音楽史について学ぶ
14〜16世紀の音楽
アルス・ノヴァ(新芸術)の音楽
14世紀に入ってまもなく、フランスのヴィトリ(Ph. de Vitri, 1291-1361)が、14世紀初頭の新しい音楽について理論的にまとめ、それを《アルス・ノヴァ》と題して発表したことから、この時期の音楽をアルス・ノヴァとよぶようになりました。そして《アルス・ノヴァ》は後には、14世紀全体の音楽を意味する言葉として用いられるようになったのです。
14世紀のイタリア音楽
フランク王国が分裂して生まれたイタリア王国は、主としてイタリアの北部地方を領有していましたが、その後、オットー大帝時代には神聖ローマ帝国の一部となってしまいました。中部は教皇領で、南部には11~12世紀にかけて侵入してきたノルマン人の国家が作られていました。
15世紀から16世紀へ
15世紀から16世紀へかけてのヨーロッパ世界は、前代に引き続いての変動の時期であり、中世的な封建社会が次第に崩れ、より強力な諸侯が国王として君臨する近代的な国家形態が成立することになります。それがやがては絶対王政による支配、つまり、近世の絶対主義時代へと結びついていくことになる、そういう時代でした。
フランドル楽派
デュファイやバンショアによって代表されるブルグンドの宮廷を中心とした音楽活動をブルグンド楽派とよんでいます。そして、それに続く15世紀後半から16世紀末までのフランドル出身の音楽家による活動を、フランドル楽派といっています。おもな作曲家には、ヨアンネス・オケゲム(J. Ockeghem, 1430頃-95)、ヤコブ・オブレハト(J. Obrecht, 1450頃-1505)、ジョスカン・デ・プレ(Josquin des pres, 1450頃-1521)などがおり、この楽派の最後の巨匠とされるオルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso, 1532頃-94)が彼らに続いて現れました。
16世紀の諸楽派
ネーデルランド出身の音楽家たちは、ヨーロッパの各地に散り、それぞれの活動を通じて、その地に音楽の伝統を築きあげていきます。そのなかで最も顕著なのが、ヴィラールトによるヴェネツィア楽派でした。
16世紀の世俗的な歌曲と器楽
この時期のイタリアでは、フロットーラ、ヴィラネラ、マドリガルといった世俗的な歌曲が盛んに作られました。時期的にはフロットーラが一番早く、15世紀の終りから16世紀の前半にかけて、主として北部イタリアで盛んになりました。この歌曲には3つまたは4つの詩節があって、その前後にリフレインがつけられ、音楽的には四声部の和声的歌曲として処理されています。一方、ヴィラネラは南部イタリア起源の歌曲で、16世紀中頃に盛んに歌われていたものですが、言葉の意味は〈田園の歌〉であり、多分に民衆的な性格を見せています。