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ピアニスト 吉田友昭のザルツブルグ日記

2010年日本音楽コンクールで優勝。鮮烈なデビューを飾ったピアニスト吉田友昭が留学先のオーストリア・ザルツブルグより、音楽武者修行の日々を一年間お届けしていきます。

(毎月1日、15日頃更新。※更新日は、都合により前後する場合がございます。)
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pianist 吉田 友昭

pianist 吉田 友昭
1983年生まれ、札幌市出身。4歳よりヤマハ音楽教室にてピアノを始める。
北海道札幌東高等学校、東京芸術大学を経て20歳時にヨーロッパへ移住し、パリ国立高等音楽院を一等賞の成績で卒業した後、ローマ聖チェチーリア音楽院、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学で学ぶ。 これまでに三角祥子、宮澤功行、田中宏明、渡辺健二、青柳晋、ミッシェル・ベロフ、エリック・ル・サージュ、セルジオ・ペルティカローリ、パーヴェル・ギリロフの各氏に師事。
2010年第79回日本音楽コンクール第1位、併せて井口賞、野村賞、河合賞、三宅賞、岩谷賞(聴衆賞)を受賞。同年ギリシャ・アテネにて行われたマリア・カラス国際グランプリ最高位、2013年スペイン・バレンシアで行われたホセ・イトゥルビ国際コンクールで日本人初となる第1位、その他マリア・カナルス、ハエン、カサグランデ、ベオグラード、シドニーの各国際コンクールで入賞。
フランス・パリで5年間、イタリア・ローマで4年間を過ごした後、現在のオーストリア・ザルツブルクに居住し演奏活動を続けている。これまでにサンクト・ペテルブルク管弦楽団、ヤッシー交響楽団、バーリ交響楽団、バレース交響楽団、コルドバ管弦楽団、バレンシア交響楽団、ベオグラード放送管弦楽団と共演。国内では東京フィルハーモニー管弦楽団、セントラル愛知交響楽団と共演。
2011年は毎日新聞社主催による全国ツアーをはじめ、NHK交響楽団首席奏者との室内楽公演を行い日本での演奏活動を開始。2012年2月の銀座ヤマハホールでの演奏会は「音楽の友」誌において「モーツァルトで驚いた。細部まで心血注がれ遊び心もある敬虚な音楽。古のピアニストたちが浮かぶ珍有なピアニスト」と評される。
2014年はバレンシア市によるデビューCDを作成する他、スペイン、イタリア、オランダにて演奏ツアーを行い、20回を超えるリサイタルにソリストとしてオーケストラとの共演を予定している。バルセロナ・カタルーニャ音楽堂、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ミュンヘン・ガスタイク文化センター、バレンシア音楽堂、パリ・プティパレ、ブラスティラバ・フィルハーモニー等で演奏予定。
2011年度よりロームミュージックファンデーション奨学生。


