開発者インタビュー: 現場での操作性とモチベーションにこだわり進化したフェーダーノブ
ライブ会場、熱狂する聴衆。そこにはいつも冷静に音を調整するミキシングエンジニアがいます。ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラム。あらゆるフェーダーを緻密に操作し、理想的なバランスで音楽を再構築。「本番中、常に演目に向き合い、ノブに指を置き操作し続けるエンジニアのために、ヤマハができることは何だろう」。こんな想いから、コンマ数ミリというノブの微妙な形状を模索する旅がはじまりました。CLシリーズより採用されている新たに進化したフェーダーノブに込めた思いを開発者インタビューでお届けします。
(左)ヤマハ株式会社 PA開発部 CAミキサーグループマネジャー 岡林昌明 プロフィール:1987年入社。デジタルミキサーの黎明期より信号処理開発に携わり、現在は開発責任者をつとめる。DMR8、 ProMix01、DM/0シリーズ、PM5D、M7CL、LS9、CL/QLシリーズなどを手掛ける。
(右)ヤマハ株式会社 デザイン研究所主事 伊藤雅文 プロフィール:1991年入社。電子キーボードを皮切りにデジタルドラム、クラビノーバ、エレクトーン等の製品デザインに携わり、現在はPA担当チーフデザイナーとしてCLシリーズ、RIVAGE PM10をはじめとするPA製品全般のデザインに関わっている。
新しいフェーダーノブを開発するにあたったきっかけを教えてください。
岡林:
ヤマハデジタルミキサーが25周年を経て次世代に突入するにあたり、「音・音楽」に向かい合うミキサーの最も重要な操作子であるフェーダーノブの操作性、デザインから刷新したいと思ったのがきっかけとなり、伊藤さんと会話を開始しました。
伊藤:
様々な操作性や外観デザインを持ったコンソールが世に存在する一方で、その操作子の要であるフェーダーノブは基本形状や素材、製法が画一的でデザインの進化の余地がまだまだあり、今までとは違う発想でより機能的で魅力的なパーツに進化させたいと考えました。
フェーダーノブはエンジニアにとってどのような位置づけになるものだと思いますか?
岡林:
ライブに於いて、ミキシングエンジニアは演者の次に音・音楽の表現を行う重要な存在です。多くの聴衆に舞台で繰り広げられている芸術を高品位に平等にお届けするという意味においては最も重い責任を負います。また、制作に於いてもリスナーに向けて最高の音・音楽を仕上げる責任があります。ミキシングの基本はバランスをとること。発せられる音・音楽に呼応して自分の感性で再構築していく作業において、フェーダーは長時間に渡って最も多く操作されるため、フェーダーノブはヒューマンインターフェイスの要と言えます。
伊藤:
飛行機やレーシングカーのハンドルのように長時間触れながらも、ここ一番で微細なコントロールができること、またそれを日々の仕事で頻繁に使うなかで身体に馴染み、かつ特定の部位に無理な負荷を掛けないものであるべき。しかし乗り物のハンドルと大きく異なるのは、一つの機器にそれが複数存在し、複数の指で同時に操作したり、それらの位置関係を確認したりする必要があることです。フェーダーノブはそのような特殊な道具における人と機械の接点であり、また音響の知識やセンスを持ったエンジニアの表現手段の要とも言えます。もちろん機能が第一でありながらも、エンタテイメントの現場において使い手の好奇心やモチベーションに良い意味で刺激を与えるような物としての魅力を兼ね備える必要がありました。
新しいフェーダーノブを開発するにあたって、こだわった点をいくつか教えてください。
岡林:
この3点に拘りました。
1.エンジニアの感性を正確に表現できること。
2.長時間のオペレーションでも疲れることなく操作できること。
3.フェーダーに目をやったときに全体の状態が一目で確認できること。
伊藤:
この3点を実現するために細部までデザインを行っています。現行ノブの基本寸法を維持しながら機能と外観を同時に進化させるため、横幅を1mm広げ、天面は左右方向にもカーブを持った3次曲面に改良、センター指標は指で触感できるよう凸状にしました。その結果ノブを真正面からだけでなく、斜め方向から操作しても心地良いホールド感が得られるようになりました。また、前後の面にも凹みを持たせ、例えばノブを手前から奥にゆっくり押してレベルを上げたり、二本の指でつまんで素早くノミナルに合わせるといった操作もしやすくなっています。同時にノブの側面をえぐることで、パネル面の目盛の視認性向上も図っています。なめらかに屈曲するシルバーメッキの薄板部と下側のブラックの台座、それらを結びつけるかたちで中央に存在する指標の構成が独自の造形を生み出しているこの新しいフェーダーノブには、様々な操作ポジションやオペレーションを配慮しながら新しい機能と形が盛り込まれています。
フェーダーノブの開発とはどのように進んでいくものですか?
岡林:
企画者がインダストリアルデザイナーにコンセプトを伝えることから始めます。今回は私から伊藤さんにコンセプトを伝えるという形です。優れたインダストリアルデザイナーであってもミキシングのプロではありませんので、多くの現場に足を運び、ミキシングエンジニアと会話し、ミキシングしている環境や気持ちを理解するところから始めました。その後、デザイナーはその思いを汲んで形にすることを始めます。
伊藤:
まずは現行品の長所短所、細かな寸法を調べ、維持すべき部分と進化できそうな部分を分け、ハンドスケッチや手加工によるスチロールモデルによって様々にアイデアを展開し、それを開発メンバーと共有して方向性を絞り、その後よりリアルなモデルを作ります。今度はそれを持って国内外のエンジニアを回り、意見を収集し、それをフィードバックして方向性と形をまとめ上げます。その後は量産できる形や仕上げを吟味して最終形に至ります。
新しいフェーダーノブはどれぐらいの国や地域で評価してもらいましたか?
岡林:
主に北米、欧州、日本です。ライブ、制作、放送など数多くのミキシングエンジニアやシステムデザイナーに評価していただきました。
また開発期間はどれくらいかかりましたか?
伊藤:
プロジェクト全体の中で進めましたので2年以上の年月をかけています。
CLシリーズから本フェーダーノブを採用したのは何故ですか?
岡林:
CLシリーズがヤマハの次世代ミキサーとして、これまで以上に「音・操作性」を改善するというコンセプトに基づいています。そしてその方針はNuageやQLシリーズ、我々の新たなフラッグシップ、RIVAGE PM10にも継承されています。
伊藤:
本フェーダーノブはCLシリーズだけを意識したものではなく、今後のヤマハの理想形として考え抜いたものです。
新しいフェーダーノブに対する市場評価はいかがですか?
岡林:
これまで存在しなかったユニークな形状、操作感が美しさと機能を両立できていると評価いただけています。
伊藤:
機能だけでなく斬新な外観としてフォルムと併せてミキサー全体の印象感を気に入っていただけていると捉えています。またノブだけの評価ではありませんが、新フェーダーノブを採用した最初のモデルとなるCLシリーズは各国の主要デザイン賞も受賞することができました。
新しいフェーダーノブを通じてお客様に何を感じていただきたいですか?またお客様へのメッセージをお願いいたします。
伊藤:
まずは現場でストレスなく快適に様々なスタイルでミキシングを行っていただきたいですね。そのうえで同ノブならではの操作フィーリングや特有の気分を味わっていただき、それが現場でのエンジニアの志気の高まりにつながり、そこから感動的な音楽やイベントが生まれれば本望です。
岡林:
音・音楽を司る道具としてミキシングを楽しんでいただきたいです。より芸術性の高い作品がこのフェーダーノブを通じて作られていくことを期待しています。