この記事は2017年4月11日に掲載しております。
イギリスと日本を拠点に、世界を駆け巡って活躍している小川典子さん。デビューのきっかけとなったリーズ国際コンクール入賞から30年という節目を迎え、これまでのピアニスト人生、現在の活動について語っていただいた。
- pianist
小川 典子 - 英国と日本を拠点に世界各国へ演奏旅行を行う他、国際コンクール審査、マスタークラスなど広範囲な活動を展開中。北欧最大のレーベルBISより33枚のCDをリリース。2014年BBCプロムスへの出演や海外オーケストラとの共演、菅野由弘「ピアノの粒子3部作」を録音、BISより発売中。2015年サンクト・ペテルブルク響やワルシャワ・フィルと共演、英国マンチェスターブリッジウォーターホール「R&R音楽祭ラヴェル&ラフマニノフ」主催、リサイタル、BBCフィル共演、2台ピアノ演奏で出演。2016年はモスクワ国立交響楽団、BBC交響楽団と共演やシンガポール演奏旅行、日本音楽コンクール、シドニー国際、モトラム国際コンクールの審査の他、7月には生誕150周年サティ・ピアノ曲集のCDもリリース予定。2016年2月より、第10回浜松国際ピアノコンクール(2018年)審査委員長に就任。
英ギルドホール音楽院教授、東京音楽大学特任教授、ミューザ川崎シンフォニーホールアドバイザー、「ジェイミーのコンサート」主宰、NAS英国自閉症協会文化大使、イプスウィッチ管弦楽協会名誉パトロン。文化庁芸術選奨文部大臣新人賞受賞、川崎市文化賞受賞。
小川典子オフィシャルサイト
※上記は2017年4月11日に掲載した情報です。
ピアノが大好き! 好奇心旺盛な子供時代、悩みながらピアニストへの道を模索した日々
母がピアノ教師という家庭に生まれ、幼い頃からピアノに親しみ、ピアノが大好きだったと語る小川さん。
「初舞台は2歳半。当時私は自分のことをボクと呼んでいたらしいんですが、母の発表会で「ボクも弾く!」と言ってきかなくて、何か耳で覚えた曲を弾いたようです。正式なレッスンは4歳半から、黒田文子先生のところに通うようになりました。ドードドから始まって、「もっといろんな曲が弾けるのに」と子供心に思った記憶があります。メチャクチャな指使いで、勝手に弾いていたんですけれどね(笑)。黒田先生には鍵盤の上で美しく手の形を保つことの大切さを教えていただき、とても感謝しています。楽譜に絵を描いて、関節でしっかり支えて手がアーチの形になるよう毎週厳しく指導してくださいました」
6歳から「桐朋学園子供のための音楽教室」に通い、専門的な教育を受けるようになったが、音楽以外の様々なことに興味を持ち、学校でも積極的に発言する活発な少女だったという。
「学級会で男の子を言い負かすのが楽しみだったんです(笑)。子供の頃は、とにかくいろいろなことに興味を持って、あれもやってみたい、これもやってみたいと言って、母を困らせたようです。先日イギリスの友人にその話をして、ほかの方向に進んだら、違う人生があったかもしれないと言ったら、だめだめ、君はピアノしか弾けないんだから、得意なものを伸ばしてもらって感謝すべきなんだよと言われ、それもそうかなと……(笑)」
小学6年生で全日本学生音楽コンクール小学校の部で第1位、さらに高校1年生で高校の部でも第1位となり、順風満帆にピアニストへの道を歩み始めたように見えるが、悩みや挫折の多い学生時代だったと語る。
「私の不運は、素晴らしい先生方に師事することができたのに、その先生方が次々にご病気になったことです。「桐朋学園子供のための音楽教室」に入った頃は、毎週土曜日のソルフェージュや聴音、合唱のグループ・レッスンが待ちきれないほど楽しみで、末光勝世先生に師事してピアノも上達し、充実した毎日だったのですが、先生が重いご病気で倒れられました。これがその後15年にわたって私が苦しんだ不定期なレッスンの始まりでした。
小学5年生のときに井口愛子先生の門を叩き、厳しく情熱的な指導に鍛えられ、小学6年生のときに全日本学生音楽コンクール小学校の部で第1位をいただくことができましたが、その直後に愛子先生も体調を崩され、弘中孝先生をご紹介いただきました。現役のピアニストとして活躍している弘中先生のレッスンは新鮮で、実に多くのことを学びましたが、演奏活動がお忙しく、レッスンが不定期だったため、自分ひとりで考えて練習しなければなりませんでした。高校1年生のときに全日本学生音楽コンクール高校の部で第1位になったものの、目に見えない重圧、先生の不在……、自分が何をすべきかわからなくなり、悩みました。
そんな状態を打開しようと、周囲の反対を押し切って高校卒業と同時にニューヨークのジュリアード音楽院に留学したのですが、師事したサッシャ・ゴロニツキー教授も、わずか2回のレッスンの後、ご病気になってしまったのです。ジュリアード音楽院を卒業するまでの4年間、ピアノ演奏に関してはほとんど独学で、先生と仲良くしている学生たちが本当に羨ましかったですね。ああいうふうに先生と信頼関係を築いて学ぶことができたらどんなにいいだろうと……」
小川さんの人生に転機が訪れたのは、ベンジャミン・キャプラン氏との出会いだった。
「ロンドンからニューヨークにいらしたキャプラン先生のレッスンを受けて、探し求めていたものがやっと見つかったと感じました。長いトンネルの先に一筋の光が見えたのです。ジュリアード音楽院を卒業してイギリスに渡り、キャプラン先生の濃密なレッスンを受けてリーズ国際コンクールに参加し、第3位入賞、プロの演奏家としての生活が始まりました。あれから30年、様々な想いが胸をよぎります」