この記事は2017年8月 10日に掲載しております。
“鍵盤の魔術師”の異名をとる超絶技巧の鬼才、シプリアン・カツァリス氏。楽譜の発掘や収集に情熱を傾け、様々な作曲家の作品に独自のアプローチで挑んでいる。これまでの来日公演を振り返りながら、今後の抱負などを語っていただいた。
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シプリアン・カツァリス - 1951年マルセーユ生まれ。4歳からピアノを学ぶ。パリ・コンセルヴァトワールを主席で卒業、アルベール・ルーセル財団賞受賞。70年チャイコフスキー国際、72年エリザベート王妃国際コンクール入賞、74年ジョルジュ・シフラ国際コンクール優勝。1985年ワルシャワで「フレデリック・ショパン・ディスク・グランプリ賞」、1984年および1989年ブダペストで「フランツ・リスト・ディスク・グランプリ賞」、1986年「ブリティッシュ・ミュージック・リテイラーズ・アソシエーション(British Music Retailer’s Association)賞」、1984年ドイツでベートーヴェン作曲/リスト編曲の「交響曲第九番」で「レコード・オブ・ザ・イヤー賞」の各賞を受賞したテルデックとの録音を始め、これまでに、ソニー・クラシカル、EMI、ドイチェ・グラモフォン、BMG-RCA、デッカ、パヴァーヌなどと数多くの録音を行い、現在は自身のレーベル「PIANO 21」で録音を行っている。 ユン・K・リー(Yoon K. Lee)指揮、ザルツブルグ室内管弦楽団とザルツブルグおよびウィーンで共演したモーツァルト全協奏曲のライブ録音などの、スタンダードなレパートリーの他、ユージン・オーマンディー指揮、フィラデルフィア管弦楽団との共演で、リスト作曲/チャイコフスキー編曲の「ハンガリー風協奏曲」を録音し、長い間不明だった作品を世に甦らせた。1992年、NHKはカツァリスと共同で、ショパンについてのマスタークラスと演奏を含む、13回シリーズの番組を制作。1999年10月17日、フレデリック・ショパン没後150周年当日、カーネギー・ホールで開催された、全曲ショパンプログラムによるリサイタルでは、ニューヨークの聴衆からスタンディング・オベーションが起こった。その他、これまでにオーマンディ、バーンスタイン、ドラティ、ミュンヒンガー、アーノンクール、インバルベルリン・フィル、フィラデルフィア管、コンセルトヘボウ管などと共演。
また、ショパン(1990年ワルシャワ)、リスト(1996年ユトレヒト)、ヴァンドーム賞(2000年パリ)、ロン=ティボー(2001年)、ベートーヴェン(2005年ボン)の国際コンクールで審査員を務めたカツァリスは、1977年、ルクセンブルクのエヒテルナッハ国際音楽祭の芸術監督に任命され、同年「カメルーン勲爵士(Knight of Merit of Cameroon)」、1977年に「ユネスコ平和芸術家(Artist of Unesco for Peace)」(1977年)、2000年にフランス政府より「芸術文学勲爵士(Knight of the Order of Arts and Letters)」を授与。更に、2001年には「パリ市ヴェルメイユ・メダル(Vermeil Medal of the City of Paris)」を授与されている。2006年3月、ワイマールにあるフランツ・リストの家で、リストが亡くなった1886年に最後にピアノを教えて以来、ピアニストとして初めてマスタークラスを開催した。
※上記は2017年8月10 日に掲載した情報です。
シューベルトの音楽はマジック! 子どもの頃から心惹かれている作曲家です
今回で28回目の来日だが、初来日は1985年6月、安永徹氏率いるベルリン・フィル室内楽合奏団との共演だった。同じ年の10月に再び来日し、NHK交響楽団の定期演奏会でリスト《ハンガリー幻想曲》を披露したほか、広島、東京、名古屋などでリサイタルを開催した。
