コンサートレポート

コンサートレポート

若林顕ピアノ・リサイタル J.S.バッハ『平均律ピアノ曲集』第1巻 全曲演奏会
プレリュードの多様性とフーガの厳格さをあまさず表現!

2024年9月6日(東京芸術劇場)

『平均律クラヴィーア曲集』はなぜピアニストの聖典か

1720年代の初め、ヨハン・セバスティアン・バッハは、よく調律されたクラヴィーアを用いれば、24の調すべてがきれいに弾けることを示すと共に、そのあらゆる可能性を探る意をこめて『平均律クラヴィーア曲集』第1巻を書いた。実証的である一方、無味乾燥な楽曲は一つもなく、24の調に1対ずつ書かれたプレリュードとフーガはどれも卓抜な創意が凝らされ、高度な芸術性を具え、鑑賞作品としても第一級である。それゆえ、この曲集はのちの第2巻と共に、現在ではピアノを学ぶ者の聖典とされ、ピアノ・リサイタルの高度なレパートリーにもなっている。ただ、その場合、作曲当時のクラヴィーアの音量と響き、音色感を踏まえて、通常は小規模会場で演奏される。

大会場で、ピアノで弾く困難さに敢えて挑戦

 だが、若林顕は、まず小規模会場で2度ほど全曲演奏に挑んだのち、いよいよ今回、座席数1999席の東京藝術劇場大ホールでこれを採り上げた。
彼は近年、同ホールで演奏したとき響きのよさに魅せられ、これなら『平均律』も可能ではないかと感じたという。たしかに、このホールは、内壁の下半分がすべて木質系なので、ほどよく音が吸収されてバウンドも少なく、温もりある音響が得られる。形状は扇形だが、角度はさほど開いておらず、名手が緻密な響きづくりを心がければ、ピアノの音が隅々までムラなく響き渡る。当夜の若林はその実現のために、弾き慣れた愛器YAMAHA-CFXを持ち込んだ。

第一部の12セットはこう進んだ!

 定刻の19時を少し過ぎて登場した若林は、19時4分、第1番ハ長調のプレリュードを弾き始めた。清楚な音が、斜め前方へ、斜め前方へと美しいラインを描きながら飛翔していくのが可視化されるかのようだ。最後のペダルの離脱では長めの残響が確保された。4声のフーガはプレリュードよりも音に重みが加わり、重心がやや低めである。
2番ハ短調のプレリュードはトッカータ風に始まり、幾分切迫感をもって奏された。フーガでは3声が明瞭に横へと進む。第3番嬰ハ長調のプレリュードでは清々しい響きが奏出され、第4番嬰ハ短調のプレリュードはしっとりと情緒的に歌われた。
この4番のフーガは前半で唯一、5声を持つ構えの大きな曲だが、弱音から慎重に開始されて見通しのよい5声のドラマが構築された。このあと少し間が置かれて気分転換が図られたのち、5番のセットから12番のセットまで強い集中力が保たれて弛緩なく進んだ。
指のテクニックとタッチ選択を基本としつつ、ダンパー・ペダルへの圧を極小単位で精妙にコントロールしながら、時に応じて左ペダルも加えられた。さらさらと清流が流れるような澄んだ音で弾かれた7番のプレリュード、深い精神性を感じさせた8番のプレリュード、シンプルな2声が凛と屹立した10番ホ短調のフーガなどが印象的だった。
 前半の12番までを55分で弾き終えたところで、20分の休憩。

ますます集中力の高まった第二部

 後半の12セットで、集中力はさらに高まった。プレリュードではそれぞれの個性が浮き彫りにされて、バッハのチャンネルの多様性に改めて驚かされ、フーガでは各声部が独立性をもって厳格に進みながら音の綾を成していくさまに耳を奪われた。高度なペダリング技術の駆使は言うまでもない。
例えば、第20番イ短調の4声のフーガの最後の4小節半には低いA音が通底する。オルガンならば可能な音だが、ピアノでは指が足りない、ここではおそらく、ソステヌート・ペダルを用いたか、または小節の頭ごとに打鍵したかと思われる。
 第22番変ロ短調も力演だった。プレリュードでは哀切感のある美しい旋律が丁寧に紡がれ、フーガでは5声が生き物のように絡み合った。弾き終わってちょっと汗をぬぐい、最後の2セットへ進む。ロ長調セットでは明るい音色が冴え、最終曲ロ短調プレリュードは半音階的主題に魂が入り、フーガは入念なダイナミクスのコントロールとタッチ選択によって、刻々と風景が移り変わっていった。後半の演奏時間は54分。
かくして、若林顕はこの夜、この作品の演奏史に新たな一ページを開いた。

写真:武藤章

Text by 音楽評論家 萩谷由喜子