで「名手と名器の饗宴」と題された室内楽のコンサートが開かれた。出演者はバイオリンの徳永二男、豊嶋泰嗣、加藤知子、漆原啓子、ピアノの迫昭嘉。そのリハーサルの合間を縫って、豊嶋泰嗣、漆原啓子、迫昭嘉の3氏に室内楽の楽しみ、アンサンブルの醍醐味を語っていただいた。
- pianist
迫 昭嘉 - 第35回ジュネーヴ国際コンクール最高位(1位なしの2位)、東京国際音楽コンクール室内楽部門第1位。東京藝術大学大学院修了後、ドイツ政府給費留学生としてミュンヘン国立音楽大学マスタークラスでK.シルデ氏に師事。83年第27回ハエン国際コンクール第1位およびスペイン音楽賞を受賞。活動領域はヨーロッパ、カナダ、アジアにまで及んでおり、NHK交響楽団、スロヴァキア・フィル、プラハ放送交響楽団、香港フィルなど内外主要楽団との共演のほか、室内楽奏者としても、極めて高い評価と信頼を得ている。近年は東京都交響楽団、新日本フィル、東京シティ・フィル、名古屋フィル、京都市交響楽団、九州交響楽団、札幌交響楽団などの指揮台にも登場しており、この分野での今後の動向にも注目が集まっている。現在、東京藝術大学教授、東京音楽大学講師。
※上記は2010年7月28日に掲載した情報です。
- violinist
漆原 啓子 - 1981年ヴィニャフスキ国際コンクールで最年少18歳・日本人初の優勝と6つの副賞を受賞。86年ハレー・ストリング・クァルテットとして民音コンクール室内楽部門優勝並びに斎藤秀雄賞を受賞。ソリストとして常に第一線で活躍を続け、これまでに国内外での演奏旅行や音楽祭に多数出演のほか、著名指揮者や各地主要オーケストラと共演。室内楽奏者としても高い評価を得ており、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会(三日間連続)などに出演。2009年9月には日本アコースティックレコーズより同曲の録音をリリースした。今後、全曲レコーディングを予定。安定した高水準の演奏は非常に大きな信頼を得ている。国立音楽大学客員教授。
※上記は2010年7月28日に掲載した情報です。
© 大窪 道治
- violinist
豊嶋 泰嗣 - 1986年桐朋学園大学卒業と同時に新日本フィルのコンサートマスターに就任し楽壇デビュー。ソリストとして国内外のオーケストラと共演する他、室内楽奏者としてはハレー・ストリング・クァルテットを結成し、2000年までカザルスホールのレジデントクァルテットを務めた。現在アルティ弦楽四重奏団のメンバーとして活躍。97年からは九州交響楽団と新日本フィルの両楽団のソロ・コンサートマスターを兼任。現在は兵庫県立芸術文化センター管コンサートマスター、新日本フィルゲスト・ソロ・コンサートマスター、九州交響楽団桂冠コンサートマスター。04年には指揮者としてもデビュー。益々意欲的に活動を展開している。91年村松賞、第1回出光音楽賞、92年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。ながさき室内音楽祭音楽監督。1719年製アントニオ・ストラディバリウスを使用。
※上記は2010年7月28日に掲載した情報です。
競演者といい演奏を生み出そうと力を尽くす。この共同作業を一度体験したら、やめられなくなりますよ。
先ず、以前からさまざまなオーケストラのコンサートマスターを歴任し、現在も責任あるポジションで演奏を行っている豊嶋泰嗣が口火を切る。
「オーケストラで演奏する場合は、自分の主張を通すということはなかなかできない。指揮者がいますし、オーケストラのメンバー全員でひとつの音楽を作り上げていくわけですから、個人が何かを主張するということはできないわけです。それが室内楽ですと、自分の音楽を堂々と主張できる。まあ、主張しすぎるとまずいけど…(笑)。もちろん共演者がいるわけですから、互いの音楽に耳を傾け、いい演奏を作り上げていくために最大限の努力をし、協調するところは協調していきますよ。その音楽を作り上げていく段階、リハーサルがもっとも楽しい時間ですね。いかに充実した時間を仲間と共有できるか、ここにかかってきます」
この言葉を受け、漆原啓子が続ける。
