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マリア・ジョアン・ピリス さん 手に入れた何かを自分だけのものに留めておけば、それはすぐに役に立たないものになってしまいます。 この記事は2018年6月5日に掲載しております。

2018年春、最後の日本ツアーとして全国各地のステージに立ったマリア・ジョアン・ピリスさん。未だ現役ピアニストとして人気を集めている状況にありながら、コンサート活動から引退することを表明した背景にある想い、今の音楽界について感じていることについて、お話を伺った。

Profile

pianist マリア・ジョアン・ピリス
© Felix Broede

pianist
マリア・ジョアン・ピリス
現代を代表するピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスは、芸術への真摯な姿勢、語りかけるような表現力、そして生命力にあふれた演奏で聴衆の心をつかんで放さない。リスボン生まれ。4歳で初めてステージに立ち、9歳でポルトガル政府より青少年音楽家に対しての最高賞を授与される。その後リスボン大学、ミュンヘン音楽アカデミー等で学ぶ。
その長い演奏活動では世界の主要都市でのリサイタルやウィーン・フィル、ベルリン・フィル等の著名なオーケストラ、アバド、シャイー、ブロムシュテット等の指揮者との共演を数多く行っている。また、録音も多く、特にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン等数多くの名盤を残している。1970年以降、芸術や音楽が人間や社会に与える影響を研究し、その成果として世界中の学生と共に学ぶ「パルティトゥーラ・プロジェクト」を立ち上げ、数多くのワークショップを行ってきた。
ピリスは2018年のシーズンをもって引退することを公式に発表した。4月、コンサートツアーとしては最後の日本公演を行ったが、ワークショップなど教えることは当分続けていきたいとのこと。
※上記は2018年6月5日に掲載した情報です。

今の自分には、自由なスペースが必要

 2017年秋、マリア・ジョアン・ピリスさんが、翌年のシーズンをもってコンサートピアニストとしての活動から引退するというニュースが伝えられた。ピリスさんはまだ70代前半で、そのピアニズムは今も至高の輝きを放つ。円熟の時を迎え、これからまた一段と深まる演奏活動を期待していた多くの音楽ファンは、衝撃を受けた。
 この春、最後の日本ツアーには彼女の音を胸に刻もうと多くの聴衆が詰めかけ、いずれの公演もチケットは完売となった。人々からまだこれほどに求められている中、ピリスさんが引退を決意したのはなぜなのだろうか。
「誰しも、演奏活動を辞めることを決断すべきときがあります。私にとって、永遠に演奏を続けようとすること……つまり、演奏ができなくなるぎりぎりまで弾くことは、良い考えとは思えなくて。それにここ数年、プレッシャーやストレスをますます強く感じていました。ピアニストとしてツアーをまわる生活は、旅ばかりだし、責任も大きく、肉体的にも精神的にも大変です。多くの時間とエネルギーを消耗します。今の私には、もっと自由なスペースが必要です。自分のために何かをする時間がほしいというのではなく、クリエイティブで新しいことをするための可能性を確保したいのです。
 とはいえ、ピアノを弾くことや音楽の勉強を辞めたいということではありません。私が辞めたいのは、コンサートツアーや大きなホールでの演奏活動です。もう、こうしたキャリアの中に身を置く生活から離れたいと感じています」

 ワークショップ(パルティトゥーラ・プロジェクト)や録音、小さな場所での演奏はこれからも行うつもりだと聞いて、まだ彼女の音楽を聴くチャンスは残されているということに、少し安心した。
 ピアニストは、作曲家に向き合い練り上げた音楽をもって、大ホールを埋める聴衆を前に一人で舞台に立つプレッシャーを常に抱え、ときに聴衆や評論家から厳しい評価を下されることもある。今、彼女はそういったストレスから解放される道を選んだわけだが、これまでは長きにわたり、それに耐えてきたということだ。一体どのようにして困難を越えてきたのだろうか。
「演奏の評は見ないことにしているので、私のストレスは他の演奏家より一つ少ないですが(笑)、その他のあらゆることをどう乗り越えてきたか……時々は乗り越え、時々は乗り越えられなかったというのが正直なところでしょうか。いずれにしても、常に大きな努力を続けてきたことは確かです。若い頃は、音楽に熱中しているうちに乗り越えてこられましたが、年を重ねた今は、もっと自分をいたわりたいと感じます。もちろん、ピアニスト人生を振り返れば、すばらしい演奏家や仲間との出会い、すてきな経験がたくさんありました。でも同時に、困難も本当に多かったですね」

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※上記は2018年6月5日に掲載した情報です。