この記事は2012年9月18日に掲載しております。
2011年に行われた第80回日本音楽コンクールのピアノ部門で、見事優勝を飾ったのが浜野与志男である。円光寺雅彦指揮東京交響楽団と共演したプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」は、煌めくように輝かしい音色と沈潜するように内省的なアプローチとが比類ないコントラストを生み、数多くの聴衆の共感を得て聴衆賞(岩谷賞)を受賞、同時に野村賞、井口賞、河合賞などを獲得したのである。大きなタイトルを得た浜野は、何を感じているのだろう。
- pianist
浜野 与志男 - 1989年東京生まれ。A.カラマーノフ国際ピアノコンクール(2005)、野島稔・よこすかピアノコンクール(2008)、ロンドン国際音楽コンクール(2010)、ロシア音楽国際ピアノコンクール(2011)などの国際コンクールに上位入賞及び優勝。2011年第80回日本音楽コンクールにて第1位、併せて野村賞、河合賞、井口賞、岩谷賞(聴衆賞)受賞。『アムステルダム運河』音楽祭(2003)、音楽祭『ロシアにおける春』(2007)、日本・ロシア音楽家協会『サウンド・ルート2008 日本⇔ウクライナ』、『RED SQUARE FESTIVAL』(モスクワ、2011)などの音楽祭に出演。円光寺雅彦・大友直人指揮・東京交響楽団や山田和樹指揮・藝大フィルハーモニア(プロコフィエフ作曲ピアノ協奏曲第2番)、ロシア国立チャイコフスキー四重奏団、ウィーン・ラズモフスキー四重奏団をはじめ共演多数。これまでに東京、ロンドン、モスクワ、ビシケクにて定期的に開催するリサイタルのほか、東日本大震災被災地での演奏活動や〈ルネサンス プロジェクツ ワールドワイド〉(www.rpw.jp)として兼重稔宏氏と共催するチャリティ・コンサートなど自主企画公演にも積極的に取り組む。2011年、文化庁新進芸術家海外研修制度により渡米しニキータ・フィテンコ氏に師事。CHANEL Pygmalion Days 2012参加アーティスト、2012年度 公益財団法人 ローム ミュージック ファンデーション奨学生。
東京藝術大学附属音楽高等学校および東京藝術大学ピアノ専攻を経て、同大学院音楽研究科に在籍。現在は岡田敦子、E.アシュケナージ、御木本澄子各氏に師事。
※上記は2012年9月18日に掲載した情報です
LOVE & HATE、ピアノがあるからこそ自分の伝えたいことが出来る。
「コンクール後の12月から翌年3月まではアメリカに短期留学していました。それは以前からの予定だったのですが、授賞関連のコンサートを始め、多くの本番を経験することができ、自分でも成長することができたと思っています。コンクール優勝というと、その肩書きのみを重視する方が多いのですが、予選や本選、その後の演奏会を通じてぼくの演奏を聴いていただける、そういう出会いこそが大きな賞だと思っています。“優勝してすごく変わったでしょう”などとは言われますが、特に調子に乗ることもなく(笑)、まだまだ勉強することはたくさんあるので、引き続きという気持ちでやっています」
3歳からピアノを始めた。父は日本人、母はロシア人、特に音楽家ということではないが、ともに大の音楽好き。息子に何か音楽をと、ピアノを与えた。近所の縁で巡り会ったピアノ教師に手解きを受け、9歳の頃からしばらくヴァディム・サハロフにも指導を受けた。サハロフは、愛知県立芸術大学客員教授などを務めたピアニストで日本とも関わりが深い。
「サハロフ先生には12歳くらいまで、習いました。その後、エレーナ・アシュケナージ先生と岡田敦子先生に師事しています。2人の先生に習うと、バッティングして相反することがあり、すごく悩む人も多いのですが、ぼくは運がいいのでしょう。アシュケナージ先生のトップダウン的な教え方と岡田先生の細かく分析していく指導で支えていただいています。もう10年も指導していただいているので、コンクールの賞も先生方お二方に差し上げたいくらい(笑)、恩師として慕っています。アシュケナージ先生のメインはロシア音楽で、音楽性から入っていきます。岡田先生は本当に博学で、一言細かいことを言われると、小さい頃はそれがいい形で生かされて表現がガラっと変わりました。ご自身の信条としては、“音楽的な表現とテクニックの2分論はもうやめるべきだ”と…。“あくまで表現のためのテクニック”であり、賛否両論はありますが、テクニック信仰というか“メカニックの一人歩きは良くない”といつもおっしゃっています。また御木本澄子先生も、純粋テクニックという意味で連動して教えてくださいました」
現在浜野は東京藝大大学院の1年生だが、この9月からは休学してイギリスに留学、1975年のリーズ国際ピアノ・コンクールの覇者、ドミトリー・アレクセーエフに師事している。ちなみにその年のリーズの第2位は内田光子、第3位がパスカル・ドゥヴァイヨンとアンドラーシュ・シフ、そして第4位にチョン・ミュンフンという、錚々たる顔ぶれ。すでに何度か指導を受けているアレクセーエフについて、浜野は「素晴らしい音楽家。すごく情熱的でありながらストイックな面もある。そういう所に惹かれました。またずっと現役の演奏家を続けていらっしゃって、教え始めたのは6年前。第一歩から学びたい」と目を輝かせる。
では自身の演奏については、どう分析しているのか。
「人からは、表現的で主張が強くて人の心に届くとは言われます。そういう中で、自分が主張したいのは自分自身の感情や、思考や方向性ではなく、聴いてくださる皆さんと一緒に考えていけるような主張ですね。コンクールに対して飽くなき挑戦を続ける肉食系の人たちは、自ら主張を掲げてガンガン行くという人が多いと思いますが、ぼくは聴いて下さる方たちと音楽を共有し、コミュニケーションを取りながらという方が好きですね」
ピアニストは時に作曲家のメッセンジャーでもあるし、独立した表現者でもある。そういう意味でのコミュニケーションとは何か。
「ぼく自身の表現の中で、作品はひとり歩きしていくのだろうと思います。つまりこういう作曲家だからこういう風に弾かなければならないという考え方には賛成できません。作曲家のもとにぼくと聴いてくださる方が集まるのではなく、作品をどう調理するのかは僕自身の考えるところだと思っています」
強烈な意志を感じさせる言葉ではあるが、最近演奏しているレパートリーはプロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第8番」、スクリャービン「同第10番」、ラフマニノフ「前奏曲集Op.23」全曲、そしてベートーヴェン《熱情》など。こうしてみるとロシアものが多いが、やはりそれは身体に流れる血のなせる技なのだろうか?
