14世紀のイタリア音楽

 

音楽史について学ぶ

14~16世紀の音楽

14世紀のイタリア音楽

フランク王国が分裂して生まれたイタリア王国は、主としてイタリアの北部地方を領有していましたが、その後、オットー大帝時代には神聖ローマ帝国の一部となってしまいました。中部は教皇領で、南部には11~12世紀にかけて侵入してきたノルマン人の国家が作られていました。

こうした分立状態のイタリアにあって、北部地方は、11世紀以来200年にもおよぶ十字軍の遠征時代に積極的にこれを支援し、いち早く、東地中海における経済圏を確保します。そして、それに協力した諸都市は最も早く近代化していったのです。港湾都市としてのヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァ、内陸の仲介貿易都市としてのミラノやパヴィアなどが、その代表的なものです。これらの都市は都市国家としての形態をととのえ、互いに対立抗争を繰り返しながら、相共に繁栄していきました。17世紀初めに音楽史上で重要な役割を果たすことになるフィレンツェも、やや遅れて13世紀後半から14世紀にかけて台頭し始めます。

ここで注目すべきことは、こうした都市を治めたのが、王侯でも貴族でもなく、都市経済の中心人物となりつつあった富裕な商人や、それをとりまく一般の市民だったということです。それはまだ、フランス革命後のブルジョワジー(近世的な意味での市民階級)とまではいかなかったものの、そうした現象のなかに、中世の封建社会がようやく崩れ始め、やがてルネサンスを迎えて、近代ヨーロッパが開幕していくのを見ることができます。そうした時代背景のもとに《神曲》のダンテ(Dante, 1265-1321)、詩人のペトラルカ(Petrarca, 1304-74)、《デカメロン》で有名なボッカッチョ(Boccaccio, 1313-75)などが現れ、画家ではジョット(Giotto, 1276-1377頃)が出て、イタリア・ルネサンスの盛期へとつながっていくのです。

そのころ、イタリアから見れば、アルプスの向こう側にあるヨーロッパ世界では、教会の大分裂時代(1378~1417)やフランスとイギリスの間の百年戦争(1337~1453)、それにペストの流行まであって、文化的にはまったくの不毛時代だったといえます。そうした世情的なバランスの不均衡が、イタリアにルネサンスをもたらしたのだといえなくもありません。

この時期のイタリアでは、マドリガルやカッチャとよばれる世俗的な音楽が盛んでした。もちろん、北部が中心で、特にフィレンツェで盛んでした。

マドリガルは、2つまたは3つの3行詩に、2行のリトルネロとよばれる詩節が付けられる形の楽曲で、自由に創作された旋律を上声部に置く二声部の曲として作られました。下声部は楽器で奏されることが多く、内容も、恋愛詩や田園詩といったもので、形式・内容ともに、きわめて世俗性の強いものでした。もう1つのカッチャは、狩猟を題材としたイタリア語の歌詞による情景描写的な曲で、三声部で作られましたが、下声部はやはり楽器で奏されました。

そのほか、バラータと呼ばれるものもありました。この時期を代表する作曲家に、フランチェスコ・ランディーノ(F. Landino, 1325頃-97)がいます。彼は盲目ながら楽器をよくし、これらの世俗的な作品を多く残しています。