新日本フィルハーモニー交響楽団
サントリーホール・シリーズ 第667回定期演奏会
指揮:佐渡裕
ピアノ:上原ひろみ
新日本フィルハーモニー交響楽団
2026年2月1日(サントリーホール)
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クラシック音楽の定期演奏会として、この日の公演はものすごく新鮮なパフォーマンスだったのではないだろうか。ピアニストが即興を弾きまくった。
2026年2月1日、クラシックの殿堂の1つ、東京・六本木のサントリーホールで、新日本フィルハーモニー交響楽団の第667回定期演奏会が開催された。
指揮は佐渡裕。第1部はジョージ・ガーシュウィンの「ピアノ協奏曲ヘ調」、第2部はバルトーク・ベーラの「管弦楽のための協奏曲」を演奏した。この公演で、1984年から42年にもわたって新日本フィルで演奏してきたビオラ奏者、高橋正人が“定年”を迎える。中央大学理工学部を卒業してから東京藝術大学で音楽を学び直した異才が、団員としての演奏にひとまずピリオドを打つ。
第1部のガーシュウィンのコンチェルトでピアノを演奏するのは上原ひろみ。ジャズをはじめ、ロック、ラテン、J-POP……、さまざまなフィールドで演奏するピアニストがゲストとして招かれた。
「僕自身、彼女の大ファンです。本当にすごい人。ジャンルを超えて素晴らしいピアニストです。1音1音が美しくて、自由」
開演前のプレトークで佐渡が語った。
佐渡裕と新日本フィルと上原ひろみの夢のようなコラボレーションとあって、サントリーホールはステージの背後まで満席。
いよいよ開演。上原は鮮やかなピンクのワンピース姿で登場。重厚なグランドピアノ、ヤマハCFXと向かい合った。
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佐渡の指揮で、弦楽器がふっくらとしたアンサンブルを聴かせていく。大きな波がゆったりと寄せ引いていくようなダイナミックな演奏。そこに上原がアクセントを生む。佐渡が紹介したとおり1音1音が美しい。譜面を尊重しながら、あるときはきらめく波光のように、あるときはゆらめくさざなみのように、景色を見せてくれる。ジャズを演奏しているときとは趣を異にする、幼いころからクラシックも演奏してきた上原の音の表情を聴かせてくれる。
そして本領を発揮し始めたのはコンチェルト終盤のソロ。スピード感のある演奏。細かい指使いのときも、すべての音がシャープで輝きを感じる。指揮台で佐渡がやわらかな笑みを浮かべる佐渡。前のめりになって聴き入る客席。約35分のコンチェルトが終わると、ホールはスタンディングオベーションと大拍手でわいた。
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猛烈な拍手に、深くお辞儀をする佐渡と上原。そして第1部の終わりで、まさかのアンコールが実現した。
なにを演奏するのか――。上原が鍵盤を力強く連打した。オリジナル作の「MOVE」だ。ドラムスとベースとのトリオのために書かれたロックテイストの曲を新日本フィルとのコラボレーションで披露。スケールアップした「MOVE」。水を得た魚のようにアグレッシブに演奏する上原。クラシックの定期演奏会で、まさかのインプロビゼーション。脚でリズムをとり、中腰になって打楽器のように鍵盤を叩く。新日本フィルの演奏にも力が入っていくのがわかる。
ダブルコールを求めて鳴りやまない大拍手。上原が三度(みたび)CFXと向き合う。アンコールでのソロに選んだ曲はガーシュウィンの「アイ・ゴット・リズム」。ギアをさらに上げる上原。音がきらめく。
演奏中に声を発し、ピアノのボディの内部の弦をはじき、立ち上がって肘で弾き、会場全体に笑顔をふりまく上原。即興の極みと言っていいだろう。途中でガーシュウィンの代表曲の1つ、「ラプソディ・イン・ブルー」のフレーズも盛り込む。第1ヴァイオリンも、第2ヴァイオリンも、チェロも、ビオラも、管楽器も、新日本フィルのメンバーは誰もが、それぞれの定位置で驚愕しながらも顔をほころばせている。ピアノまでが楽しそうに歌っている。クラシック音楽の殿堂の1つ、席数約2000のサントリーホールがまるでジャズクラブかライヴスポットになったみたいだ。
いいの? クラシックの演奏会でそんなに自由に演奏していいの? 新日本の定期演奏会なのに即興をやっていいの? 世界的指揮者・佐渡裕の目の前でそんなことをしていいの? よけいな心配と知りながらも気にせずにはいられない。しかし、杞憂だった。指揮者の佐渡もにこにこ演奏を聴いている。プレトークで上原のことを「自由」と表現したが、それはきっとこういう音楽のことなのだろう。
曲の終盤、クライマックスがやってきた。コンサートマスター、西江辰郎が立ち上がり、ヴァイオリンとピアノで掛け合いを展開。音楽で会話を楽しむような、おたがいをたたえ合うようなデュオ。相手への愛情とリスペクトが感じられる音の響きだ。
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世界中がコロナと戦っていた2021年、上原は西江とピアノ・カルテット編成のアルバム『Silver Lining Suite』を録音した。ともにツアーもまわった。あの緊急事態に時間と感情と音を共有した盟友だからこそ、ここでも呼吸はぴったり。そんな2人のスリリングな演奏も指揮台に腰かけてリラックスモードで楽しむ佐渡。
曲が終わっても、拍手はずっと鳴りやまなかった。
サントリーホールで、新日本フィル主催の演奏会で、まさか即興を体験できるとは思わなかった。クラシックのフィールドでもときどき、こういうハプニングが起こると耳にしたことはある。しかし、レアだ。巨匠、あるいは圧倒的な演奏力を持つ音楽家であることをそこにいる全員が認めたときに起こる“奇跡”だと思っていた。
ステージ上で、佐渡も新日本フィルの演奏家たちも楽しそうだった。終始笑顔の上原は西江とハグ、佐渡とハグ、下手へと退いた。
そんな第1部の熱狂から休憩時間を挟んでの第2部でも、新日本フィルだからこその深みが感じられる音楽を聴かせてくれた。演奏後下手から戻った佐渡の手には花束。この日引退する高橋のところに歩み寄る。男同士、力強くハグし合った。
終演後しばらくして会場から出ると、ホール前のカラヤン広場はまだ人だかり。この日の公演の興奮を抑えきれないようだった。誰にとっても特別な一日になった。
Text by 神舘 和典、写真:TERASHI Masahiko


