チャオ! イタリアより黒田亜樹です!
イタリアと日本を行き来しながら書き続けたこの連載もいよいよ最終回。最後のクライマックスとして賑々しく、イタリアのピアノ曲をご紹介いたしましょう。


- pianist 黒田亜樹
- 東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業後、イタリア・ペスカーラ音楽院高等課程を最高位修了。 フランス音楽コンクール第1位。フランス大使賞、朝日放送賞受賞。ジローナ20世紀音楽コンクール現代作品特別賞受賞。現代音楽演奏コンクール(日本現代音楽協会主催)で優勝、第6回朝日現代音楽賞受賞。
No.4石の上にも10年!?
2013.09.25更新
チャオ! イタリアより黒田亜樹です!
在住10年のうちに見えてきたミラノの魅力、イタリアの真実を、ミラノ通信としてお届けしています。今回は、Vol.3でご紹介したイタリア・ピアノメソードの続編をお送りします!
伝統のカリキュラムを固持するイタリアの国立音楽院
カーニバルの時期に向けて、イタリアは華やかさを増していきます。日本でもヴェニスのカーニバルはよく知られていますよね。親しいヴェニスの出身のピアニストも、故郷のカーニバルだけは、どこにいても見物に帰る大切な行事なんだ、と興奮して話していたのをよく覚えています。
さて、わたしが子どものころ、日本で使われているメソードはそれほど変化に富んでいませんでした。今は選択の幅が沢山あって、本当にうらやましく思います。
わたしの住むイタリアは、保守的すぎるほど保守的な国民性。イタリア人というとどうも享楽的な印象があるようですが、このシリーズでも書いてきた通り、わたしが出会ったイタリア人たちはとてもストイックで、ミラノ音楽院(ミラノ国立ヴェルディ音楽院)のピアノメソードもなんとも恐るべき生真面目なカリキュラムから成り立っています。
日本では国立音楽院をフランス語風にコンセルヴァトワールと呼ぶこともありますが、この言葉は元来イタリア語でコンセルヴァトーリオ。14世紀から15世紀にかけ、孤児院の子どもたちに手に職をつけさせるべく、音楽の手ほどきをしていたことが始まりだそうです。コンセルヴァトーリオとは「預かる場所」という意味。現在も、発展途上国で音楽教育を大胆に教育に取り入れ、大成功を収めていますが、黒死病(ペスト)が大流行した暗澹たる時代であった14世紀、15世紀に、音楽の力が信じられていたことに感激しませんか?
パリにコンセルヴァトワールが設立されたのは、それからずいぶん経ったフランス革命直後の1795年のこと。後にその学長を20年の長きにわたって務めるイタリア人のルイジ・ケルビーニも関わっていました。ケルビーニは有名な『対位法とフーガの教則本』(1835年)を著し、フランスの作曲家はもとより、ショパンやシューマンも、ケルビーニの課題で勉強したといわれます。
当時、イタリアでの作曲作法が正統として誰からも認められていた証拠ですが、フランスがその後、より新しいスタイルを演習に取り入れていったのに比べ、イタリア本国の音楽教育は急進的な変革を頑なに拒みつつ現在に至り、Vol.3でも名前が出たマルトゥッチ、ズガンバーティらが今も音楽院の課題に挙げられています。
音楽院に通う小学生の鞄の重さと楽譜の量にびっくり
ではここで、コンセルヴァトーリオのメソード、初級から卒業試験まで10年間の代表的な課題をご紹介しましょう。重要な試験が5年目(初級修了試験)、8年目(中級修了試験)、10年目(卒業試験)にあり、どの試験でもマルトゥッチとズガンバーティは常に課題として出されています。作曲家の紹介は3°edizioneの文章を参照していただくとして、課題曲を1年ずつ並べてみましょう。
〔 1年目 〕
《バイエル作品101》に、バルトーク《ミクロコスモス第1巻》、ロンゴLongoの《ツェルニー風"Czernyana" 》第1、2巻。「ツェルニー風」とはなかなか可愛らしい名前ですが、ロンゴによるツェルニーの選曲集です。
イタリアでは定番でありながら日本ではあまり使われない教本の筆頭は、北イタリアで行われる国際ピアノコンクールで名前が知られるポッツォーリPozzoliでしょう。多種多様な教本があるのですが、その中から《30の基礎的小練習》や《ポリフォニー・スタイルによる初級練習曲》が1年目の課題。バイエルに似た練習曲集を想像していただければよいでしょう。カノンも重要な課題で、クンツKunzの《200の2声のカノン》やバッハ《アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳》も1年目の課題に含まれます。
