河村尚子ピアノ・リサイタル『“ある視点”Vol.2』
2025 年9月20日(横浜市青葉区民文化センター フィリアホール)
昨年9月にスタートした河村さんのリサイタル・シリーズ『ある視点(Un Certain Regard)』。第2回の今回では、さらに『In Memoriam…』の副題が付けられ、別れがテーマになっている。

最初のモーツァルト「ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310」は、まさに悲しい別れを感じさせる楽想で、モーツァルトのピアノ・ソナタの中でも2曲しかない短調の1曲。就活がうまくいかず、そのうえ最愛の母の死という時期に書かれたと言われているため(史実は不確かではあるが)、よりイ短調の旋律線が胸に刺さる。
激しい思いが堰を切ったように進行する第1楽章。河村さんの指は立ち、打鍵の第1音から惹き込まれる。滑舌良く弾き並べられる旋律と、まるで潜在意識のような巧みな和声。聴きながら心拍数が上がるような緊張感と、うんうんと頷く説得力。第2楽章はヘ長調のアンダンテ・カンタービレ。まるで母性の優しさと広さを感じさせ、河村さんの奥行ある響きにグッとくる。そして終楽章は再び心痛のイ短調。ここでは感情の起伏が聴き取れる。
ラヴェル「組曲〈クープランの墓〉」は、戦死した友人たちに捧げられた6曲。この組曲は、バロック時代の先達への敬意も込めた形式で、明るく軽やかな「前奏曲」の開始が心地良い。小さな天使が舞っているような、そしてその動線に残る光彩が目に浮かぶような河村さんの音の粒。
「フーガ」では、母親と幼子の問いかけと答えのような優しさ。ゆったりとアンニュイな表情の「フォルラーヌ」と快活な「リゴドン」は、いずれも古典的舞曲。独特なリズムの上に、ラヴェルが彩色した音たちが踊る。ほんの少しの匙加減(=音色や間合いのセンス)が、これ以上でもこれ以下でも駄目な、河村さんの絶妙なタッチ。
リズムで聴かせたあと、優美な宮廷舞曲の「メヌエット」。どこか懐かしいノスタルジックな歌い回しに、胸がキュンとなる。最後は華やかに打ち上げられた花火のような「トッカータ」。

女流作曲家で教育者としても名高いナディア・ブーランジェ(1887~1979)。以前、彼女の門下である元パリ・エコールノルマル音楽院学長のピエール・プティ(1922~2000)にインタビューした際、ブーランジェの人柄の話は実に興味深かった。厳しさの中には繊細さがあり、奔放かと思うと実に理性的な一面もあったという。
そんな話とも重なった、ブーランジェ「新たな人生に向かって」。同じく作曲家だった妹の早世と、第一次世界大戦下の頃。亡き妹の才能は眩しく、この先も生きていく自分の現状など、様々な思いと同時に未来を見据えた強い視線を感じさせる楽想。物理的な強さではなく、強弱や剛柔の表裏一体を、河村さんは説くように表現。
ブーランジェから続けて演奏されたムソルグスキー「組曲〈展覧会の絵〉」。友人の画家ハルトマン(ロシア語ではガルトマン)の遺作展からインスピレーションを受けた組曲で、絵の描写のみならず、タイトルに秘められた当時の社会情勢や風刺など、聴きどころが満載の名作。
最初の「プロムナード」を、河村さんはギアを一段上げるが如く深く打鍵。ナビゲーターのような「プロムナード」に導かれ、不気味な「グノームス」、中世時代の「古城」、無邪気な様子が描かれた「テュイルリー」へと進む。
「プロムナード」は計6回、それぞれ異なる表情で登場するのだが、曲の進行と共に絵の真意が重くなり、それゆえ曲と曲との橋渡し加減は重要。そこを河村さんは巧みなバランスで弾き進め、「ビドロ」や「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」などシビアでデリケートな意味を持つ曲を際立たせる。
ピアニストによっては原曲にはない装飾やオクターヴを多用する人もいるが、河村さんは楽譜に忠実。「ババ・ヤガー」や「キエフの大門」では野太く旋律を描き、音色も前半より増している。奏者の求めに応えるCFXの可能性の広さは頼もしく、最後の強音には感無量。「別れには、悲しみだけではなく次に進む意味もある」と言う、河村さんの言葉と共に、心に深く染み入った。

Text by 取材・文:上田弘子(音楽ジャーナリスト) Photo:武藤章


