ピアノ音楽の隆盛

 

音楽史について学ぶ

19世紀の音楽

ピアノ音楽の隆盛

シューマン
シューマン
19世紀の前半時代は、ベートーヴェンをはじめ、多くのピアノの名手たちが現れました。それは1つには、この時期にピアノの楽器としての機能がほぼ完成したからでもあります。チェンバロにかわって、ピアノが家庭内にも入るようになり、家庭的な音楽が楽しまれるようになったことから、いわゆるハウスムジーク的な作品も書かれるようになりました。シューベルトやメンデルスゾーンによるピアノ小品も、当時のそうした傾向を反映したものといえますし、シューマン(R. Schumann, 1810-56)によるピアノ曲にも同じことがいえるでしょう。

シューマンは、最初はピアニストになるつもりでスタートしたのですが、無理な練習で指を痛めてしまい、その時点で作曲家に転向することになりました。20歳前後のことです。若い時代から文学に親しみ、文学青年であったシューマンは、そのピアノ作品にも文学的な雰囲気を盛り込み、標題のある小品または小品連曲という形の曲集を書いています。《謝肉祭》や《子供の情景》など、広く知られている作品をはじめ、どれにも文学的な標題がつけられていますが、そうした標題は、聴く人がわかりやすいようにと、作曲した後でつけられたということです。彼のピアノ作品は、標題のついた小曲を組曲形式としてまとめたところに特徴があり、その中に、彼特有の音楽語法による夢幻的な世界が繰り広げられています。声部が絡み合うようにして書かれている彼のピアノ曲の書法は、ベートーヴェン時代のピアノ曲とは完全に違っていて、そこには既に完全なロマン主義の表出を見ることができます。

シューマンはまた、シューベルトの道を継ぐような形で多くの歌曲を書いていますが、その作品には、独自の抒情性の表出が目立ち、ピアノ伴奏部の精緻さとともに、独特のロマンティシズムを表現しています。
ショパン
ショパン
このシューマンと同年の生れであるショパン(F. Chopin, 1810-49)は、ごく僅かの作品を除いては、ピアノ曲だけを書いたという点で、きわめてユニークな作曲家といえます。1830年に祖国ポーランドを去ったあと、パリを中心に演奏活動を行いますが、生れつき病身であったために、その演奏活動は主としてサロン音楽会的なところで行われました。彼の作品のほとんどが、サロン音楽的な性格を見せているのは、そのためです。曲種も多様で、〈ワルツ〉をはじめ、〈ノクターン(夜想曲)〉〈マズルカ〉〈ポロネーズ〉〈バラード〉〈スケルツォ〉など、独特の雰囲気を持つ名曲を実にたくさん作りました。
ショパンのピアノ作品の特徴は、なんといっても、甘やかな抒情性にあります。その抒情性は、音楽的な意味での即興性に裏づけられるものであり、彼の作品はどれもが独特の音楽語法、つまり、甘美なメロディー、多用する装飾音型、一定の型に基づくフィギュレーション、自由なテンポ・ルバート、あくまでも快い和音感、巧妙な転調といった要素にあふれています。それらはいずれも、ショパンが"ピアノという楽器を弦楽器のように歌わせる"ことを目ざしたところから、生れてきたものといえるでしょう。
リストの演奏風景
リストの演奏風景
このショパンと対照的なピアノ書法を見せたのがリスト(F. Liszt, 1811-86)でした。音楽史的には、リストは作曲家であり、ピアニストとしても大きな業績を遺した人ですが、ピアノ音楽という面から見れば、ピアノの楽器としての表現機能を極限にまで拡大したという点で特筆されるべき人といえます。彼のワイマール時代には、教えを受けに世界各国から集まった弟子たちの数は、400人にものぼったといいます。演奏家としての活動も、1824年のパリでの独奏会から数えて30年近くも続いており、その超人的な技巧とともに、近世におけるヴィルトゥオーソのまさに第一人者といってよいでしょう。

現在のようなピアノだけによるリサイタル形式の演奏会を最初に開いたのもリストだったといわれています。リストがオーケストラに匹敵するほどに、ピアノという楽器の表現機能を拡大したことは、ピアノ音楽の発展においてきわめて重要な意味を持つ画期的な出来事でした。その一方、《ロ短調ソナタ》や2つの協奏曲をはじめとする彼の多くのピアノ作品は、それ自体、ピアノの演奏技巧のある限界を意味するものともいえます。それだけに彼のピアノ作品は、技巧性と表面的な華麗さに終始し過ぎて、音楽的な美しさに欠けると評されることもないではありません。しかし、そうした中にも、やはりロマンティシズムにあふれる豊かな抒情性をもつ彼の作品には、"ピアノで描く音の詩"といった趣きが強く感じられます。

リストの音楽史的な功績としてはもう1つ、交響詩の創始が挙げられます。この交響詩という言葉は、1848年に書かれた《前奏曲》から用いられ始めたとされています。一定の動機に変化を与えながら、それを曲全体に展開する、メタモルフォーゼ(変容)と呼ばれる方法を用いて、曲の標題的な性格を強調しています。この方法は、以後の作曲家にも使用されて、多くの名曲が遺されていくことになります。
ブラームス
ブラームス
このリストより、世代的には少し若くなりますが、同じ頃にウィーンで活躍した作曲家に、ブラームス(J. Brahms, 1833-97)がいます。当時は、リストやワーグナーによる新ドイツ主義、つまり爛熟したロマン主義が幅をきかせていた時代でしたが、ブラームスはそれとは反対の立場に立っていました。若い時代にはピアニストとしても活躍し、シューマンの後押しを受けて楽壇に乗り出していくことになります。そうした若い頃のピアノ作品には、やや技巧に走る傾向が見られるものの、晩年に書いた小曲集には、内的な瞑想性がにじみ出ており、胸を打たれます。バッハを尊敬し、ベートーヴェンに傾倒していた彼の作品が、多分に保守的であるのは当然です。しかし、現在もなお、彼の作品の多くがレパートリーの上位にあるような名作を書きえたのは、その古典主義的な形式のなかに、ブラームス流のロマン主義を盛りこみ、その両者をバランスよく扱いえた作曲家としての力量があったためでしょう。

ブラームスの作品の第一の特色は、がっちりとした構築性のなかに、落ち着いたロマンティシズムが注ぎ込まれていることです。標題音楽や歌劇のような分野には手を出さず、もっぱら古典主義的な形式的客観性の世界にとどまろうとしたのは、爛熟したロマンティシズムに対する明らかな挑戦だったともいえます。これ以後、後に続くドイツの音楽界には、ワーグナーに共鳴するワグネリズムの流れに立つ作曲家と、ブラームスふうな作風をもつ作曲家との2つの方向が見られるようになっていきます。

ブラームスはまた、ドイツ・リートの分野で300曲ほどの歌曲を遺していますが、とくに、ドイツ民謡をもとにした歌曲集には、彼のやさしい人柄の反映が感じられ、シューベルトやシューマンの開いた道に沿って、詩をさらに的確にとらえようとする志向が見受けられます。しかし、"詩を物語る"ことに力を注いだあまりに、彼の歌曲にはやや地味な印象がつきまとうのも事実といえます。