ピアニストの牛田智大さんが、北海道の旭川市で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタとショパンのエチュードという、ピアノの魅力を存分に伝えるプログラムを披露。子供から大人まで、客席に集った聴衆を魅了しました。
2023年9月12日(旭川市大雪クリスタルホール 音楽堂)
■プログラム
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番「熱情」ヘ短調 Op.57
ショパン:12の練習曲 Op.10
[アンコール]
パデレフスキ:ノクターンOp.16-4
シューマン:ピアノソナタ第1番第2楽章
シューマン:トロイメライ
2023年9月12日、北海道、旭川市の大雪クリスタルホール音楽堂で、牛田智大さんのピアノリサイタルが行われました。大雪山を臨む地域にあるこの会場は、視覚的にも音響的にも美しく、またその響きには木のぬくもりが感じられるコンサートホールです。
この日のプログラムの1曲目に置かれていたのは、ベートーヴェンの後期3大ソナタのひとつである、ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 Op.110。冒頭からやわらかい響きがホールに広がり、聴き手をぐっと深い世界に誘っていきます。
ベートーヴェンが楽譜に記したあたたかいハーモニーがしっかり聴衆の耳に届くようなテンポ感で、フレーズごとに情感を込めながら弾き進めてゆく牛田さん。作品に寄り添いつつ、自分の歌い方をしっかりと貫いて音楽を創っていきます。ピアノからさまざまな音色を引き出し、時折、効果的に音の余韻を残すところも印象的。聖と俗のはざまをさまよい、最終的に何かから解放されるかのような人生のストーリーを感じるこの作品で、静謐さも保ちつつ、起伏に富んだドラマを描き上げました。
続けて演奏されたのは、中期のピアノ・ソナタから第23番ヘ短調 Op.57「熱情」。CFXの音のパワー、自然によく鳴るポテンシャルを生かして、牛田さんは「熱情ソナタ」の魅力とエネルギーを浮き彫りにしていきます。感情をぶつける部分や弱音で引き込む部分などメリハリをつけて表現しながら、正面から深く音楽に入っていることが伝わる演奏を聴かせてくれます。音楽の流れを大切に、のびのびとダイナミックに弾き進めてゆく様子からは、牛田さんのまた新しい一面を見せてもらったように感じました。
そして後半はショパンのエチュードOp.10。ショパンの心の移り変わりを自らの中で噛み締めるように、ピアノの持つ音色の幅の広さを生かして、牛田さんは12曲のエチュードの表情の違いを細やかに描き分けていきます。
クリスタルのようなつややかでよく通る音を鳴らしたかと思えば、霧のようにやわらかく包み込むような音も鳴らし、そのドラマを追っていると、あっという間に終曲の「革命」へ。力強いタッチでドラマティックな音楽を奏で、エチュードのフィナーレを飾りました。自分の世界を大切にしながらも、ショパンの音楽に寄り添う姿勢が感じられる、真摯な演奏を聴かせてくれました。
アンコールには、まずショパンと同じポーランドの作曲家、パデレフスキからノクターンOp.16-4。空気をたっぷり含んだような音で、ショパンとはまた一味違ったなつかしい夜の音楽を奏でます。
さらなる拍手に応え、ショパンと同時代のドイツロマン派の作曲家、シューマンのピアノ・ソナタ第1番から第2楽章「アリア」、そして「トロイメライ」。繊細なニュアンスをつけてしっとりと歌いながら、それぞれの小品が持つ、愛らしく穏やかなドラマを描き上げます。最後の響きが消える瞬間までを大切に、丁寧な演奏を聴かせてくれました。
この日のCFXでとにかく印象的だったのは、ふくよかで優しい声のような音色。事前に牛田さんご自身が東京で選定したというピアノですが、ホールともうまくなじんでいました。牛田さんはそんなピアノの長所を、本プログラムはもちろんアンコールでも存分に生かし、ピアノで歌い、ときに力強く語っていました。すべての演奏を聴き終えた後には、何かとてもあたたかい音楽を聴いたという印象が心に残りました。
客席にはピアノを勉強中と思われるお子さんの姿も見られました。子供の頃から舞台に立ち、今や世界に羽ばたく牛田さんによる名曲の演奏の数々は、憧れとともに、子供たちの記憶に残ったことでしょう。
Text by 高坂はる香