16世紀の諸楽派

音楽史について学ぶ

14~16世紀の音楽

16世紀の諸楽派

ネーデルランド出身の音楽家たちは、ヨーロッパの各地に散り、それぞれの活動を通じて、その地に音楽の伝統を築きあげていきます。そのなかで最も顕著なのが、ヴィラールトによるヴェネツィア楽派でした。
パレストリーナ
パレストリーナ
ヴィラールト(A. Willaert, 1490頃-1562)は、1527年からヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長を務め、多くの弟子を育てました。彼と彼の後継者たちによる一群の作曲家の活動をヴェネツィア楽派と呼んでいます。その音楽で最も特徴的なのは、二重合唱の使用です。二重合唱というのは、2つの合唱隊による演奏のことで、今風にいえば、一種のステレオ的な効果を生みだす演奏法でした。聖堂内の正面に向かって、両側に位置する2つの聖歌隊の作り出す響きは壮麗で、それぞれの側に備えつけられたオルガンの響きとともに、独特の効果を上げていました。この二重合唱による2つの群の扱いという形は、後の協奏ふうな演奏効果につながっていきますし、その空間的な広がりを持つ音響効果は、それ自体、ポリフォニーの後退を意味するものといえます。

また、この楽派の音楽活動に見られる声楽と器楽の結合、純粋の器楽曲の進展、17世紀に始まる和声音楽への萌芽など、後世への影響にはきわめて大きなものがあります。とくに、二重合唱のためのモテトゥスを利用した多声形式の器楽曲カンツォーナや、器楽曲としての合奏用ソナタなどが生み出されたことは、このあとに、イタリア・バロックの器楽が開花するだけに、ことのほか重要といえます。

この楽派には、ヴィラールトのあと、ツァルリーノ(G. Zarlino, 1517-90)、アンドレア(1510頃-86)とジョヴァンニ(1557頃-1612)の両ガブリエリ(A. およびG. Gaburieli)などが出て、17世紀になってモンテヴェルディへと受け継がれることになります。

ちょうど同じ頃に、ローマにはパレストリーナ(G. P. da Palestrina, 1525頃-94)が出て、教会音楽を中心に、やや保守的ながら芸術性豊かなポリフォニー音楽を作っていました。とくに、彼の音楽は、各声部の旋律と和声との融合、いいかえれば、ポリフォニー的要素とホモフォニー的要素の均衡という点に見るべきものがあります。このパレストリーナを中心とするローマ教皇の礼拝堂に属する作曲家たちによる活動をローマ楽派という言葉で表していますが、この地に、ヴェネツィア楽派の二重合唱様式が入ってくるのは17世紀になってからのことです。

その他のヨーロッパ地域では、スペインのア・カペラ様式の合唱曲に見るべきものがあります。また、オランダにはスヴェーリンク(J. P. Sweelinck, 1562-1621)が出て、オルガン音楽の面で重要な作品を残しました。さらにイギリスでは、英国国教会の設立という宗教上の問題もあり、カトリック的な音楽も盛んになって、バード(W. Byrd, 1543-1623)やギボンス(O. Gibbons, 1583-1625)などが出て、宗教曲や世俗的な器楽曲を残しています。一方宗教改革運動が起こって混乱していた当時のドイツでは、音楽面では見るべきものがありません。