〔 2年目 〕
全調についての音階奏はユニゾンで。そして、《ツェルニー30番》や《ミクロコスモス》の2、3巻にあわせて、ロンゴの《ツェルニー風》2、3、4巻、ポッツォーリ《24のやさしい技術の練習》。引き続きバッハ《アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳》。さらに、クレメンティのソナチネやロマン近現代の自由曲が加わります。
〔 3年目 〕
全調についての音階奏はユニゾンと反進行で。《ツェルニー24の練習曲》、クレメンティ《前奏曲と練習曲》、《ミクロコスモス》は第3、4巻。バッハは2声の《インヴェンション》や《フランス組曲》がはじまり、ロンゴ《チェルニー風》は4、5、6巻に。ポッツォーリは《中級のための練習曲》が始まります。これは、より具体的に音楽表現練習をするための曲集で、イタリアにおけるブルグミュラーのような扱いです。古典のソナタやロマン近現代の自由曲も引き続いての課題となります。
〔 4年目 〕
全調についての音階奏(ユニゾンと反進行)にアルペジオも。バッハは《インヴェンション》と《イギリス組曲》。エチュードは、ツェルニー40番や50番とあわせて、前年度から始めたポッツォーリの《中級のための練習曲》を続けます。ここにリスト《12の練習曲 作品1》が入ってくるので、子どものコンクールなどでもリストの作品1はよく弾かれます。古典のソナタほかも引き続き課題です。
〔 5年目 〕
初級修了試験で初めてズガンバーティ、マルトゥッチが課題にあがります。中級レベルならば、彼らのどの作品を選んでもよいという自由曲です。そのほかバッハは3声の《シンフォニア》か《イギリス組曲》、イタリア古典のチェンバロ曲とともに、モーツァルトかクレメンティ、もしくはベートーヴェンの初期ソナタ、シューマン《パピヨン》、ウェーバー《舞踏への勧誘》、リスト《慰め(コンソレーション)》、ドビュッシー《子供の領分》などから選択、そして全調についての音階奏(3度音程と6度音程)と初見視奏も必修です。
初級だけでこんなに教本が多くて、この堅苦しさは日本人には呆れられてしまいそうですね。実際、コンセルヴァトーリオに通っている小学生がレッスンに来ると、鞄の重さと楽譜の量に驚きます。そういえば道路を行き交う小中学生も、ものすごく重そうなカートつきリュックをゴロゴロ転がしながら通学しているではありませんか。生真面目なイタリアの国民性が見えてきませんか?
イタリアの音楽家の素晴らしさは職人さんの手仕事とも共通!?
初級の進み具合は遅々たるものですが、その後、急に難しくなり、10年目のディプロマ試験は《夜のガスパール》や《イスラメイ》《展覧会の絵》など錚々たる選択課題を含む75分のリサイタルプログラム。他に必須課題としてバッハのチェンバロ曲、そして「リスト、ブゾーニ、ダルベール、タウジヒのうち誰かが編曲したバッハ作品も用意せよ」とあるのが、バッハ好きなイタリア人らしいと感心します。そしてここでもズガンバーティとマルテゥッチの課題曲が挙げられています。しかも、上級ディプロマの上にはさらに高等専門過程が続き、コンチェルトやリサイタルを含む膨大な課題となるのです。
もちろん、誰でも簡単にディプロマまでたどり着けるわけではありません。淘汰されてしまうほうが多いのです。それだけに、ディプロマに重みがあるのですね。音楽家仲間のお宅には、たいてい立派な額縁に入れられた教授のサイン入りのディプロマ証が飾られています。
ところで、先日、国立音楽院の教授のお宅にうかがった時、ピアノの上に、Vol.3で触れたナポリ・ピアノメソードの創始者チェージの書いたピアノのテクニック教本が開いてありました。レガートの弾き方、音のつなげ方、さまざまな音階のテクニックなど、それはそれは丁寧に細かく書いてあってとても素晴らしい本でしたので、思わず楽譜屋に立ち寄って買ってきてしまいました。
ミラノに来てすぐの頃、皮の手帳を街角の職人さんに直してもらって、その手仕事の巣晴らしさに感激したのですが、そんな職人さんの手仕事と、これらの教本に共通するものがあるような気がしてしまうのです。
そうだ! 私も自分のディプロマ証を額縁に入れて飾ってみようかな。