「バイオリニストは、いつも練習している時には未完成の曲を演奏しているような感覚を抱いています。孤独な作業ですしね。無伴奏作品以外、バイオリンは常に共演者を必要としますから、練習している段階ではまだ音楽の全体像がつかみきれないわけです。それがリハーサルを行っていくにつれ、徐々に全体が見え、共演者の音楽からアイディアをもらい、それに従い自分のパートが完成されていく。この刺激がたまらないですね。それまで想像していた音楽と異なる世界が生まれ出ることもあり、いつもリハーサルでは心が高揚します」
二人の考えにピアノの迫昭嘉も賛同する。
「室内楽の楽しみは、まさにそのプロセス。個性の異なる人間、違った楽器が一堂に会して各々の役割分担を十分に理解して演奏する。そこでは自分の役割に徹し、さらに他の楽器の音に耳を開き、その音の質を自分の楽器の質と融合させようと心を砕き、いい演奏を生み出そうと力を尽くす。この共同作業を一度体験したら、やめられなくなりますよ(笑)。ピアニストもふだんはとても孤独。ただひたすらひとりで練習しているわけです。それが音色の違った楽器と合わせるアンサンブルに参加すると、もう本当に解放されて楽しさ倍増。響きの妙が生まれるわけで、各人の解釈の違いなども聴くことができて、勉強になりますね」
迫昭嘉がピアノを始めたのは3歳の時。幼稚園の年少組のころにヤマハ音楽教室に通うことになり、音楽と巡り合った。
「ぼくの時代はオルガン教室でした。母親に連れられて通ったのですが、練習は大嫌いでしたね。音楽と触れ合うのは好きでしたが、練習はダメ。いつもいかにしたら母親から逃げられるか、そればかり考えていました(笑)。でも、やはり音楽の魅力は絶大で、ずっと続けることができました。ようやく藝大の高校に入った時に、みんな一途に音楽と対峙している人ばかりでしたから大いに刺激され、必死で練習するようになりました。室内楽の魅力に目覚めたのもこのころで、仲間とアンサンブルを演奏してその魅力にとりつかれました。それからずっと室内楽を続け、いまではなくてはならない分野です」
漆原啓子も幼稚園のころ、5歳でバイオリンと出合った。
「私はとてもシャイな子どもで、人見知りがはげしかったんです。それを見て幼稚園の先生がバイオリンを勧めてくださった。ピアノは少し弾いていたんですが、バイオリンの先生がとても熱心に教えて下さる方でしたので、 いつしか大好きになりました。実は、いまでもかなりシャイなんですよ」
ここで、彼女の両側に座っていた男性二人が一斉に「ええーっ(?)」と声を上げた。
「中学校の時には、日本音楽コンクールにもう入賞してはいましたが、練習が好きとは言えませんでした。しかし、高校に入って、同級生のお友達と室内楽をやるようになって初めて、練習が苦にならなくなりました 」
みな、子どものころは練習嫌いなようだ。クラシックは長時間練習をしないと上達しない。しかも、子どもでも集中力を持って練習に取り組まないと先には進めない。しかし、外に遊びに行きたい気持ちはだれしも同じ。漆原啓子は一度家に帰ると二度と外には出してもらえなかったので、小学生のころは放課後できる限り長く学校で遊んでいた。心配した母親が学校に連絡し、校内放送で呼び出されたほどだ。
豊嶋泰嗣がバイオリンを始めたのは6歳の時。姉がピアノを習っていたため、違う楽器ということでバイオリンになった。
「もちろんぼくも練習は好きではなかったですよ。子どもはみんなそうじゃないですか。でも、ぼくは小さいころからレコードやラジオですばらしい演奏を聴いてきたんです。ヤッシャ・ハイフェッツやアイザック・スターンの演奏でサラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』やメンデルスゾーン&チャイコフスキーのバイオリン協奏曲などを。昔は偉大な音楽家しか録音できなかった。だから、いつも聴いていたのは巨匠たちの演奏ばかり。それを聴いて感動しないはずがない。子ども時代に聴いたすばらしい音楽の記憶というのはずっと残るものなんです。ぼくも高校に入ってみんなが音楽の専門家を目指して勉強している姿を見て、気合いが入りました。ビオラを始めたのもこのころです。これでぐっと音楽の視野が広がりましたね。よく、バイオリンとビオラの両方を弾くことができてすごいといわれるけど、みんなすぐに弾けますよ。ピアニストが、オルガンやチェンバロを演奏することができるのと同じじゃないかなあ」
