※この記事は2011年4月25日に掲載しております。
ジュネーヴで日本人初の栄冠を手にし、彗星のごとく現れた若きピアニスト。
一気に変化した環境にとまどいを覚えつつも、今まで歩んできた道のり、そしてこれからの展望を語ってもらった。
- pianist
萩原 麻未 - 広島市出身。1999年及び2001年広島市長賞「フェニックス賞」・広島県教育長賞「メイプル賞」受賞。2001年イタリア・フィナーレリーグレ市より文化交流賞受賞。2002年広島国際文化財団よりスカラシップ生に選出される。2005年広島音楽高校卒業、同年パリ国立高等音楽院に審査員満場一致で合格し、文化庁海外新進芸術家派遣員(18歳以下の部)としてフランスへ留学、2010年に同修士課程を首席卒業。現在パリ国立高等音楽院室内楽科、パリ地方音楽院室内楽科に在籍。広島市より広島市民賞を受賞。1996年中国ユースピアノコンクール最優秀賞受賞。PTNAピアノコンペティション全国決勝大会C級金賞第1位、98年PTNAピアノコンペティションD級金賞第1位。全日本学生音楽コンクール大阪大会第1位。2000年第28回パルマドーロ国際コンクール(イタリア)史上最年少(13歳)第1位。2001年イタリア及び広島にて初リサイタルの後、サンクトペテルブルグ管弦楽団首席バイオリン・チェロ奏者との共演、パリ日本文化会館、ヤマハ広島店創立40周年記念でのリサイタル、あき音楽祭、オランダ・Garnwerd音楽祭、ミュージックへボウホールでのデュオリサイタル、スイス・Gstaadニューイヤーフェスティバル等国内外においてソリスト、室内楽奏者として積極的にコンサート活動を行う。2010年第65回ジュネーヴ国際音楽コンクールにて日本人として初めて優勝。
ピアノコンチェルトをコジマムジカコレギア、エリザベト音楽大学交響楽団、ジュネーヴ国際コンクールにてスイス・ロマンド管弦楽団と共演。アンリ・バルダ氏、ボリス・ぺトルシャンスキー氏、イヨルク・デムス氏他多数のマスタークラス受講。
これまでにピアノを高松和氏、田中美保子氏、小嶋素子氏、クラウディオ・ソアレス氏に、室内楽をアラン・ムニエ氏、ダリア・オボラ氏に師事。現在ピアノをジャック・ルヴィエ氏、プリスカ・ブノワ氏に、室内楽をイタマール・ゴラン氏、エリック・ル・サージュ氏に師事。
※上記は2011年4月25日に掲載した情報です
作曲家によって自分も自由自在に変化していきたい、それこそがピアノに対する私の愛情かもしれません。
1939年に創設され、様々な部門にわたって数多くのアーティストを輩出しているのがジュネーヴ国際音楽コンクールである。優勝したピアニストだけを挙げてみても、第1回のアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリから、フリードリヒ・グルダ、マリア・ティーボ、マルタ・アルゲリッチまでキラ星のごとくスター・ピアニストが顔を揃え、第2位入賞者を目を移してもベラ・シキ、イングリート・ヘブラー、セシル・ウーセ、クリスティアン・ツァハリアス、ピエール=ロラン・エマールという名ピアニストが名を連ねている。
2006年には昨年のショパン国際ピアノコンクールに優勝したユリアンナ・アヴデーエワが第2位に入ったし、かの大ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニは、1957年、58年と2年連続で第2位に甘んじ、その雪辱を期したのであろう、60年のショパンコンクールでは圧倒的な優勝を飾っている。
日本人のピアニストも、古くは田中希代子、宮沢明子、近年では迫昭嘉や原田英代などが第2位に輝いているが、これまで日本人ピアニストの優勝は出ていなかった。それだけに、萩原麻未が達成した日本人初の制覇は、まさに快哉!
