アルス・ノヴァ(新芸術)の音楽

音楽史について学ぶ

14~16世紀の音楽

アルス・ノヴァ(新芸術)の音楽

14世紀に入ってまもなく、フランスのヴィトリ(Ph. de Vitri, 1291-1361)が、14世紀初頭の新しい音楽について理論的にまとめ、それを《アルス・ノヴァ》と題して発表したことから、この時期の音楽をアルス・ノヴァとよぶようになりました。そして《アルス・ノヴァ》は後には、14世紀全体の音楽を意味する言葉として用いられるようになったのです。

ノートル・ダム楽派の活動は、13世紀半ば頃に終わりますが、その後、アルス・ノヴァまでの時期の音楽をアルス・アンティクワ(古芸術)と呼んでいます。そう呼んだからといって、けっしてその内容が古いというわけではなく、アルス・ノヴァの時代から見れば、前代の音楽であるという意味に過ぎません。このアルス・アンティクワの時代には、定量記譜法がさらに進歩し、モテトゥスと呼ばれる新形式の曲がその隆盛期を迎えることになります。

オルガヌム(多声楽曲)がさまざまな形で発展していくなかで、定旋律の上声部に、定旋律の歌詞とは別に、その歌詞を説明するような歌詞がつけられるようになっていきます。その声部をモテトゥスと呼んだことから、そういう技法による楽曲そのものをモテトゥスというようになったのです。当初モテトゥスと呼ばれていたその上声部には、すでに説明したように、定旋律の歌詞の説明という役割がありました。そのため、その歌詞がフランス語で書かれるようになると、結果的に、同時に異った国の言葉で歌われるという結果を招いたのです。そして、それはまた世俗的な歌詞の導入、さらには、世俗的な音楽の旋律の使用という現象を導くことにもなり、音楽そのものが世俗性を強く帯びるようになっていったのでした。

アルス・ノヴァの音楽は、前代のそうした変化を受け継ぎ、さらに新しい技法上の変革をも付け加えて、音楽を一歩進めたところに歴史的な意義を認めることができます。現実的に、まず第1にいえるのは、この時期の作曲家が、作品を書くときにポリフォニーの技法を用いたことです。たとえば、この時期の代表的な作曲家であるギョーム・ド・マショー(Guillaume de Machault, 1300頃-77)は、そのミサ曲全体をポリフォニーの技法によって書いていますが、そうした例は少なくありません。

また、この時期には、さらに定量記譜法が発達しました。従来は、キリスト教の教義的な影響から3拍子を正統としていたのが、次第に2拍子を中心にして音楽を作るようになったのも、1つの新しい傾向と考えることができます。しかし、なによりも重要なことは、音楽が世俗性を指向していたことで、その傾向は14世紀のイタリアで特に著しいものがありました。