2022年7月26日、銀座のヤマハホールで、仲道郁代さんによるベートーヴェンのピアノソナタ公開マスタークラスが開催されました。受講生は、亀井聖矢さんと吉見友貴さん。仲道さんと注目の若手ピアニストの対話から、ベートーヴェン演奏の真髄を覗く時間となりました。
2022年7月26日(ヤマハホール)
長らくベートーヴェンを研究し、ピアノソナタの全曲録音や演奏会などを行なってきた、仲道郁代さん。ベートーヴェン研究の大家、故・諸井誠さんから教えられたことを次世代に伝えたいという思いとともに、今回のマスタークラスでは、「大変に才能豊かな若いお二人とともに、ベートーヴェンを研究する時間を持ちたい」と話します。
一人目の受講生、亀井聖矢さんは、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」を演奏。仲道さんはまず、その堂々とした演奏に賛辞をおくったのち、「各モチーフでベートーヴェンが表現したことをつきつめて考えてゆくと、演奏に説得力が増していくでしょう」として、まずは冒頭の同音連打が何を意味すると考えるか問いかけます。
「鼓動や進んでいくエネルギーを感じます」という亀井さんの答えに、「いいキーワードが出てきました。そうやって一つ一つの音型の意味を考えていって」と仲道さん。
また、「ベートーヴェンの半音の違いは非常に大きい。生と死のボーダーラインのように、一歩向こうに入れば、人間界から天上の世界に移るというようなことさえ意味することもある」「ペダルの指示がある部分は天上の世界を、ない部分は現実の人間界を表現するくらいに厳密に書かれているので、踏むときには細心の注意を払う必要があります」というアドバイスも。
「ベートーヴェンの楽譜には、恐るべしというほどいろいろなことが埋め込まれているので、それを見つけながら弾くと楽しいですよ」と仲道さん。1時間半にわたる熱いレッスンが行われました。
休憩をはさんで登場した二人目の受講生、吉見友貴さんは、ピアノ・ソナタ第31番を演奏。仲道さんの「ようこそ後期ソナタの世界へ」という言葉、そして、楽曲の献呈予定だった相手と“不滅の恋人”のエピソードのお話で、レッスンはスタートしました。
演奏を聴いた仲道さんは、「心の痛み、弱さをもっと出して弾いても良い曲だと思います。最初に嘆いているからこそ、最後に救われる意味があるのですよ」と話し、「吉見くん、もっと心の内をさらけ出して!」と声をかけます。
また、ドイツ語は「息を吐く」言語なので、ベートーヴェンを演奏するときにも呼吸を止めたり、肩を上げたりすることがないようにというアドバイスも。さまざまなテーマの引用元、ある音型に込められた感情が説明され、作品の意味するものが少しずつ明らかになっていきました。
終演後、仲道さんは「これは十八番のいいレパートリーになると思いますよ」と吉見さんに声をかけていました。
長時間にわたるレッスンのあとは、ステージ上で、仲道さん、吉見さん、亀井さんによるトークセッション。
亀井さんが「楽譜から絶望や感動を追体験しながら、自分にもそういう経験が必要なのだろうと思いました」と感想を語ると、仲道さんはすかさず、「亀井くんに絶望的な経験はしないでほしいけれど(笑)、しなくても想像することはできるから」とアドバイス。続けて吉見さんは「僕は絶望も経験していると思うけれど、心を開いてそれを表現することの難しさを感じました」と話しました。
客席の聴衆も含め、それぞれに発見の多かったマスタークラス。仲道さんは、「これだけ優秀な方々と、年齢や経験に関係なく音楽の話ができるのが楽しいですね」と話していました。
終了後、お三方にこの日の感想を伺いました。
仲道さん「本当に才能豊かで、これからますます楽しみなお二人です。 今日はベートーヴェンをどう解釈していくのかということの一つのあり方を、お二人にお伝えできていたらいいなと思っています。
何かを伝えると、それぞれに咀嚼して、取り込んで考えてくれている感じがして、嬉しかったです。パッと言って何かがすぐに変わるというようなお話をしたわけではないので、今日のことは一つの種として持っておいていただいて、それがやがて何かの芽になればと思います」
亀井さん「仲道先生のおっしゃる通り、今日はテクニック的なことや具体的な弾き方を教えていただいたのではなく、考える材料や、いろいろな解釈のアイデアを提示していただくレッスンで、とても有意義でした。それを今後自分の中でどう噛み砕いて体に染み付かせていくかが、今後、音楽を自分のものにしていくうえで大切なのだろうと思います。
心に思うアイデアがあって、ではそれを音にするにはどうしたら良いのか、そのヒントをたくさんいただけました。今後、曲への向き合い方も変わっていきそうです」
吉見さん「実はこの曲は最近勉強を始めたばかりなので、舞台で弾くことも緊張しました。後期作品なのでロマン派の要素もあるのだろうと思っていましたが、ベートーヴェンにはどこか堅苦しいイメージもあるし、どこまで自分をさらけ出していいのかはっきりわかりませんでした。でも今日は先生から、もっともっと嘆いてとアドバイスをいただいて、もっと出していいのだと思いました。これからはもっと嘆く練習をしていきたいと思います!」
仲道さん「やり過ぎくらいに一度ロマンティックになって、これはベートーヴェンから外れてしまったなと思ったら、それを整えていくことはすぐにできますから。もともとないものをプラスにしていくのは難しいですけれど。それぞれに、いろいろな表現を試してみてくださいね」
Text by 高坂はる香