この記事は2016年1月25日に掲載しております。
仲道郁代が、デビュー30周年のメモリアル・イヤーを迎えた。そのパフォーマン スたるやまさに広範にして鮮烈、リサイタル、オーケストラとの共演、室内楽と、どの分野においても日本を代表 するピアニストのひとりとして、濃密かつ充実した演奏活動を展開している。
- pianist
仲道 郁代 - 4歳からピアノをはじめ、桐朋学園大学1年在学中に第51回日本音楽コンクール第1位を受賞。多数の受賞を経て、1987年ヨーロッパと日本で本格的にデビュー。温かい音色と叙情性、卓越した音楽性が高く評価され、人気、実力ともに日本を代表するピアニストとして活躍している。
古典からロマン派までの幅広いレパートリーを持ち、これまでに日本の主要オーケストラと共演した他、海外のオーケストラとの共演も数多く、人気、実力ともに日本を代表するピアニストとして活動している。これまでにサラステ指揮フィンランド放響、マゼール指揮ピッツバーグ響、バイエルン放響及びフィルハーモニア管、小林研一郎指揮ハンガリー国立響、ズッカーマン指揮イギリス室内管(ECO)、ブルゴス指揮ベルリン放響、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルなどのソリストとして迎えられ高い評価を得ている。また、99年にはカーネギーホールでリサイタル・デビュー、2001年にはサンクトペテルブルグ、ベルリン・フィルハーモニーホールでコンチェルト・デビューを果たしている。
リサイタルも全国各地で開催しており、中でも「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会」とレコーディングは、作品への真摯な取り組みと音楽性が高く評価され“ベートーヴェン弾き、仲道郁代”という評価を確固たるものとしている。近年は、ショパン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの各シリーズ企画、毎年恒例となったサントリーホールでのコンサートなどが好評を得ている。
他にも、子どもたちに音楽との幸せな出会いをして欲しいとスタートした「星のどうぶつたち」「光のこどもたち」「不思議ボール」、各地の学校を訪問するアウトリーチ活動など、魅力的な内容とともに豊かな人間性がますます多くのファンを魅了している。
レコーディングはソニー・ミュージックジャパンインターナショナルと専属契約を結び、多数のCDをリリースしている。最新盤は「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集」で、「レコード芸術」誌で特選盤に選ばれ、「現代のピアノによるモーツァルトの決定盤」と評された。
著作には『ピアノの名器と名曲』、『ショパン 鍵盤のミステリー』『ベートーヴェン 鍵盤の宇宙』(ナツメ社)、最新刊『ピアニストはおもしろい』(春秋社)等がある。テレビ番組、新聞、雑誌、ラジオなどメディアへの出演も多く、音楽の素晴らしさを広く、深く伝える姿勢は多くの共感を集めている。
仲道郁代オフィシャルサイト
※上記は2016年1月25日に掲載した情報です
30年を振り返って
「1982年、桐朋学園大学1年生の時に、日本音楽コンクールで第1位をいただきました。その後何度か演奏機会をいただいたんですが、学生時代ということもあり、まだ自分の中で人前で演奏するということに気持ちの整理がついていませんでした。それはもう弾いては落ち込み、弾いては落ち込みの連続…。その後文化庁在外研修員として2年間ミュンヘンに留学し、幾つか国際コンクールなどを経験して帰国、1987年から本格的に演奏活動を始めたのが、私のデビューなんです」
デビュー・コンサートは同年11月5日、昭和女子大学人見記念講堂でのリサイタル、2000席を擁する大ホールである。その後サントリーホールで12月2日に開催された「ヤマハ創立100周年記念コンサート《協奏曲の夕べ》」にも出演、井上道義指揮新日本フィルとショパン「ピアノ協奏曲第1番」を共演して注目を浴びた。
「ありとあらゆる挑戦をさせていただいた30年でした。とりわけ印象深いのは、2002年6月から2006年3月まで12回にわたって開催された、諸井誠先生とのベートーヴェンのシリーズ『レクチャー・コンサート《ベートーヴェンの全32曲のピアノ・ソナタを語り、聴く会》』。これはとてもエポック・メイキングで、諸井先生とベートーヴェンから、本当の意味で楽譜を読むとはどういうことか、演奏家として音を出すのはどういうことかということを徹底的に教えていただきました。そこから演奏家としての考え方、在り方が変わったと思います」
さらに仲道が10周年を迎えた年の11月6日、子どもが誕生した。そのため10周年記念コンサートは見送ることに…。演奏家にとって、子どもを育てる母親との両立は想像するだに過酷である。けれども慌ただしい日々を送る中から、クラシック音楽と生活の関わりや、子どもが成長していく過程での自身の在り方を考えるようになったと述懐する。
「自分が舞台で弾くだけではなく、世の中に演奏家が存在することで何ができるかという試みを続けてきた30年でした。演奏会というものをどのように世に問うていくか、どのように作曲家と向き合っていくか、ピアノという楽器を操るということはどういうことか、そういったものがようやく見えてきた気がします。子どももちょうど20歳になって手が離れましたし、これからは精一杯音楽と、音楽の持つ力に尽くしていきたいと思っています」
※上記は2016年1月25日に掲載した情報です