「僕の場合、モーツァルトを弾いても“ロシア音楽じゃないんだから”と言われたり、民族性というのは要らないくらいたくさん出てくるので(笑)、自分から意識することはありません。また偉大な作曲家、歴史に残っている作曲家の作品というのは国民性や民族性の垣根を越えて、普遍的なものだと認識しています。それに演奏家は“これが好きだから”とか、“これだけできる”というのではダメだと思います。云わば仮面を付け替えられるような役者でなければいけないので、様々な作品を自分らしくもあり、また各々の曲らしくも弾かなければならないと思っています。ですから、ロシアもののように重厚ではないフランス音楽やロシア的になり過ぎないショパン、そしてヨーロッパ的なベートーヴェンなど、まだまだ推敲の余地があって、それが今のぼくの課題です」
レパートリー的には何を弾いても説得力のある演奏家を目指しているが、今のところはどうしてもロシア音楽が多いと振り返る。そのロシア音楽の魅力について敢えて問うと、「有無も言わさぬ強い主張、説得力」と語る浜野だが、バロック、古典派、ロマン派、近代はもちろん、現代音楽についても実は大好きで、広がりのある音、空間のある音など、いい音質にこだわりたいから、音そのものが効果的な曲を弾いていきたいと重ねた。
「音の並びで、わぁーっと盛り上げて凄いと思わせようとする音楽家、演奏家もたくさんいます。また突き刺さるような汚い音ばかり弾くような人もいますが、そういう演奏家には魅力を感じません。確かにそういう音も時には必要なこともありますが、聴いてくださる人を誘い込めるような音にこだわりたいと思っています。誘い込んでから初めて、対話が始まるのですから…」
浜野が好きなピアニストを挙げてみると、アレクサンダー・コブリン、ドミトリー・アレクセーエフ、ニコライ・ルガンスキー、そしてエミール・ギレリスと、やはりロシア系が圧倒的だ。また幼少から浜野は、両親の関係で世界のあちこちで見聞を広めた経験をもつ。だからこそ浜野は、音楽を通して世界の人々に何か訴え、音楽を通じた対話をしたい、また将来的にはより広範な音楽環境を構築する活動を10年20年のスパンでやりたいと明確なヴィジョンを語るのだ。
「留学の予定は一応2年間です。東京藝大は2年間休学することができるので、帰国したらまた復学する可能性もあります。藝大にはお世話になっていますし、藝大というコネクション、コミュニティは大切にしたいと思っています。また博士課程までは勉強したいと思っていますし…」
2012年はシャネルで主宰するピグマリオン・デイズ・クラシックコンサートへの出演の他、来年4月にはベートーヴェン《皇帝》、2014年3月にはアレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルとスクリャービンの協奏曲を共演すること(予定)になっている他、いくつかのコンサートに出演するために、適時帰国するという。
「まだ将来のことはわかりませんが、何よりも演奏することが好きなので、日本を一番重要なマーケットとしてやっていけたらと思っています。中長期的に見ると、今の一般的なコンサートは形態が徐々に変わっていくのではないでしょうか。ピアノ・リサイタルも、年代順に作曲家を並べましたというような形ではなく、音楽の価値を見直しつつ、熱い活動ができればと…。特にジャンルの融合などという広く、浅くではなく、あくまでクラシックピアノという本質は外さずに、深く関わっていきたいと思っています」
一見するとシャイな優男であるが、どうしてその肝は座っていて一本芯が通っている。それがピアニズムにも如実に反映しているのだろう。筆者が聴いたシューマン「ピアノ・ソナタ第1番」は、堂々たる風格を携えながら丹念に掘り下げたであろう探究心と、深々とした共感が滲み出てくるように清冽だ。シューマン独自の古典的様式観を逸脱することなく、けれども主題の展開に伴う和声推移を目眩くような色彩変化とともに紡ぎ出す力量は並ではない。何より作品に対して真っ向勝負、堅牢な造形、心を浮き立たせるようなダイナミズム、鮮烈なタッチ、みずみずしい生彩、そして明確な輪郭を構築しながら抒情性と精神性をバランスよく調和させた彫琢は鮮やかな音楽的感興を創出する。
またここに、ピアノ新時代を予感させるスケールの大きなピアニストが現れた。
Textby 真嶋 雄大
※上記は2012年9月18日に掲載した情報です