「第一次からファイナルまで4つのステージがあって、私はその舞台の上で音楽をすることだけに集中していました。ファイナルが終わってからは本当に放心状態で、何も考えられない状態だったんです。ですから結果を聞いて、ただただ驚いてしまいました。そして数分後、これからどうすればいいんだろうと…」
第1次予選の幕が開いたのは昨年11月9日、ファイナルは18日だった。萩原麻未は、第1次予選の結果発表の翌日には第2次予選のステージに立ち、それから2日おきに演奏する過密な日程で予選を勝ち上がっていった。
くじ引きによる出演順も常に2番目、「本当に余裕がなくて、寝られない毎日」を過ごしたのだという。
「一番感じたのは責任感でした。やはり選んでいただけたということは、それなりに恥ずかしくない演奏をしなくてはならないと思っていたので、それがものすごいプレッシャーでした。またどのコンクールでも、たいてい課題曲にはエチュードが入っているのですが今回はエチュードがなく、第1次予選では代わりにトッカータを選択するようになっていました。私はサン=サーンスのトッカータを選び、後はショパンの24の前奏曲からの選択でした。第2次予選では、ベートーヴェンのソナタとマルタンのプレリュード、ベリオ《5つのヴァリエーション》も入れました」
2010年6月にパリ音楽院大学院を卒業し、直後に受けたコンクールがジュネーヴだった。ファイナルには女性3人が進み、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」を演奏した萩原麻未が第1位、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」を弾いたロシアのマリア・マシチョワと、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を選んだ韓国のHyo Joo Lee(イ・ヒョジュ)がともに第2位と発表された。本選のサポートはパスカル・フェロ指揮スイス・ロマンド管弦楽団。
1986年広島市に生まれたが、すぐに呉市に転居、5歳からヤマハ音楽教室で2年ほど学んだ。他にもいくつか習い事に通っていたが、きっかけは母親の「ピアノもやってみる?」という一言だった。習い始めてから数ヵ月後、三原市で開かれたみはらジュニアピアノコンクール5~6歳の部で、バッハを弾いてpf会賞を受賞。その後生地に戻り、10歳で「中国ユース音楽コンクール」で最優秀賞、1996年と1998年にはピティナ・ピアノコンベンション全国大会C・D級金賞第1位、また同じ年に全日本学生音楽コンクール大阪大会第1位を獲得する活躍を見せた。また中学に進んだ2000年にはイタリア・パルマドーロ国際コンクール・ピアノ部門で史上最年少優勝の栄誉に浴している。
いつの頃から萩原麻未は、ピアニストへの夢を抱きはじめたのだろう。
「5歳の最初のコンクールで賞をいただいた頃から、ピアニストになりたいと言っていたみたいです(笑)。そのからずっとその気持ちは変わらずに、徐々に強くなっていったんだと思います。小学校の頃も、学校から帰ったらすぐピアノに触っていたので、放課後に友だちと遊ぶということはできませんでしたけれど、学校で友だちと会えること自体が嬉しかったので、特にストレスは感じませんでした。部活動やスポーツはしていませんが、学校行事などを休むことは嫌で、毎回必ず参加していました。友だちと何かを作っていくという過程が好きだったので…。本当は、鉢巻きして応援団もしたかったんですが、できなくて…(笑)」
コンクールへの参加は、もちろん指導者から薦められたこともあったが、その多くが夏に開催されたため、1年に1度自らの力量を確かめたいとも願って申し込んだ。きちんと目標を立て、それに向かって努力をしていく生真面目な性格が垣間見える。
「正直、ピアノをやめようかと思ったこともありました。でもそういう時でも結果的に、ピアノに触れることで自分の気持ちが癒されたり、精神的に復活できたりしたので、ピアノは自分にとってなくてはならないものだと思います。小さい頃は、例えば有名なピアニストのCDを聴いて触発されて、その曲を弾きたいと思ったり、門下の先輩たちが弾かれている曲を聴いて自分もその曲を弾きたいと…。それがこれまで続いたような気がします。その曲を通して、自分が表現できるということがすごく楽しかったんだと思います」
