コンサートレポート

コンサートレポート

ヤマハのDisklavier™(ディスクラビア)の技術を活用し、イリヤ・イーティン氏と遠隔にいる受講生たちをつないで行われた「ピアノ リモートマスタークラス」。最新技術を駆使した貴重なレッスンとなりました。

2022年6月25日(ヤマハグランドピアノサロン名古屋)

リモートマスタークラス

 自動演奏機能を搭載したヤマハのアコースティックピアノ、ディスクラビア。ディスクラビア同士をインターネットでつなぐことで、奏者の鍵盤やペダルの動きを光センサーで感知して別のディスクラビアに送り、リアルタイムで再現させることも可能です。従来のオンラインツールとは異なり、離れた場所にいながら相手が演奏する音を目の前で、生で聴くことができるのが最大の特徴です。

 今回開催された「ピアノ リモートマスタークラス」でも、この技術が活用されました。講師を務めたのは、正統派ロシア・ピアニズムの継承者であり、現在は武蔵野音楽大学客員教授でもあるイリヤ・イーティン氏。名古屋、東京、広島にディスクラビアを配して3拠点を接続し、名古屋からイーティン氏が東京と広島の受講生3人にリモートで指導します。

 ジュリアード音楽院やUCLAなどのマスタークラスに招聘されているイーティン氏。リモートレッスンは、すでに15年ほど前から行っていたと話します。
「たとえば、私がジュリアード音楽院のプレ・カレッジで教えていた11~12歳の生徒さんには、私が来日してからも定期的にオンラインでレッスンを行ってきました。彼はもう25歳になります。現在、世界各都市に生徒さんがいて、昨日もロンドンの生徒さんのレッスンを行ったところです。コロナが大流行した際、私はニューヨークにいたのですが、東京とのレッスンもオンラインで行いましたね。朝6時からのレッスンは大変でしたが(笑)」
一方、ディスクラビア同士をつないでのリモートレッスンは初めてとのこと。各会場にはディスクラビアのほか、横からの全体映像と真上から手元を映す2台(東京は3台)のカメラが設置され、ピアノの演奏以外の音声はスピーカーを通して届けられます。

 最初に登場したのは、「ロシアの先生なので、どのように教えてくださるのか楽しみ」と語る広島・エリザベト音楽大学の末田莉音さん。チャイコフスキー「ドゥムカ-ロシアの農村風景 Op.59 ハ短調」の演奏が始まると、イーティン氏の研ぎ澄まされた耳と目がそこに集中していく様子がうかがえます。
 演奏後、「この曲をどんなふうに組み立てていくか。ドゥムカだろうとソナタだろうとシンプルに歌であって、構成がありますよね。何の後に何が起こって…という関係性や物語を考えないといけない。つまり、すべてのパートにおいてどういうインパクトで弾くかがとても大事」とイーティン氏。その後、気になった部分について、自身の演奏を交えながら具体的なヒントやテクニカル面からのアドバイスを提示。細やかな指導が行われました。

 続いては、東京の会場をつないだリモートレッスン。ピアノ指導者である岡本順子さんは、レッスン曲としてショパン「ソナタ No.2 第1楽章」を携えてきました。「ここはテンポのコントロールが難しい」「この部分を歌いたい」など自身が感じる問題点について質問していきます。
「やることがたくさんあって脳が把握しきれないので、仕事が終わった左手はいち早く次の場所に行って待機していること。それが、テンポを助けることにもつながります」など指の動きや肘の使い方、ペダルの踏み方まで多角的なアイディアに満ちたイーティン氏のアドバイスが続きます。その指導により、確実に変化していく音を聴いて取ることができました。

 3人目の受講者は、同じく東京で参加している東京藝術大学大学院の柴田浩希さん。レッスン曲は、2週間後に迫ったコンペティションで弾くベートーヴェン「ピアノソナタ テンペスト」です。「楽章ごとの特徴や色の切り替えがうまくいっていないのでアドバイスしていただきたい」とレッスンに臨みました。
「良く弾けていますが、ショックを与えるというセンスが足りません。ベートーヴェンは、自分が思ったことをそのままに作曲して世の中に出した人。バッハもモーツァルトもすごいけれど、ベートーヴェンのようにユニークなアーティストではありませんでした。ベートーヴェンを演奏するときには、あなたがそのようにならなければなりません」とイーティン氏。さらに、「今まで天使が舞うような感じだったのに、ここでは悪魔。あなたの演奏は、その違いが十分じゃない」など、コントラストについての細やかな指摘と効果的な音を出すためのテクニックが伝えられました。

 遠隔地にいながらにして、まるで同じレッスン室にいるかのようにみるみる吸収していった受講生たち。
「ふだんは横に先生がいますが、今日は目の前で鍵盤を見ることができて勉強になりました」と末永さん。岡本さんは「真上からのカメラで、先生の弾き方を見ることが出来てわかりやすかったです。また、そのまま弾いてくださっている感じなので音量がリアル。これだけ出していいとか、これだけ軽く弾いていいかなどがよくわかりました」。「自分が弾いているピアノからイーティン先生の音が出るのが新しい体験。ここまでコントラストをつけているのだとはっきりわかりました」と話す柴田さんにとっても、実り多いレッスンとなったようです。

 一方、イーティン氏も多くのメリットを感じたと話します。
「これまでのオンラインツールでは、インターネットの接続がうまくいったとしても、これが本当の音なのか推測に頼らなければいけない部分がありました。でも、ここでは本物の音を聴くことができるのです。そして、音は大切な情報源のひとつではあるけれど、生徒の体をチェックし、どのように表現しているのかも見なければなりません。ディスクラビアでのリモートレッスンでは音、鍵盤、ペダル、スクリーンなどチェックすべきものはたくさんありますが、より多くの情報を私に与えてくれます。レッスンの限られた時間の中では、その中から私が何を選び、伝えるかが重要ですね」

 突出した才能と卓越した技法を持つピアニストとして常に第一線で活躍しながらも、指導にも情熱を注ぐイーティン氏。教育について、どのようにとらえているのでしょうか。
「多くの教師は、常に最高の生徒のことを話します。たとえば、どの先生も『私の生徒が大会で優勝したのは、私がうまく教えたからだ』と言いますよね。しかし、『私の生徒が大会で勝てなかったのは、私がうまく教えられなかったからだ』と言うのは聞いたことがないでしょう。少なくとも私は、一度も聞いたことがありません。そして、多くの先生がこの生徒は才能がある、ないといったことを口にします。でも、才能があるというのはうまく教えられた生徒であり、才能がないという生徒にはうまく教えられなかったということもあり得るのです。ですから、今のこの質問はいつも私が自分自身に問いかけているものでもあります。教えるとは何だろう? どんな教え方ができるのか? 教師の役割は、生徒にツールや技術を与えるものだと思っています。生まれながらにして持っている人格は変えることはできませんが、キーからキーに移動する方法や大きな音で弾く方法、小さな音で弾く方法などは教えることができます。そのスキルを使って何をするかは生徒次第です」

 そして最後に、ピアノを学ぶ若者たちに、こんな言葉をくださいました。
「私を含め、ピアノを弾いている人たちはとても幸運なのだと思います。ベートーヴェンのソナタやショパンのノクターン、バロック……それら弾くことは特権であり、誰もができることではないことをすべての学生に覚えていてほしいです。それは、とてもとても特別なことなのです」

Text by 福田素子