繊細な弱音に多彩なニュアンスをのせ、ゲルネの旅路を滋味豊かに導いたピリス
2024年11月2日(サントリーホール 大ホール)
11月2日、サントリーホールを会場として、現代ドイツ最高峰のバリトンの一人、マティアス・ゲルネが、ポルトガルの国宝級ピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスをデュオ・パートナーとして、シューベルトの連作歌曲集『冬の旅』全曲を一夜のみ歌った。
といっても、これは、ゲルネがピリスにピアノを依頼した歌曲リサイタルではない。2018年に一旦引退を表明したものの、その後、演奏会場に復帰したピリスが、大切なレパートリーとするシューベルトへの意欲を燃やし、『冬の旅』をゲルネと協演したい、と希望して実現した、二者完全対等のデュオ・リサイタルである。近年ではこのような、ソリスト同士の『冬の旅』の機会が増えてきた。ピアニスト自身の解釈が歌手のそれと互角に渡り合い、溶け合うことによって、新たな角度から作品が照らされることは喜ばしい限りである。
存在感抜群のピリス
当夜のピリスは、もちろんソロのときよりもぐっと音量を抑えてはいるが、存在感抜群である。まず、よく透る弱音で第1曲『おやすみ』のあの痛切な前奏を弾き始めた。もうそれだけで、聴き手は、荒涼としたドイツの冬の街はずれへと誘われる。ゲルネが歌い始めると、失恋相手の住む街に密かに別れを告げ、月に照らされた自分の影だけを道連れとして、あてどのない旅に出る若者の姿が浮かんでくる。ピアノは一見、淡々と和音伴奏を続けるのだが、その和音が刻々とニュアンスを変えていく。第2曲『風見の旗』では、歌手は若者の鬱屈した心情を代弁して、風見の旗に八つ当たりする。それに対してピアノは、一緒になって荒れることはせず、やや距離を置く。歌手が同じように感情をあらわにする第4曲『かじかみ』でもピアノは冷静だ。そして第5曲『菩提樹』では、すべてを包み込むようなおおらかな滋味を音に乗せた。菩提樹の葉が月光を受けてきらりと光るさまも、ピリスの絶品の弱音から目に浮かんだ。
動きも交え感情表現豊かなゲルネ
ゲルネはまことに表情ゆたかである。というのも、声に乗せる感情表現の幅が極めて広く、奥行きも深いばかりではなく、歌唱に動きも伴うからである。彼は往年の名歌手ホッター、フィッシャーディースカウらのほぼ直立して位置を変えることなく歌う歌唱とは異なり、感興の湧きあがりに応じてピアノの前を歩き回り、手ぶりも交えて全身で歌詞内容を語る。その迫真の歌唱を、終始、静かに見守り弱音で寄り添いながら、実は主導権をとっているのはピリスかも知れない。そのバランス関係が絶妙で、小柄なピリスの抑制の効いた思索的なピアノが、表現巧者ゲルネの手綱をほどよくさばいていた。
1曲ごとに悲嘆の色調と諦念を強める若者の旅
第11曲『春の夢』でほんのひと時明るんだ『冬の旅』の世界も、曲の途中でもうそれは束の間の夢であることが明らかとなり、次の『孤独』で再び辛い一人旅が再開される。第13曲『郵便馬車』では、付点音符の弾んだピアノに乗り、歌は溌溂と歌われるが、「マイン・ヘルツ、マイン・ヘルツ」に自嘲の響きが溢れる。
シューベルトは、ウィルヘルム・ミュラーの原詩の順を適宜入れ替えて、物語性を一層際立たせた。だから、若者の救いのない旅は1曲ごとに悲嘆の色調と諦念を強めていく。たとえば、第15曲『からす』では、彼の孤独な旅についてきた一羽のからすも、実は友ではなく、彼の死を待ち構えてその体を餌にしようとする捕食者だと、若者はみている。『村で』のピアノパートで執拗に鳴らされる低音のトレモロは、彼をよそ者として追い払おうとする村の飼い犬の唸り声である。ゲルネの歌唱もピリスのピアノもそんな絶望的な周辺環境をよく伝えていた。
最後の音型を弾き終え、そっと身を伏せたピリス
第18曲『あらしの朝』、第19曲『幻覚』、第20曲『道しるべ』と曲は進み、第21曲『宿屋』のピアノ前奏にこめられた、悟りとあきらめの境地が聴く者の胸を切なくえぐる。詩人ミュラーは、墓場を宿屋と表現し、ついに死に場所をみつけてそこを永遠の宿と定めた若者の境地を言葉に乗せ、シューベルトは温和な曲調にその境地を歌いあげた。ここでのピリスの沈潜したピアノは、全曲の白眉であった。
第23曲『幻の太陽』で、一瞬、彼女の瞳の瞬きを思い返した若者は、第24曲『辻音楽師』で、うらぶれた路上音楽家の姿に哀れな自分を重ねて、深いあきらめの淵に沈んでいく。同じ音型を繰り返すピアノ。それは、老音楽師の回す手回し楽器の音型だ。本来ならぐるりと回ることに機械的に同じ音型を奏でるだけの楽器だが、ピリスは、一回ごとに表情を変えていき、最後の音型を弾き終えると、そっと身を伏せて、静寂のうちに幕を引いた。
ピリスが立ち上がるのを待って、静かに拍手が湧き始め。それが次第に満場の大拍手へと発展し、聴衆は一人、また一人と、立ち上がっていった。
ピアノ:ヤマハCFX(持ち込み)
写真:武藤章
Text by 音楽評論家 萩谷由喜子