16世紀の世俗的な歌曲と器楽

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14~16世紀の音楽

16世紀の世俗的な歌曲と器楽

リュート弾きと歌い手
リュート弾きと歌い手
この時期のイタリアでは、フロットーラ、ヴィラネラ、マドリガルといった世俗的な歌曲が盛んに作られました。時期的にはフロットーラが一番早く、15世紀の終りから16世紀の前半にかけて、主として北部イタリアで盛んになりました。この歌曲には3つまたは4つの詩節があって、その前後にリフレインがつけられ、音楽的には四声部の和声的歌曲として処理されています。一方、ヴィラネラは南部イタリア起源の歌曲で、16世紀中頃に盛んに歌われていたものですが、言葉の意味は〈田園の歌〉であり、多分に民衆的な性格を見せています。

もう1つのマドリガルは、14世紀時代のそれとは関係がなく、16世紀初め頃から17世紀前半時代まで、いろいろな変遷をへて発達したものです。初期には三声ないし四声の多声曲として作られ、多分にフランドル楽派のモテトゥスに似ているところがありました。しかし、16世紀後半時代になると、むしろポリフォニックな要素が強められ、歌詞の内容を音楽で表すという描写性が強く打ち出されるようになります。そして、17世紀時代に入ると、ホモフォニックな要素が強くなり、独唱部分も多くなっていきます。

同じ頃、フランスでは、シャンソンとよばれる世俗的な歌曲の流行を見ます。これは四声部で、詩句の切れめと音楽的な段落とを一致させて、言葉を明瞭にしようとする努力が見られます。形式的には自由なものが多く、描写的な表現が強調され、後の標題音楽ふうな作品も残されていますが、16世紀後半になると、主旋律を最上上声部に置く有節形式の構造をとり、全体としては、やはりホモフォニックな傾向を見せています。
ヴィオラ・ダ・ガンバ
ヴィオラ・ダ・ガンバ
一方、器楽面では、リュート、オルガン、チェンバロとクラヴィコードなどの楽器が盛んに用いられました。リュートは、現在のギターに類似した楽器で、6本の弦を持ち、フレットがついている弦楽器です。テオルボとかキタローネというのは、このリュートの変種です。この楽器は16世紀から17世紀の中頃まで、家庭用の楽器として愛用されましたが、特徴的なのは、記譜のためのリュート・タブラチュアと呼ばれる独特の方法があったこと。これは、6本の弦を表した6本の線の上に、文字や数字を書き込み、フレットや指の位置を示す方法でした。したがって、その譜線は、現在の楽譜のように音の高低を明示するのではなく、リズムはタブラチュアの上側に書き込んで示しました。楽曲形式としては、ファンタジア、リチェルカーレトッカータもしくはプレリュード、それに変奏形式が用いられました。代表的な作曲家としては、ドイツのノイジードラー(H. Neusieidler, 1510頃-63)がおり、後のバッハにも数曲のリュート曲が残されています。

オルガンの発生は古く、ほぼ現在のような形になったのは15世紀末頃のことです(もちろん電気を使用したわけではありません)。しかし、教会に使用され始めたのはもう少し早く、9世紀頃からであり、純粋に器楽曲用に用いられるようになるのは14世紀頃からです。そして、15世紀には演奏法も確立されてくるものの、オルガンに固有な楽曲が書かれるようになるのは16世紀になってからのことです。その点では、チェンバロやクラヴィコードの場合も同じで、当初は、声楽曲をそのままこれらの楽器で演奏することが多く、オルガン曲との間にそれほど明確な区別は見られなかったのです。チェンバロの小型の楽器であるヴァージナルは、特にイギリスで発達し、エリザベス朝時代には、バードやギボンスを中心とした作曲家の作品に優れたものを残しています。大部分は声楽曲を編曲したものが多い中で、舞曲やファンタジアなど、オリジナルな曲種も少なくありません。変奏形式を好んで用いたのも1つの特色といえるでしょう。

弦楽器では、ヴァイオリンの前身楽器であるヴィオール属の数種があり、イタリアでは、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(のちのヴィオラ)やヴィオラ・ダ・ガンバ(のちのチェロ)などと呼んで区別していました。こうした弦楽器からヴァイオリンが生み出されてくるのは16世紀に入ってからです。また、管楽器では、たて吹きのフルート属の楽器であるリコーダーが盛んに用いられました。こうした楽器は、楽器自体の機能がまだ不完全であったため、合奏という段階には至らず、弦楽合奏が本格的に行われるようになったのは、17世紀に入ってからのことといえます。