この記事は2017年11月 2 日に掲載しております。
ドイツ・ピアニズムの本流を継承するピアニストとして、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会、全集の録音などで高い評価を得ている迫昭嘉さん。ソロ、室内楽と幅広い演奏活動を繰り広げ、指揮者としても活躍している。東京藝術大学では音楽学部長・教授として後進の指導にあたり、さまざまなコンクールの審査員を務める迫さんに、これまでの歩みを振り返りながら、演奏家、指導者としての想いを語っていただいた。
© 武藤 章
- pianist
迫 昭嘉 - 東京藝術大学及び東京藝術大学大学院、ミュンヘン音大マイスタークラス修了。ジュネーヴ国際音楽コンクール最高位、東京国際音楽コンクール室内楽部門優勝(1980)、ハエン国際ピアノコンクール優勝およびスペイン音楽賞(1983)、ABC国際音楽賞受賞(1998)。デビュー以来、気品ある音色と透明度の高いリリシズムを持つピアニストとして、日本はもとより海外でもソロ、オーケストラとの共演のほか、室内楽奏者としても高い評価と信頼を得てきた。『迫昭嘉・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集』(2001)は、各方面から名演奏の呼び声が高い。2015年12月より白寿ホールにて2台ピアノによるベートーヴェン(リスト編曲)の第九とそれに関連した作品を演奏する「迫昭嘉の第九」公演をスタート、2016年12月の公演も好評を博し、今後も毎年12月に継続していく予定。
一方で、指揮者としての活躍も目覚ましく、1999年九州交響楽団でデビュー以来、東京シティフィル、都響、新日本フィルなどの指揮台にも登場、緻密な音楽作りが話題となり今後の動向が注目されている。
現在、東京藝術大学教授・音楽学部長、東京音楽大学客員教授、洗足学園音楽大学客員教授として後進の指導にも当たっている。
※上記は2017年11月2 日に掲載した情報です。
音楽への好奇心に導かれて
ピアノを習い始めたきっかけは、幼稚園で開講されていたヤマハ音楽教室(当時はヤマハオルガン教室)。2年間のコースを修了し、小学校に入学する前の年からピアノの個人レッスンに通うようになった。初めての発表会では、先生のピアノ伴奏でハイドンのコンチェルトの第1楽章を披露した。早くから天才少年ぶりを発揮していたのだろうと思うと、意外にもそうではないと語る。
「ハイドンのコンチェルト、今聴いたらひどいものでしょうね(笑)。最近いろいろなコンクールで小さな子どもたちの演奏を聴きますが、みんなよく弾きます。僕たちの頃と比べると、隔世の感があります。子どもの頃は、毎日練習しなくてはいけないことが苦痛でした。学校の先生や友達に、ピアノを習っていることをあまり言わなかったですね。とくに男の子の仲間には。中学時代は器械体操部に入って毎日鉄棒や吊り輪をやって掌の皮が剥けていたし、友達とバンドを組んでキーボードを弾いて遊んだり。ですから、藝大附属高校を受験すると言ったときには、「え、誰が?」って先生たちに驚かれました。当時師事していた中山靖子先生の勧めで受験することにしたのですが、その頃から、音楽が好きだということが自分の中ではっきりし始めました」
好奇心旺盛、藝大附属高校に入ってからも、ピアノ演奏だけでなく、さまざまな角度から音楽にアプローチし、それが現在の活動に繋がっている。
「藝大附属高校に入ってびっくりしたのは、同級生たちがみなコンクールなどですでに知り合いだったこと。僕は作曲家や作品について知識がなく、まったく白紙の状態だったので、東京文化会館の資料室に通って、ピアノに限らずさまざまな作品のレコードを聴きました。夏休みなどは朝から晩まで。とにかくいろいろなことに興味があって、友達からヴァイオリンを借りて弾いてみたり、中古のクラリネットを買ったり。高校生のときは、指揮者になりたいと思っていたんです。大学は指揮科に進みたいと中山靖子先生に言ったら、指揮の先生を紹介するからピアノを続けなさいと、佐藤功太郎先生をご紹介いただいて、プライヴェートでレッスンを受けることになりました。藝高時代は、友達とよくアンサンブルをしましたね。クリスマス会でヴィヴァルディの作品の指揮をさせてもらったり。大学・大学院時代も、他の楽器を学んでいる10人くらいの友達に伴奏を頼まれたり、コマーシャル撮影の裏伴奏、結婚式場での演奏のアルバイト、東京放送合唱団の伴奏、オペラの伴奏など、ありとあらゆることをやっていました。その頃の仲間、その頃得た経験は、大きな財産となっています」
※上記は2017年11月2 日に掲載した情報です。