ロシアンピアニズムの教祖ゲンリヒ・ネイガウス門下レフ・ナウモフに師事し、リーズ国際ピアノコンクール優勝を初め、数々の国際コンクール優勝・入賞歴を持つイリヤ・イーティン氏は、今まさに円熟の期を迎えようとしている。いささかの衰えも見せないテクニック、飽くなき探求心と鮮烈なイマジネーションに接する時、居住まいを正さざるを得ない。まことに稀有なるアーティストと言えよう。
2022年10月19日(東京文化会館小ホール)
■プログラム
メトネル:忘れられた調べ 第1集作品38
1.回想ソナタ
2.優美な踊り
3.祝祭の踊り
4.川の歌
5.田舎の踊り
6.夕べの歌
7.森の踊り
8.回想的に
ラフマニノフ:12の歌作品21より≪リラの歌≫
ラフマニノフ:6つの歌作品38より≪ひなぎく≫
ラフマニノフ:ピアノソナタ第2番作品36変ロ短調
これまでイーティン氏のリサイタルは幾度となく拝聴しているが、Allドビュッシープロであれ、All ショパンプロであれ、氏の演奏はあたかも今この瞬間それらの作品が生まれ出たかのような新鮮なインパクトとファンタジーをもたらせてくれるのである。当夜のプログラムはAll ロシアもの。メトネルもラフマニノフも祖国ロシアを離れ、二度と戻ることなく異国で生涯を終えている。まずは、メトネルの「忘れられた調べ」第1集作品38から。
ノスタルジックでもの悲しい調べは心痛む記憶を呼び戻されるよう。そうした感傷を、氏は驚くほどポリフォニックに表し、各声部はたっぷりとしたフレージングの中、澄んだトーンと共に心の奥底にあるものを切実に歌いかける。二人の交し合う魂の会話を聴くよう。そして紡ぎだす音のなんと豊かで美しいことか。イーティン氏の鋭利な感性は斬新な手法でこの作品に新たな息吹と光を投げかけている。明るい舞曲にもどこか愁いが漂い、一音一音に宿る色彩と、ロシアンピアニズムならではの豊饒で深い響きやポエティックなルバート等が混然一体となり、我々を、遠く日常を離れた世界へと運ぶ。まさしく“音の魔術師”と呼びたい氏のピアニズムに只々酩酊するのだが、それこそがアートの原点ではないだろうか。
休憩を挟み、後半はラフマニノフ一色。詩情とロマンティシズムに満ちる「リラの歌」の各声部には、この世のものとは思えない芳香が立ち込め、陶然とさせられる。2曲目「ひなぎく」からも、名状しがたい美の香気と永遠性が伝わって来る。そしてアタッカを掛け、ソナタ第2番へとなだれ込む。冒頭の数秒で、聴く者は覚睡し、打ちのめされる。この音楽は温暖な四季が移ろう日本の風土からは生まれ得ないものであろう。なんたるスケールの大きさと強烈なインパクト。イーティン氏は一体どのようにスコアを読み取っているのだろうか、と問いたくなるほどに、各声部の恐るべき表現力に圧倒される。1台のピアノから、3人のピアニストたちの個性が聴こえてくるよう。彼方へと突き抜けるように響く1音の持つ存在感。悠揚迫らざる時間の取り方とミステリアスな音空間。そしてフレージングの芸術性と雄弁な説得力。1人の人間が1台のピアノに向かい、かくも広大でドラマティックな世界を構築することが出来るものなのか。氏はピアノという楽器の持つ可能性を極限まで引き出そうとしており、ヤマハCFXはその要求に応えていた。五臓六腑に染み渡るバスの一撃。クリスタルを撒き散らしたような高音の煌めきが、今も耳に残る。
濃密なメランコリーとノスタルジー漂う第2楽章からは、ロシアの広大な原野が広がる。そこには特有な時が流れ、心の叫びを受け止めてくれる大地のぬくもりと優しさがある。氏の演奏は、今この瞬間に我々が生きていることを熱く感じさせてくれる。切れ目なく続く第3楽章は、次々と押し寄せる巨大な音の波と、大地の底から立ち昇るエネルギー。それは燃えたぎるワイルドな情念と、未来へと繋がる生命の炎のよう。それにしても心身共にスタミナを要する曲である。氏は作品のクライマックス目掛け,全身全霊で突き進む。燦然と輝くエンディングは、個人の苦しみや痛みを超越し、アートの力と勝利を刻みつけるかのよう。
アンコール1曲目は、チャイコフスキーの「四季」から≪10月≫。突き抜ける悲しみは昇華され、雪の結晶のように形づけられる。芸術とはこのようなプロセスをたどるのであろう。氏の演奏は紛れもなくアーティストの手と魂によるものであった。次にショパンのノクターン変ホ長調作品90-2。聴き慣れた名曲であるにもかかわらず、洗練され、宝石のように美しい演奏に、新たな感動を覚えた。壮大なラフマニノフのソナタのあと、この2曲をアンコールに用意した氏の優しさに、心打たれた。
Text by 藤巻暢子