すぐに迫昭嘉が手を振る。
「無理無理、そんなすぐには弾けないですよ。豊嶋さんだけ。
からだの大きさも影響するんじゃない(笑)」
漆原啓子も。
「そうそう、すぐに両方なんかとても弾けない。私は無理。体も小さいですし 」
その後、作品の話に話題は移った。弦楽器奏者は弦楽四重奏曲を弾くのが非常に楽しみという人が多いが、二人のバイオリニストも弦楽四重奏曲をこよなく愛す。彼らはハレー・ストリング・クァルテットを組んでカザルスホールでシリーズを演奏していたこともあり、このジャンルに寄せる思いは人一倍強い。漆原啓子がその魅力を語る。
「カルテットは小さなオーケストラのような体験ができる。私はグループを組むまで、スコアで他の人のパートをしっかり読んだことはなかったんですが、カルテットを組んでからは他のパートをまめに読むようになり、すごく勉強になりました。こうした経験を積むことにより、他のパートに対して自分のパートをどう演奏するかがおのずと見えてきて、演奏の質が変化していきます。今は残念ながらカルテットを組んでいないので弦楽四重奏の曲を弾くことは出来ませんが、またいつか弾く機会があればいいな、と切に願っています 」
豊嶋泰嗣も、カルテットに惚れている。
「ぼくも機会があればどんどん演奏していきたい。特にハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを。ただし、いま時代の流れとして室内楽の演奏の機会が減少しています。室内楽というのは、聴衆がすばらしさを感じてホールに足を運んでくれるまでに時間がかかるジャンルなんです。いまは経済的にも世の中が苦しい時代。主催者側としても、委嘱作品や珍しい作品などはお客様が集まらないということで、取り上げにくい状況。本当はみなさん、家にこもっていないでもっとライヴを聴きに来てほしいと願っているんですけどね」
ナマの演奏は、その場だけの唯一無二の体験。演奏家と聴衆との密度濃いコミュニケーションの場である。だが、現在はネットなどで簡単に音楽体験ができるため、ホールに出向く人は限られてしまう。迫昭嘉が語る。
「いま音大で教えている学生たちは、人と人とのコミュニケーションを面倒だと考える人が多いですね。これも時代でしょうか。でも、ぼくは学生にピアノ以外の音も聴くようにといつもいっているんです。演奏もピアニストは室内楽ができて当たり前だと思っていますから、どんどん演奏するよう仕向けています。バイオリンとのデュオですと、バイオリンとピアノの右手が1対1で対話できる。そういう醍醐味もあるし」
「でも、ピアニストでピアノ以外の音を聴かない人って多くない?」
突然の豊嶋泰嗣の問いかけに迫昭嘉が大きくうなずく。
「いるいる、ピアノだけしか聴かない人。学生にもいるけど、そういう人は自分のピアノの音も聴こえていないんだと思うよ」
漆原啓子も自分の経験から、学生にはアンサンブルを強く勧めている。
「バイオリンはひとりで成り立つ音楽は少ないし、いい共演者に巡り合えたら、それは本当に宝になる。でも、バイオリニストでも、自分の都合だけで音楽を進めて、他の楽器は自分を引き立ててくれるなんて考える人がいるのよね。そういう人にこそ、もっとナマの演奏を聴きに行って勉強してほしいわ。安価な学生券を考えるとか、休憩時間にチョコやクッキーなどのスイーツをちょっと配るなんてどうかしら。ワインもいいけど、お菓子のほうがいいんじゃないかしら」
いろんな意見が出たが、結論はホールに足を運んでくれたお客様に満足していただくような、心のこもった上質で内容の濃い演奏をすることに誠心誠意努めるというのが3人の考え。アンサンブルの楽しさは作曲家が意図した内容を楽譜の深いところから読み取り、演奏家自らが楽しみ、その楽しみを聴衆に伝えることに尽きるようだ。
彼らはインタビューが終わるやいなや、即座にリハーサルに戻った。その真摯な姿勢が演奏に表れ、聴き手を作品の内奥へと導く。
Textby 伊熊よし子
※上記は2010年7月28日に掲載した情報です。