No.24チャンスを得る為のチャンス

2014.06.16更新

国際コンクールで入賞してもマネージメントやプロモーター(主催者や企画者)との幸運な出会いに恵まれなければ、ヨーロッパで多くの演奏会を得続けていく事が難しい現在の時代である、という考えを土台として書きます。尚、日本やアメリカの音楽業界につきまして私はあまり詳しくないので考慮しておりません。
情報機関であるアーリンク・アルゲリッチ財団の資料によると、世界にある国際コンクールの数は現在700を超えます。開催頻度は毎年や隔年に5年毎などそれぞれ異なりますが、ここ15年間は「毎年300」を超える国際コンクールが開催されています。ちなみに20年前には170、30年前には80という数でした。ほぼ毎日世界のどこかでコンクール優勝者が輩出されている事が今の現実。もちろん出場者全体のレヴェルに賞金額にオーケストラとの共演有無など、それぞれ開催規模にはピンからキリまであるのですが・・・。
コンクールで優勝すると賞金と共に演奏会契約を得ます。さて、計10回以上の演奏契約を得る事ができる国際コンクールの数はどれだけあるのでしょうか。私の知りうる範囲では、全体数700の中で30を超えないと思います。そして2位や3位に多くの演奏会が与えられるコンクールの数は10を超えないと思います・・・これらの話をすると多くの人に「そんな馬鹿な」と信じてもらえないのですが。現実としてコンクールは毎年若しくは何年の開催毎に優勝入賞者を輩出し続けていきます。世界◯大コンクールで入賞しても、数年後には演奏会がほとんど無い状態になっている事は全く珍しい事ではありません。これも多くの人・・・特にこれから留学・コンクールに挑戦する若い学生に信じてもらえないのですが。
コンクールで得た演奏機会のチャンスから、最初に書いた新たなる出会いを求め、今後の演奏活動を広げていく・・・ですからコンクールに参加する事はチャンスを得る為のチャンスと言えるでしょう。コンクールで優勝する事は開催規模に応じて数回から数年間の演奏活動が保証されるのみで、例えば5年後も保証されている事には決してなりません。私見ですが、2位や3位を得たという事はより多くの演奏機会というチャンスを得る為に次なるコンクールに行かなければならない事を指していると考えて良いと思います。現実として私は今まで師事した先生達にコンクールで2位や3位を得た事をお伝えすると「なんと残念だ・・・次がんばろう」というお言葉を最初に受け取りました。
少々暗い内容となってしまいました。ではポジティブな面を。インターネットによる中継などでコンクール期間中の演奏つまり予選での演奏も今まで知らなかった人と出会うチャンス、演奏活動が広がる大きいチャンスとなりました。とにかく人前に出る事が演奏活動を広げる第一歩。コンクールという演奏の場も自らの演奏会として考える・・・チャンスの場に今後も多くの日本人学生達が挑戦していく事を心より願っています。

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pianist 吉田 友昭

pianist 吉田 友昭
1983年生まれ、札幌市出身。4歳よりヤマハ音楽教室にてピアノを始める。
北海道札幌東高等学校、東京芸術大学を経て20歳時にヨーロッパへ移住し、パリ国立高等音楽院を一等賞の成績で卒業した後、ローマ聖チェチーリア音楽院、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学で学ぶ。 これまでに三角祥子、宮澤功行、田中宏明、渡辺健二、青柳晋、ミッシェル・ベロフ、エリック・ル・サージュ、セルジオ・ペルティカローリ、パーヴェル・ギリロフの各氏に師事。
2010年第79回日本音楽コンクール第1位、併せて井口賞、野村賞、河合賞、三宅賞、岩谷賞(聴衆賞)を受賞。同年ギリシャ・アテネにて行われたマリア・カラス国際グランプリ最高位、2013年スペイン・バレンシアで行われたホセ・イトゥルビ国際コンクールで日本人初となる第1位、その他マリア・カナルス、ハエン、カサグランデ、ベオグラード、シドニーの各国際コンクールで入賞。
フランス・パリで5年間、イタリア・ローマで4年間を過ごした後、現在のオーストリア・ザルツブルクに居住し演奏活動を続けている。これまでにサンクト・ペテルブルク管弦楽団、ヤッシー交響楽団、バーリ交響楽団、バレース交響楽団、コルドバ管弦楽団、バレンシア交響楽団、ベオグラード放送管弦楽団と共演。国内では東京フィルハーモニー管弦楽団、セントラル愛知交響楽団と共演。
2011年は毎日新聞社主催による全国ツアーをはじめ、NHK交響楽団首席奏者との室内楽公演を行い日本での演奏活動を開始。2012年2月の銀座ヤマハホールでの演奏会は「音楽の友」誌において「モーツァルトで驚いた。細部まで心血注がれ遊び心もある敬虚な音楽。古のピアニストたちが浮かぶ珍有なピアニスト」と評される。
2014年はバレンシア市によるデビューCDを作成する他、スペイン、イタリア、オランダにて演奏ツアーを行い、20回を超えるリサイタルにソリストとしてオーケストラとの共演を予定している。バルセロナ・カタルーニャ音楽堂、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ミュンヘン・ガスタイク文化センター、バレンシア音楽堂、パリ・プティパレ、ブラスティラバ・フィルハーモニー等で演奏予定。
2011年度よりロームミュージックファンデーション奨学生。
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