<< インタビューTOP

ソヌ・イェゴンさん 作曲家に対して忠実でいること。それがピアニストとしてのゴールです。 この記事は2019年2月25日に掲載しております。

2017年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに優勝し、アメリカを中心に多忙な演奏活動を行うようになったソヌ・イェゴンさん。日本では2013年仙台国際音楽コンクールピアノ部門の優勝者として以前から注目されていました。そんなソヌさんに、これまでのピアノとの関わりや、音楽への想いを伺いました。

Profile

pianist ソヌ・イェゴン
© Jeremy EnlowThe Cliburn

pianist
ソヌ・イェゴン
第15回ヴァン・クライバーン国際コンクールの優勝者、1989年韓国生まれのソヌ・イェゴンは、“楽器を意のままに操る技術と表現力”(サンフランシスコ・エグザミナー紙)と、ヴィルトゥオーゾとして高く評価されており、自身は「音楽の真実と純粋な美しさを追求し、深い感情を聴衆に伝えたい」と語っている。ソリストとして、これまでミュンヘンフィル(V.ゲルギエフ指揮)、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団(S.ヴァイグレ指揮)、ボルティモア交響楽団(マリン・オールソップ指揮)、ジュリアード・オーケストラ(イツァーク・パールマン指揮/エイヴリー・フィッシャーホール)、ヒューストン交響楽団(ジェームズ・フィデック指揮)、フォートワース交響楽団(レナード・スラットキン指揮、ニコラス・マクギガン指揮)、ロイヤルスコティッシュ管弦楽団(J.R.ゴメス指揮)、ベルギー国立管弦楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、KBS交響楽団とのヨーロッパツアー等、多数公演を行っている。

リサイタルでは、カーネギーホール(ワイルホール)、浜離宮朝日ホール、ウィグモア・ホール、サル・コルトー、ゲヴァントハウス、エルプフィルハーモニー他、韓国、ヨーロッパ、アメリカ全土で公演を行なっている。
ソヌは熱心な室内楽家でもありアンサンブル力も高く評価されている。ニューヨークフィル四重奏団、ブレンターノ弦楽四重奏、エルサレム弦楽四重奏団、ヴァイオリニストのベンジャミン・ベイルマンとイダ・カファヴィアン、チェロのエドガー・モロー、ゲイリー・ホフマン、ピーター・ウィリー、そしてピアニストのアン・マリー・マクダーモット等と共演。
クモ・アシアナ財団とともにコスタリカ、グアテマラ、パナマツアーを実施、またリンカーンセンターの室内楽講演会、サミット音楽祭、ボウドウィン国際音楽祭、トロント夏の音楽祭にも多数招かれている。

韓国アニャン出身。8歳の時にピアノを始める。
2005年にアメリカのカーティス音楽院に留学、その後ジュリアード音楽院、マネス音楽院にてセイモア・リプキン、ロバート・マクドナルド、リチャード・グードに師事。現在はハノーヴァーにてベルント・ゲツケ教授に師事している。
ヴァン・クライバーン国際コンクールでの優勝(金メダル)の他、2012年ウィリアム・カペル国際ピアノコンクール、2013年仙台国際音楽コンクール優勝、ヴェルビアー音楽祭のヴァンドーム賞、2015年ドイツ国際ピアノ賞(フランクフルト)等受賞歴多数。

