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イリヤ・イーティンさん 音楽が社会にとって意味があり、何か役割を担っていると信じたい。 この記事は2019年5月10日に掲載しております。

ロシアピアニズムを継承する精巧なテクニック、研ぎ澄まされた感性、緻密な作品解釈で、ソロ、室内楽、コンチェルトと、あらゆるジャンルで高い評価を得ている現代の巨匠、イリヤ・イーティンさん。ご自身のピアニスト人生を振り返りながら、若者たちへの提言などを熱く語ってくれました。

Profile

pianist イリヤ・イーティン

pianist
イリヤ・イーティン
突出した才能と卓越した技法を持つピアニスト イリヤ・イーティン。
ロシアのエカテリンブルグ生まれ。モスクワ音楽院を最優秀で卒業。L.ナウモフ氏に師事。
「彼の音楽は、誠実で温かく、詩的で、ロマンティズムに溢れている。」と名教授レフ・ナウモフ教授のエピソードにある。リーズ国際ピアノコンクール審査員全員一致の第1位受賞、並びに近現代音楽部門 第1位、BBC放送聴衆賞受賞。ラフマニノフ国際コンクール第2位。
ウィリアム・カペル国際ピアノコンクール第2位、クリーブランド国際コンクール第1位、並びにショパン賞受賞。
アールトゥール・ルービンシュタイン国際コンクール第3位。ジーナ・バッカウァーコンクール第3位、並びにモーツァルト賞、並びにプロコフィエフ賞受賞。
クリーブランド管弦楽団、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、他多数共演。S.ラトル、N.ヤルヴィ、V.シナイスキー、C.ドホナニー、Y.クライツヴェルク、M.プレトニョフ、井上道義 他著名な指揮者とも共演。
2012年~2013年、ピューリッツァー賞作曲部門受賞者 Y.ワイナー氏が、彼のために書かいたピアノソロ曲が、世界初演をすることになった。
リンカーンセンターにてモーツァルトフェスティバル(ニューヨーク)、アルデベルグ
フェスティバル(イギリス)、バス フェスティバル(イギリス)、トゥルースにてジャコビンズピアノフェスティバル(フランス)、サンクトペテル・ブルグにて、ゲルギエフ監修 マリンスキー劇場フェスティバル(ロシア)、ウルムにて、ヨーロッパ音楽プロジェクト
フェスティバル(ドイツ)、ヘルシンキ・ピアノフェスティバル(スウェーデン)、ラビにて、ミケランジェリフェスティバル(イタリア)他多数のフェスティバルに招聘され演奏会を行う。
 
ヴァイオリニスト イダ・ヘンデルとの共演のDVDをはじめ、室内楽 ベートーベン/ヴァイオリンソナタ第5番、ピアソラ/春・秋、ブラームス/ヴァイオリンソナタ第1番他、
ソロでは、ムソルグスキー/展覧会の絵、プロコフィエフ/ソナタ第6番、ラフマニノフ/
プレリュード全曲演奏 他。また、CDにおいては、ムソルグスキー/展覧会の絵、プロコフィエフ/ソナタ第6番、ベートーベン/協奏曲第2番 他多数リリースされている。  
年間数多く世界で、演奏会をこなす。銀座王子ホール、紀尾井ホール、東京文化会館などでリサイタル開催。フィリアホール、王子ホールなどで、N響コンサートマスター篠崎“マロ”史紀とのデュオリサイタルを開催し話題を呼ぶ。篠崎氏を第一回目のゲストとして、イリヤ・イーティンと仲間達(室内楽)を開催中。
プリンストン大学・ゴランスキー・インスティテゥートクラスに毎年招かれ、マスタークラスを、またジュリアード音楽院、UCLAでマスタークラスに招かれている。2017年からウラル大学に招聘され、2018年ウラル国際音楽コンクールピアノ部門の審査委員長を務める。日本音楽コンクール、及び仙台国際コンクールの審査員を務める。現在、武蔵野音楽大学客員教授。
▶イリヤ・イーティンさんオフィシャルサイト
※上記は2019年5月10日に掲載した情報です。

コンクールは自分自身との戦い、失敗は将来のためのレッスン

 コンクールでの入賞が人生の転機になってきたと語る。

「初めて参加したコンクールは、ロシアで開催されたラフマニノフ国際コンクールでした。ナウモフ先生に勧められて参加し、第2位になり、その後モスクワ音楽院を卒業し、ピアニストとしての第一歩を踏み出すことができました。
ウィリアム・カペル国際ピアノコンクールへの参加については、おもしろい経緯があります。友人が私のコンサートの録音テープをコンクール事務局に送ったのです。ある日突然「参加を許可する」という手紙をもらって驚きました。当時はソ連から海外に出るビザを取得するのはとても難しく、無理だと思いました。友人たちが奔走してくれたおかげで、コンクールが始まる数日前に行けることになり、航空券をやっと入手してコンクール会場に着いたときには、コンクールはすでに始まっていました。初めての外国でのコンクール、それは本当にエキサイティングな体験でした。幸いにも第2位になり、そのままアメリカに留まることになりました。コンクールのすぐ後、「8月クーデター」が起き、ソ連が崩壊したからです。家族とも連絡が取れず、この後何が起きるのか、誰にも予測できませんでした」

 アメリカに移ってから数々のコンクールで輝かしい成績を収め、ピアニストとしての地位を確立した。

「ジーナ・バッカウァー国際コンクールには、少し悲しい思い出があります。セミファイナルからファイナルに進むときに水疱瘡を発症してしまったのです。棄権しようと思ったのですが、ここまでのスコアはトップなのだから続けて演奏したほうがよいと言われ、高熱にもかかわらず演奏して、第3位という結果になりました。その後、クリーブランド国際コンクールで優勝し、当時のクリーブランド管弦楽団の音楽監督で偉大な指揮者、クリストフ・フォン・ドホナーニと何度も協演することができました。
そして、アルトゥール・ルービンシュタイン国際コンクールで第3位になった後、リーズ国際ピアノコンクールで優勝することができました。その前の回にもエントリーし、参加を認められたにもかかわらず、コンサートと重なって行かなかったので、コンクール側の私に対する心象は悪かったと思います。ですから、ダメでも仕方ないという気持ちで、初めてのイギリスの滞在を楽しみながら演奏し、思いがけず優勝することができました。ベルリン・フィルの音楽監督に就任する前のサイモン・ラトルが、バーミンガム市交響楽団との協演ツアーに招いてくれるなど、ピアニストとしての活動の場は大きく広がりました」

 コンクールはますます増え、多くの若者たちがチャンスを求めて参加している今日の状況を、イーティンさんはどのように見ているのだろうか。

「私自身の経験から言いたいのは、コンクールは誰かと戦うのではなく、自分自身との戦いだということです。昨日の自分より今日の自分が成長していたら、それでよいのです。いつも人と比較していると行き詰ってしまいます。自分より優秀な人は必ずいるのですから……。もうひとつ大切なことは、失敗から学ぶことです。失敗は、将来のためのレッスンだと思えばよいのです」

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イリヤ・イーティンさんへ “5”つの質問

※上記は2019年5月10日に掲載した情報です。