コンサートレポート

コンサートレポート

若林顕 3大ピアノ協奏曲の響演

2025年11月30日(東京オペラシティコンサートホール)

 11月最後の土曜の昼下がり、京王新線初台駅で下車すると、同じ電車から多くの乗客が降り立ちました。駅の改札からは一路、東京オペラシティコンサートホールへと通路が続いているので、大半の方たちはこれから始まるコンサートのお客のようです。今日、この会場で開催されるコンサート。それは、日本を代表する実力派ピアニストの一人、若林顕さんがソリストを務める「3大ピアノ協奏曲の響演」です。

 「3大ピアノ協奏曲」に絶対的な定義はありませんが、この日選曲された、ショパンの第1番ホ短調、チャイコフスキーの第1番変ロ短調、ラフマニノフの第2番ハ短調の3曲はいずれ劣らぬ傑作揃い。その3曲を一挙に聴けるとあって会場はほぼ満席です。
 時間になると、東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーの入場が始まり、拍手が巻き起こりました。ゲスト・コンサートマスターの城戸かれんさんがピアノのA音を鳴らしてオーケストラにチューニングを促します。次いで、ソリストの若林さんと指揮者の渡邊一正さんが大きな拍手に迎えられながら姿を現しました。

 ピアニストが椅子に腰を落とし準備が整うと、オーケストラがショパンの1番を重々しく開始しました。若林さんは長大なオーケストラ呈示部の間、じっと集中力を高めています。二度のホルン信号を過ぎ、いよいよ満を持して、若林さんが力強い第1主題冒頭句の強奏から入ってきました。次いで粒の揃った分散和音が華麗に鍵盤を昇ります。最後の高いホ音が真珠光沢を放ちました。やがて、旋回音形に導かれて甘美な第2主題が示されると、そのあとは技巧的パッセージが続き、コデッタ、展開部の頂点、再現部後半とソロは大忙しです。第2楽章のロマンスでは、青春のショパンの物思いを感じさせる楽想がゆったりと夢見心地に歌われました。ショパン独特の装飾も随所にきらめき、鏡像音型もピュアな美音で奏でられました。第3楽章ではクラコヴィアク風のロンド主題も、その合間の多彩な楽想もポーランドの民族情緒を色濃く感じさせながら歯切れよく演奏されました。

 休憩後の後半は、まずチャイコフスキーの第1番が有名なホルン主題から始まりました。続くピアノの壮麗な和音は息を飲むほど鮮やかです。序奏が鎮まると4分の4拍子の主部に入り、ピアノが民謡風のせわしない第1主題を示します。この主題は序奏主題のような威厳がないので第1主題とは認識されにくいのですが、若林さんは付点リズムを明快に打ち出して強めの音量で弾かれたので、とても存在感がありました。あとの2つの主題もそれぞれ性格づけが明瞭です。展開部でクライマックスを築いたのち、第3主題の再現を兼ねた鮮烈なカデンツァ、オーケストラとの協奏、簡潔なコーダで楽章が結ばれました。第2楽章では弦の静かなピツィカートにのってフルートが牧歌的旋律を歌い出し、これをピアノが受け継ぎます。オーケストラと織りなす美しいハーモニーが胸に沁みます。ウクライナ民謡風の主題によるロンド・フィナーレでは、ソロにカデンツァも含め高度な技巧が要求されています。ここでも若林さんは圧倒的なテクニックを発揮されました。

 最後はラフマニノフの第2番。お馴染みの次第に音量を増す鐘の模倣和音を奏でるとき、若林さんは左手の一番高い音に少し時差をつけ、見事な効果をあげます。主部では決め音がはっきりしているので音楽の輪郭がよくわかります。第2楽章の終わり近くのパッセージは爽快感があり、フィナーレの頭のカデンツァは疾風のようです。ロマンティックな主題には秘めやかな情熱と憂いが漂い、雰囲気満点でした。
 3曲ともYAMAHA-CFXの性能をとことん引き出した充実の演奏でしたが、とりわけラフマニノフが名演だったように思います。

 アンコールはラヴェルのソナチネの第2楽章とショパンの『革命』のエチュード。3つの大作協奏曲のあと、疲れもみせず2曲もアンコールを弾かれる超人的パワーと聴衆の期待に沿うやさしい精神に、第一級のピアニストの風格を感じました。

Text by 音楽評論家 萩谷由喜子、写真;K.Miura