オペラの名曲

オペラの名曲

今回は19世紀に生まれたオペラをご紹介しましょう。1600年頃、イタリアに生まれたオペラは19世紀に最盛期を迎えました。オペラの中心として君臨したのはイタリアでした。19世紀にはロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニなど、現代のオペラ劇場にも欠かすことのできない作品を残したオペラ作家たちが次々に現れ、まさに黄金時代を形成していたのです。ここではそのようなイタリアの作品から代表的なものを4作取り上げました。また、フランスのパリも19世紀のオペラ史にとって重要な役割を果たした都市です。パリで生まれたオペラといえば、ビゼーの《カルメン》が圧倒的な人気を誇っていますので、ここでもこのオペラをご紹介します。

ロッシーニ

  • ロッシーニ:《セビーリャ理髪師》
ロッシーニは19世紀初頭を代表するイタリアのオペラ作家です。彼の人気は非常に高く、国際的にも評価されていました。あのベートーヴェンでさえ、自分との作風の違いがあるとは思いながらも、ロッシーニの音楽を愛していたほどです。1810年にオペラ作家として正式にデビューして以来、速筆で知られた彼は次々にオペラを発表していきましたが、1829年、37歳という若さで、なぜかオペラの世界から引退してしまいました。


セビーリャの町の光景(19世紀の絵画)

《セビーリャの理髪師》は1816年、ローマで初演されたオペラ・ブッファ(喜劇的な内容のオペラ)です。ロッシーニが最後に書いた喜劇的オペラで、初演以来、世界中のオペラハウスに不可欠なレパートリーとして人気を保ち続けています。原作は18世紀フランスの著名な作家ボーマルシェの同名の戯曲で、イタリアの台本作者チェーザレ・ステルビーニがオペラ用の台本を作成しています。なお、ボーマルシェは『セビーリャの理髪師』の続編として、『フィガロの結婚』という戯曲を書いていますが、こちらのほうはモーツァルトによってオペラ化されています。

舞台は18世紀、スペインのセビーリャ。アルマヴィーヴァ伯爵はロジーナという美しい娘を愛しています。しかし、彼女の後見人バルトロの妨害によって、伯爵はロジーナに愛を告白することもままなりません。そこで、伯爵は賢い理髪師フィガロを味方にして、彼女との結婚を実現させようとします。そして、フィガロの知恵と機転のおかげで、伯爵はロジーナとめでたく結ばれて幕となります。このオペラは比較的短く、面白い内容をもつので、入門編としては最適な作品の一つでしょう。また、「おれは街の何でも屋」(フィガロ)、「いまの歌声は」(ロジーナ)など、有名なアリアもふんだんに盛り込まれており、いわゆる「ベルカント唱法」(イタリア・オペラの歌唱法)を満喫できます。

ジュゼッペ・ヴェルディ

  • ヴェルディ:《椿姫》

ナダール撮影のヴェルディの写真
ジュゼッペ・ヴェルディが最初のオペラを発表したのは、ロッシーニが突如、引退してからちょうど10年後の1839年のことでした。以来、最後のオペラとなる1893年の《ファルスタッフ》に至るまで、ヴェルディはイタリア・オペラの第一人者として活躍しています。彼は伝統的なイタリアのベルカント唱法を発展させるいっぽうで、オペラを単なる音楽付きの劇ではなく、真の意味での「音楽によるドラマ」として確立した作曲家です。その点で、ヴェルディは同世代のリヒャルト・ワーグナーがドイツ・オペラで成し遂げた偉業と同じことをイタリア・オペラにおいて達成したと言えるでしょう。現代のオペラハウスがワーグナーと並んで、ヴェルディのオペラをレパートリーの中心に据えているのも頷けます。

《椿姫》はヴェルディ中期の作品で、1853年にヴェネツィアで初演されています。原作はフランスの作家アレクサンドル・デュマの小説『椿姫』で、台本はヴェルディの親友でもあったフランチェスコ・マリア・ピアーヴェが担当しました。日本ではこのオペラのタイトルを原作に従って、《椿姫》と呼び慣わしていますが、ヴェルディとピアーヴェがオペラ化した時のタイトルは「ラ・トラヴィアータ(堕落した女)」でした。

19世紀半ばまでのオペラは時代設定を現代ではなく過去にすることが一般的でしたから、このオペラはもともとの時代設定を同時代としていた点にまず新しさがありました。舞台は華やかなパリの社交界。娼婦のヴィオレッタは、アルフレードという青年と恋をします。しかし、彼の父親ジェルモンはヴィオレッタに身を引くように懇請し、彼女はアルフレードを愛しているが故に、これを受け入れるのです。突然の心変わりに驚き、彼女を責めるアルフレード。しかし、彼女の本当の気持ちを知ったとき、既に時は遅く、ヴィオレッタは亡くなってしまうのです。この悲しい物語を、ヴェルディは数々の名旋律で彩っており、なかでも前奏曲や「乾杯の歌」、ヴィオレッタのアリア「ああ、そはかの人か」、ジェルモンのアリア「プロヴァンスの海と陸」は有名です。
  • ヴェルディ:《リゴレット》
《リゴレット》は、《椿姫》の2年前、1851年にヴェネツィアで初演されたオペラで、これも中期ヴェルディを代表する作品の一つです。原作はフランスの作家ヴィクトル・ユゴーの戯曲『歓楽の王』で、台本は《椿姫》と同じくピアーヴェが担当しました。このオペラも悲劇的な内容をもちますが、16世紀、イタリアの街マントヴァを舞台とし、それまでのオペラの習慣に従って、時代設定は過去になっています。


