イリヤ・イーティン ピアノリサイタル コンサートレポート
2025年2月2日(東京文化会館 小ホール)
ロシアピアニズムの真髄を継承するピアニストとして世界的に活躍しているイリア・イーティンさん。詩情とロマンにあふれるスクリャービンとラフマニノフのプレリュードを通して、あらゆる芸術が花開いたロシアの「銀の時代」を鮮烈に彫琢しました。
⬛️プログラム
スクリャービン:24のプレリュード 作品11
ラフマニノフ:10のプレリュード 作品3、作品23、作品32より
作品3 第2番 嬰ハ短調「鐘」
作品23 第1番 嬰ヘ短調
第3番 ニ短調
第4番 ニ長調
第7番 ハ短調
第6番 変ホ長調
作品32 第6番 ヘ短調
第7番 ヘ長調
第10番 ロ短調
第13番 変ニ長調
プログラムの前半は、スクリャービン《24のプレリュード》。「コサックのショパン」と称されたスクリャービンが10代から20代前半にかけて作曲した小品の数々が、ショパン《24のプレリュード》にならって、平行調の組み合わせによる5度圏をめぐる構成で繰り広げられていきます。それは、まさに若き日のスクリャービンの心の風景。ハ長調の第1曲から、ヤマハCFXの色彩豊かな音色を飛翔させ、イーティンさん自身が「絶妙に虹色で明るい魔法」と形容した24の宝石のような世界が次々と描き出されます。長身痩躯の凛とした演奏姿勢はあくまでも美しく、脱力した自然な奏法で鍵盤を絶妙にコントロールし、繊細なニュアンスに満ちた音色で、愛、哀しみ、夢、あこがれ、神秘、さまざまな情感が渦巻くストーリーが生き生きと創出されました。
後半は、ラフマニノフのプレリュード。冒頭の作品3の嬰ハ短調「鐘」は、モスクワ音楽院を卒業した翌年にラフマニノフが作曲した《幻想小品集》の第2曲で、クレムリン宮殿の鐘の音にインスピレーションを受けて作曲されたと伝えられる名曲です。冒頭のフォルティシモの下降音型の荘厳な響きをヤマハCFXから引き出し、イーティン氏が「すべてが壮大なスケールにあるラフマニノフの宇宙」と語るドラマが幕を開けました。
作品23からイーティンさんが選んだのは5曲。陰影に満ちた左手の分散和音の上にゆったりと憂いを秘めた旋律が奏でられる第1番、民族色を感じさせる軽快なメヌエットのリズムが印象的な第3番、3連音符の左手の伴奏の上にロマンティックな右手の旋律が揺れ動くノクターン風の第4番、まるでエチュードのように16分音符が駆け巡り、激情がほとばしる第7番、幻想的な美しさを湛えた第6番、そして作品32からは4曲。激しいエネルギーが爆発するような第6番、ヘ長調の穏やかな雰囲気のなかで軽やかなリズムの反復にのせて右手と左手が優しく歌い合う第7番、寂しく瞑想的な旋律がゆったりと歌われた後、遠くに鐘の音が響き、幻想的な世界が広がる第10番、重厚な響きで最初の「鐘」とのつながりを感じさせる華やかな第13番、調性、曲想を有機的に結びつけ、切れ目なく演奏した壮大な宇宙が完結しました。
鳴り止まない拍手に応えて、「ありがとうございます。もう少しラフマニノフを聴いてください」と日本語で語り、アンコールは、作品32の第12番と第5番。冬のロシアの雪道をソリが走る場面を描写しているといわれる第12番、リリシズムあふれる抒情的な第5番、モスクワ音楽院時代の恩師、レフ・ナウモフ氏に、「君はラフマニノフを弾くために生まれてきたピアニスト」と称賛されたイーティンさんの唯一無二の音楽世界に魅了された聴衆からの拍手はさらに高まり、感動的なコンサートの幕を閉じました。
東京文化会館 小ホールのリサイタルシリーズで、数々の名演を繰り広げてきたイーティンさん。愛してやまないホール所蔵のヤマハCFXは、「こう弾きたいと思うことのすべてをかなえてくれる楽器」と語り、東京文化会館が2026年春から大規模改修に入る前の最後のリサイタルという意味で、聴衆にとってもイーティンさんにとっても感慨深いコンサートとなりました。ホール改修後、また素晴らしい演奏を聴かせてくれることを期待します。
Text by 森岡葉、写真:武藤章