この記事は2019年8月27日に掲載しております。
東京藝術大学修士課程修了後、ウィーン国立音楽大学でさらに研鑽を積み、第12回東京音楽コンクール第1位ほか、ヨーロッパの国際コンクールでも優勝、入賞を重ね、2018年の第10回浜松国際ピアノコンクールでは日本人作品優秀演奏賞を受賞した梅田智也さん。2019年4月からは、母校の東京藝術大学、愛知県立明和高等学校で教鞭を執りながら、意欲的な演奏活動を繰り広げています。そんな梅田さんに、これまでの歩み、今後の抱負などを語っていただきました。
- pianist
梅田智也 - 岐阜県出身。5歳よりピアノをはじめ、これまでに奥村真、杉浦日出夫、長谷正一、西川秀人、東誠三の各氏に師事。愛知県立明和高等学校音楽科、東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業後、同大学大学院修士課程首席修了。修了時にクロイツァー賞、大学院アカンサス音楽賞、藝大クラヴィーア大賞受賞。修了と同時に、ロータリー財団奨学生としてウィーン国立音楽大学に留学し、M.ヒューズ氏に師事。第62回全日本学生音楽コンクール全国大会第2位、第38回ピティナ・ピアノコンペティション特級銅賞、第12回東京音楽コンクール第1位並びに聴衆賞、リヴォルノ・ピアノコンペティション(イタリア)第2位、第11回ラニー・シュル・マルヌ国際ピアノ・コンクール(フランス)第3位、第9回トレヴィーゾ国際ピアノ・コンクール第1位、第10回浜松国際ピアノ・コンクールにて日本人作品最優秀演奏賞を受賞など数々のコンクールで優勝、入賞を果たす。
東京、名古屋を中心に多くのソロリサイタルを開催する他、2018年2月にはイタリアでのリサイタルを行った。小林研一郎、円光寺雅彦、広上淳一、大井剛史、岩村力、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団など著名な指揮者、主要なオーケストラと共演。ソロ活動の一方で、名古屋フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターらと室内楽も行い、好評を博す。A.ヤシンスキ、W.ナボレ、A.コブリン、J.ルヴィエ、B.L.ゲルバー、M.J.ピリス等著名な音楽家のレッスンを受講し研鑽を積む。
現在、東京藝術大学ピアノ科、愛知県立明和高等学校音楽科非常勤講師。全日本ピアノ指導者協会正会員。
※上記は2019年8月27日に掲載した情報です。
野球少年から、がむしゃらにピアノに取り組み、悩んだ日々
岐阜県出身の梅田智也さん。豊かな自然に囲まれた環境で、のびのびと育ったという。祖父母の家にあったアップライトピアノに興味を持ち、夢中になって弾いていたことから、ヤマハ音楽教室に通うようになった。
「自分ではあまり記憶がないんですが、やはり音楽が好きだったのでしょうね。でも、練習は嫌いだし、じっとしているのも嫌いで、ダメな生徒だったと思います。小学校時代はジュニア専門コースで学びましたが、スポーツ少年団で野球をやっていましたし、スイミングスクールにも通っていたので、ピアノはあまり練習していなかったと思います。毎週土曜日、日曜日は、一日中野球の練習か遠征試合という生活でしたから」
転機が訪れたのは、中学生になった頃。奥村真氏に師事し、ピアノに真剣に取り組むようになった。
「奥村先生には、基礎的なテクニック、そして何よりも「耳の使い方」を徹底的に学びました。厳しいレッスンでしたが、ただ速く正確に弾く指をつくるのではなく、常に自分の出した音に意識を集中して聴き通すことの大切さを学び、鍛えられました。有り難かったのは、音楽的なことに関して、ここはこう弾きなさいと押し付けるようなところがまったくなかったこと。そういう意味では放任し、自分の頭で考えるように仕向けてくださいました。今そのことに、とても感謝しています」
愛知県立明和高等学校の音楽科に進み、奥村真氏の父、杉浦日出夫氏の指導も受けるようになる。
「高校からは奥村先生、杉浦先生の2人体制で、毎週2回のレッスンを3年間受けました。高校の音楽科に入って、まず感じたのは、この道に進むにはかなり遅れをとっているなということ。毎年ピティナのコンクールには参加していましたが、予選を通るか通らないかというレベル。ほかの人より何倍も頑張らなければいけないと感じ、負けず嫌いな性格なので、とにかくがむしゃらに練習しました。振り返って、そういう時期も必要なのかなと思います。杉浦先生は知識が豊富で、ヨーロッパの音楽の歴史や古い時代のピアニスト、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、リヒテル、コルトー、フランソワなどについてよく話してくださり、いろいろな意味でインスピレーションを刺激され、多くのことを学びました」
がむしゃらに練習した成果が少しずつ現れ、高校3年のときに参加した全日本学生音楽コンクール全国大会で第2位となり、翌年、東京藝術大学に進学する。
「学生音コンは、高校3年で初めて参加して名古屋大会で第1位、全国大会で第2位という結果を得ることができ、少し自信がついたのですが、藝大に入ると、優秀な同級生ばかりで、学部時代は焦りを感じたり、悩むことが多かったですね。一人暮らしをするようになって、生活リズムをつかむのが、まず大変で……。自分がどんな曲に向いているのか、何をすべきなのか、よくわからなくなってしまって、精神的に安定せず、コンクールの結果も出ない状態が続きました。今思うと、ひたすら耐える時期だったと思います」
※上記は2019年8月27日に掲載した情報です。