やがて萩原麻未は、広島音楽高等学校へ進む。一学年60名ほどの学校で、ピアノ科は20名弱だった。高校3年間はただ自らの研鑚に費やし、コンクールなどへは敢えて挑戦しなかった。そして高校2年の時、広島で開催されたマスタークラスでジャック・ルヴィエと運命的な邂逅を果たす。
「ルヴィエ先生には自分に足りないところを的確に指摘されました。それは例えばすごい基本的なことですけれど、一から楽譜を読むということであったり、また自分の表現ばかりに捉われないということもでした。それがきっかけで、パリ音楽院に留学することを決めたのですが、行ってからも本当にたくさんのことを勉強しました。ベートーヴェンなどの古典ものをきちんと学んだこともそのひとつですし、私は教えられたことに対してすぐに反応できる時もあるんですが、ついのめり込んでしまったり、集中し過ぎているとそれが飛んでしまうことがあって…。まだ自分の精神状態をコントロールすることができなくて、冷静に自分の音を自分の耳で聴けていなかったんですね。客観的に聴いてどう聴こえているかということをわかっていなかったので、それを教えていただいたんです。もちろん今も課題はありますが…。ルヴィエ先生のレッスンはものすごく厳しいんですが、でもフレンドリーに接してくれます」
好きなピアニストはと尋ねると、ラドゥ・ルプー、内田光子、アルフレッド・コルトーの名前を出してから、「たくさんいて、選べないです。どんなタイプのピアニストにも、感銘を受けてしまうので…」と口元をほころばせた。少しインタヴューでの緊張が解れたか、可愛らしく柔和な表情が浮かぶ。
その萩原麻未は、どんなレパートリーが好きなのだろう。
「シューマンなども好きですけれど、現代曲にも興味があります。それほどたくさんだ勉強していないのですが、これから開拓していきたいと思っています。パリ音楽院の大学院1年生の時の課題で、シュトックハウゼンなども弾きました(笑)。これから武満さんなども勉強したいと思っています」
彼女はパリ音楽院、同大学院のピアノ科を卒業、引き続き室内学科に在籍してイタマール・ゴランに薫陶を受けている。ゴランは、ヴェンゲーロフやレーピン、庄司紗矢香などとの共演で知られるアンサンブルの名手。現在、チェロとの室内楽をゴランに見てもらっているのだという。さらにパリ市立音楽院で、エリック・ル・サージュにも師事している。こちらはバイオリンとのデュオ。意欲的に室内楽に取り組んでいる様子が伺えるが、コンクール以降、広島でもこの3月にヴァイオリニストの小林美恵と、フランクとドビュッシーの「ソナタ」、ラヴェル「ツィガーヌ」を、また同地でのルヴィエのリサイタルで、ラヴェル「ラ・ヴァルス」2台ピアノ版を共演して聴衆を沸かせたのは記憶に新しい。
「弦楽器、バイオリンもそうですけれど、チェロに憧れます。ピアノと違って、弦楽器にしかできない表現力がありますから…。実は中学校の時に、一番安いバイオリンを買ってもらって、独学で練習したんですけれど、駄目でした(笑)。構えることもできなくて…(笑)」
ジュネーヴ国際コンクールに優勝した記念コンサートも、この5月に用意されている。パリやジュネーブ、ドイツなどヨーロッパのみではあるが、メインはフランクの傑作「ピアノ五重奏曲」。共演は2006年のジュネーブ国際コンクール弦楽四重奏部門で第2位(1位なし)に入賞したフランスのヴォーチェ四重奏団だ。それに加えてシューマンの「アラベスク」とフォーレ「ノクターン第1番」を彼女がソロで演奏することになっており、また別の機会に音楽祭への出演も予定されている。
「音楽を尊敬しているからこそ、音楽と関わるときは、人間的な気持ちの上でも真っ白の状態でありたいと思っています。ですからこれから作曲家に向かう時に、、自分のスタイルで演奏するのではなく、作曲家によって自分も自由自在に変化していきたいので、自分という存在はないくらいの感じで舞台に立ちたいと思っています。そのときどんなものが出てくるのか、とても楽しみです。それこそが、ピアノに対しての私の愛情かもしれませんし、とにかく精進したいと思っています」
これから増やしたいレパートリーは、シューベルト、モーツァルト、ハイドンなどと目を輝かせる萩原麻未は、一日の始まりのコーヒーが大好き。「でも料理を作ることも息抜きになっているんです」と、飛びっきりの笑顔になった。
Textby 真嶋 雄大
※上記は2011年4月25日に掲載した情報です