「1985年は広島と長崎に原爆が投下されて40年という節目で、シューベルト《ピアノ・ソナタ第21番》、リスト《前奏曲と葬送行進曲》、ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ第12番「葬送」》、メシアン《愛のまなざし》、ベートーヴェン(リスト編)《交響曲第3番「英雄」》などを演奏し、戦争で犠牲になった人々を追悼しました。ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ第12番「葬送」》は偉大な作品です。ショパンはこの作品を愛し、弟子たちに学ぶようにと言っていました。ショパンはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンは好きでしたが、自身と同時代のリストなどの作曲家は好きではありませんでした。唯一の例外はベッリーニです。あまり知られていませんが、ショパンはベッリーニのオペラ《ノルマ》の有名なアリア「清らかな女神」を愛し、ピアノ伴奏譜を書いたんですよ。いつか日本でこの曲を演奏できたらいいですね。とても難しいアリアなので、歌手を探すのが大変ですが……」
作曲家や作品についての知識は無尽蔵で、話し始めるとあらゆる方向に発展する。日本での最初のリサイタルで演奏したシューベルト《ピアノ・ソナタ第21番》は、今回の来日公演でも東京と大阪で聴かせてくれた。シューベルトは彼にとって特別な作曲家のようだ。
「私が子どもの頃、フランスには作曲家の伝記シリーズの素敵なレコードがあったのです。それぞれの作曲家の伝記を、ジェラール・フィリップなどフランスの有名な俳優たちが朗読し、合間にその作曲家の音楽が流れました。シューベルトの巻には、《「楽興の時」第6番》、《アレグレット》などの小品が入っていました。音符は少ないのに、天国のように美しい世界が生まれ、強く心を惹かれたのを今でも覚えています。まさにマジックです。
《ピアノ・ソナタ第21番》は35年以上弾き続けている大切なレパートリーです。すべてのピアニストにとって、このソナタは大きな謎です。シューベルトはこの作品を書いたすぐ後に、わずか31歳の若さで亡くなりました。この作品のテーマは“死”です。第2楽章の低音の旋律は、ベートーヴェンの《交響曲第5番「運命」》のテーマに似ていますよね? 運命がドアをノックしてあなたをどこかに連れ去り……、やがて長調に転調して、一筋の光が射します。穏やかで静かな世界です。第3楽章のスケルツォは、“死の天使”が飛び回って彼を誘っています。第4楽章は、涙を浮かべた微笑みのように感じられます。最後のコーダは、肉体は死んでも精神は生き続けるという勝利の宣言。なんと深く美しい音楽なのでしょう」
ピアノを弾きながら熱く語るカツァリス氏。常に音楽と戯れ、頭の中には弾きたい作品やプログラムの構想が泉のように湧き出ているようだ。彼が演奏するのは、ピアノ作品には限らない。80年代にベートーヴェンの交響曲全曲をピアノで演奏し、世界中をあっと言わせたが、その後も自身の編曲で様々なオーケストラ作品をピアノで演奏し、近年は、ショパンの2曲のピアノ協奏曲、ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第5番「皇帝」》、リスト《ピアノ協奏曲第2番》などをピアノ独奏版で楽しませてくれている。
「オーケストラ作品やコンチェルトをピアノで弾くことは、ピアノという楽器に秘められた可能性を引き出し、私自身のピアニストとしての限界に挑戦することができるので、やりがいを感じます。私は幼い頃からベートーヴェン、チャイコフスキー、ワーグナーなどの交響曲のレコードを聴くのが好きでした。私が交響曲をピアノ・ソロで弾くのは、そうした体験に根ざしているのかもしれません。また、母は私がお腹にいるとき、将来指揮者になる男の子が生まれてほしいと願ったそうです。私は4歳のとき「交通整理をする警察官になりたい」と言って母をがっかりさせましたが、母の夢に少し近づくことができたかな(笑)」
※上記は2017年8月10 日に掲載した情報です。