※上記は2019年2月25日に掲載した情報です。

仲間の存在が、演奏家を育てる

 ピアノを始めたのは8歳のとき。2人の姉がピアノを習っていた影響だ。
「姉たちのピアノを聴く中、自然と僕もやりたいと言い始めたようです。二人の姉の間に座って、まだ小さかった僕もピアノを弾こうとしている写真が残っています」
 息子がプロを目指すようになるとは思っていなかった母は、韓国ではごく一般的な方法にならい、ソヌを近所のピアノのアカデミーに連れていった。
「そこでまわりの子たちが、シューベルトの即興曲やベートーヴェンのピアノ・ソナタ、プロコフィエフの3番のピアノ・ソナタを弾いているのを聴いて、魅了されてしまいました。僕もこういう曲を弾きたいと感じ、その想いが強かったから、初見演奏のスキルも上がったのだと思います」
 近年、韓国のピアニストの活躍がめざましい理由の一つは、こうした学ぶ環境も関係しているのではないかとソヌは話す。
「韓国人は仲間と一緒にいることが好きなので、子供の頃から同じフィールドでがんばっている友達と思いを分かち合い、励まし合っています。それが早い成長につながるかはわかりませんが、きっと、正しい方向に進むことには効果をもたらすのではないでしょうか」
 こうした仲間とは、子供のうちから室内楽も演奏する。
「一人で演奏していると行き詰まることもあるけれど、仲間と演奏していれば、常に人の音を聴きそれに反応していることで、自発的になるし、モチベーションも高くなります。ピアノソロでは、他の楽器の音を想像しながら演奏することが多いですが、そんな時にもこの経験は役に立ちます」

 ソヌは、15歳でアメリカに留学。最初の1年は母についてきてもらったが、2年目からは単身での生活を希望した。
「16歳になると一人での留学が認められるからということもありますが、もともと僕は自立心が強い方なので、早くそうしたいと思いました」
 2人の姉を持つ末っ子といわれて思い浮かべるステレオタイプなイメージからすると、意外な発言にも思えるが……。
「僕はいつも、姉たちに対して甘える小さな弟という態度はとっていなかったと思うので、彼女たちもあまりそういう風には扱ってこなかったんじゃないでしょうか。少なくとも僕はそういうキャラクターのつもりはないんだけど(笑)。もちろん、家や料理は恋しいけれど、旅をしながら多様な世界を見ることが好きなので、寂しくならずにすんでいるのかもしれません」
 アメリカではカーティス音楽院、ジュリアード音楽院、マネス音楽院という名門校で研鑽を積み、2016年からはドイツのハノーファー音楽大学に在籍している。
「ドイツに移ったことは転機になりました。もともと、いつかドイツに住みたいと思っていたのです。実は理由は自分でもよくわからないのですが、ドイツはホームのように感じる国です。ドイツ語の響きも好きですし……まだ自分では話せませんが。
 先生方からはそれぞれに多くのことを学びました。現在師事しているベルント・ゲツケ先生は、特にドイツ・オーストリアの作曲家への深い愛情に目覚めさせてくれました。何かをイメージしているけれど実際にはそれができていないとき、より綿密に自分の考えを見つめ直すことの必要性も教えられました。そうする中で、楽譜に書かれたより細かなことに気づきます」
 今年30歳を迎えたが、普段から年齢を気にすることはないのだという。
「なぜか昔からあまり気になりません。ときどき、若い年齢のままとどまっているような気持ちになることもあります。僕は15歳で家を出て、それからは友人たちと共に、毎日を楽しく過ごそうと心がけてきました。悲観的なことを言うわけではないけれど、人間っていつ死ぬかわからない、それが人生というものですよね。だから、いつもできるだけ楽しんでいよう、ただ、落ち込んだときはそれもいいと受け入れて生きるようにしています」
 そんな彼がこれからピアニストとして生きていくうえで、最も大切にしていきたいことはなんなのだろうか。
「作曲家が伝えたかった想いを大切にすることです。私たちはそれぞれ異なる感情を持ち、同じものを見聞きしても、感じることには個人差があります。その違いが表れたとき、どちらかが間違っているということはありません。だからこそ音楽はすばらしい。ですが演奏家は、作曲家に敬意を払うことだけは忘れてはいけません。楽譜は、何度読み返しても見落としていた何かに気づくことがありますから、いつでもそこに立ち戻って演奏に臨みたいです。そうして、作曲家がその時何を感じ、何を乗り越えていたのか、それを表現していきたいと思います。
 作曲家に対して忠実でいること。それがピアニストとしてのゴールです」

Textby 高坂はる香

ソヌ・イェゴンさんへ “5”つの質問

※上記は2019年2月25日に掲載した情報です。