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マルク=アンドレ・アムラン さん アーティストにとってもっとも重要なことは、自らの文化的な責任を認識すること。 この記事は2018年8月9日に掲載しております。

超絶技巧作品や知られざる作品の名演で知られ、コアなピアノファンから圧倒的な人気を集めるマルク=アンドレ・アムランさん。キャリアを重ねた近年はレパートリーをさらに広げ、作曲家として、ピアニストとして充実した活動を続けています。12年ぶりの来日公演の合間に、お話を伺いました。

Profile

pianist マルク=アンドレ・アムラン
© Fran Kaufman

pianist
マルク=アンドレ・アムラン
マルク=アンドレ・アムランは、音楽性とヴィルトゥオーゾ性が驚異的なほど独自に融合した演奏によって、まさしくピアノの権化として、伝説的な地位を獲得している。
彼は、なじみの薄いピアノ・レパートリーの探求では、並ぶ者のない存在として長く知られているが、今では古典派のレパートリーにおいても、独創性とすばらしいテクニックが結びついた演奏で、世界的に認められている。客演独奏者としては、ニューヨーク・フィルハーモニック、フィラデルフィア管弦楽団、モントリオール交響楽団、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、ロンドン・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団を始めとする、数多くのオーケストラと共演している。ニューヨーカー誌のシニア評論家アレックス・ロスは、次のように書いている。「アムランの伝説は、ますます大きなものになっていくだろう。現在のところ、彼に比肩できる者はだれもいない」アムランは、アメリカや故郷のカナダのみならず、ヨーロッパ、オーストラリア、極東でもリサイタルを開き、めったに授与されることのないドイツ・レコード批評家賞の生涯功労賞を最近獲得している。Hyperionレーベルには50点ほどのCDを録音しているが、その中にはアルカン、バーンスタイン、ボルコム、ブゾーニ、ハイドン、ヘンゼルト、コルンゴルト、ヨーゼフ・マルクス・レーガー、ルビンシテイン、シャルヴェンカの協奏曲、そしてアルベニス、ショパン、ドビュッシー、ハイドン、ヤナーチェク、リスト、メトネル、レーガー、シューマンらのピアノ独奏作品が含まれている。また、長い間待望されていた自作の《短調による12の練習曲》の録音は、輝かしい勝利を収めている。
 アムランは2003年にカナダの勲爵士に、そして2004年にはケベック州の勲爵士に叙されるという栄誉に浴している。彼はまた、カナダ王立協会のメンバーでもある。
現在はボストンに在住。
※上記は2018年8月9日に掲載した情報です。

作曲家が常に抱く、興味深い問題

 作曲家として数々の作品を世に送り出しているアムランさん。ピアニストとして過去の作曲家の音楽を理解するうえで、作曲家ならではの特別な信念やプロセスはあるのだろうか。
「理想論でいえば、音楽は音楽だけ独立して存在するべきだと思います。とはいえ、作品が書かれた背景を知ることは、音楽を理解する上で助けになりますから、演奏者はできる限りのことを知ろうとするべきです。
 解釈のプロセスは作品によって異なります。例えば先日のリサイタルで演奏したシューマンの『幻想曲』なら、音楽の中に秘密の言語がたくさん含まれていて、その多くが彼の愛したクララに関連しているので、シューマンの人となりや当時置かれた状況を知ることが、謎の解明につながるでしょう。とはいえ、作品が意味していることが全て明らかになることは永遠にないかもしれませんが」

 これはつまり数世紀ののち、アムランさんの作品をピアニストが解釈しようとして、その人生や私生活について研究するかもしれないということ。それについて、どう感じるのだろうか?
「私が書く音楽には、私生活が反映されているところが一つもありませんから、私の伝記を読んで演奏の役に立てようと思っても、それは無意味だと言っておきましょう(笑)。楽譜が投影している感情を読み取ることに専念したほうがいいですね」
 さらに、自ら演奏家であるからこそ、楽譜を書く上で意識していることもある。
「楽譜に書き込めることには限度がありますが、そこからできるだけ私の意図に近い理解をして欲しい。でもあまりに細部にわたって指示を書きすぎると、ピアニストの表現は、まるで牢屋に入れられたもののようになってしまいます。ある程度自由な解釈の余地を残しておかなくてはいけません。結果として時々、自分の作品が希望とは違った形で演奏されることもあるわけですが……作品に生命があると感じられる限りは、それも受け入れようと思っています。これは作曲家が常に抱く、興味深い問題ですね」

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マルク=アンドレ・アムラン氏へ “5”つの質問

※上記は2018年8月9日に掲載した情報です。