ニコラ・ブノア、フィリップ・シャペロンによるリゴレットの舞台画

マントヴァの街を治める公爵のもとで道化師を務めているリゴレットには、最愛の一人娘ジルダがいました。しかし、女たらしの公爵はジルダを言葉巧みに誘惑してしまいます。リゴレットは公爵から娘をなんとか引き離しますが、怒りは収まらず、公爵を暗殺するように殺し屋のスパラフチーレに頼みます。ところが、殺し屋の妹マッダレーナまで公爵に誘惑され、彼女は兄の仕事を邪魔してしまうのです。けっきょく、スパラフチーレが刀で刺して袋に詰めたのは公爵ではなく、瀕死のジルダでした。ジルダは父親の愛情に理解を示しつつも、公爵への愛を捨てきれず、身代わりになったのです。もとはと言えば、リゴレットは公爵の情事の手助けをしており、娘が被害にあったモンテローネ伯爵から「必ず悪行の報いが来る」と呪いの言葉をかけられていました。その呪いがとうとう成就してしまったのです。息絶えたジルダを抱きしめながら、リゴレットが崩れ落ちたところで幕となります。
このオペラはあまりにも陰惨な悲劇ですが、有名なアリアには事欠きません。とくに公爵のアリア「あれか、これか」、「女心の歌」はその明るい音楽が、むしろ全体の暗い色彩を強めているのではないでしょうか。

プッチーニ

  • プッチーニ:《蝶々夫人》

スカラ座初演のためのポスター
プッチーニは19世紀半ばの生まれで、本格的な活動が始まったのはちょうどヴェルディが最後のオペラを発表した1893年のことでした。あまりにも出来すぎた話ですけれど、ヴェルディの後を継いだプッチーニは、イタリア・オペラの黄金時代における最後の輝きを放っていったのです。彼の活躍した時代は19世紀末から20世紀初頭であり、この時期は前回ご紹介したように、新しい様式が次から次へと生み出されていった時期でもありました。プッチーニの作品もそのような時代の流れに逆らうことなく、新しい様式への目配りを忘れていません。しかし、いっぽうで彼は一度聴いただけで誰もが惹きつけられずにはいられない美しい旋律を書く才能をもっており、イタリア・オペラの伝統を守ることもできたのです。プッチーニ以降に書かれたオペラのうち、オペラハウスの定番となっているレパートリーはほとんどありませんから、一面ではオペラはプッチーニをもって終わりを告げたと言っても良いかも知れません。

《蝶々夫人》はプッチーニが最も意欲的に創作活動に励んでいた時期、1904年にミラノで初演されました。原作はデヴィッド・ベラスコという作家の小説を、ジョン・ルーサー・ロングが戯曲化した演劇で、プッチーニはこの芝居をロンドンで見てオペラ化を構想しています。作曲者自身が最高傑作と考えていましたが、初演は大失敗に終わってしまいました。今から考えると不思議なことですが、才能のある音楽家には付き物の嫉妬ゆえの妨害に見舞われたのでした。このオペラは1900年頃の長崎を舞台にしているため、日本の民謡も引用されており、日本人にとっては親しみやすいものです。ヒロインの蝶々夫人はアメリカ海軍の士官ピンカートンと愛し合いますが、裏切られて自殺してしまうという悲劇です。同じ悲劇とはいっても、《リゴレット》とは異なり、官能的とも言えるプッチーニの音楽はむしろ愛に生きた蝶々夫人の生き様をひたすら美しく表現しているのではないでしょうか。とくに、蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」は筆舌に尽くしがたい美しさに溢れています。

ジョルジュ・ビゼー

  • ビゼー:《カルメン》
フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーは10歳の年にパリ音楽院に入学を認められるなど、音楽の神童でした。1860年代よりオペラや演劇の付随音楽といった舞台音楽の分野で主に活動しましたが、47歳という若さで亡くなっています。《カルメン》はビゼーの最後のオペラで、1875年3月にパリで初演されました。初演の評判はあまり芳しくなく、ビゼー自身も3ヶ月後の6月に亡くなってしまいます。《カルメン》の現代での人気を知れば、作曲者はきっと驚くのではないでしょうか。


パリ・オペラ座での初演時の終幕舞台デザイン

《カルメン》の原作は、フランスの作家プロスペル・メリメの小説で、1820年頃、スペインのセビーリャを舞台に繰り広げられる悲劇です。ヒロインのカルメンは奔放な性格で、セビーリャ警備隊の伍長ドン・ホセを誘惑します。ホセにはミカエラという許嫁がいるにもかかわらず、カルメンの虜になっていきます。ところが、カルメンの本命は闘牛士のエスカミーリョでした。密輸業者の仲間に入って警備隊さえも辞めたホセはカルメンに翻意を乞いますが、彼女は聞く耳を持ちません。それどころか、ホセからもらった指輪を投げ捨てる始末。嫉妬と絶望に怒り狂ったホセは思いあまってカルメンを刺し殺してしまうのです。
ビゼーは、愛の残酷さが生んだ悲劇を素晴らしい音楽で盛り上げています。このオペラほど、独立して演奏されるナンバーが多い作品はありません。異国情緒溢れるスペインの雰囲気とカルメンの死を予告する前奏曲、「ハヴァネラ」、「闘牛士の歌」、「花の歌」など、有名な旋律が次から次へと現れるこのオペラはまさにビゼーの最高傑作と言えるでしょう。