この記事は2009年8月9日に掲載しております。
「ピアノは僕の生活の一部で、なくてはならないもの。どんなときにも一緒にいる、長年ともに人生を歩んできた”よき友”です。もう離れられません!」とはにかみながら語る辻井氏。師である横山幸雄氏と夏も終わりの軽井沢八月祭に登場しました。アンコールでは本邦初公開の連弾も披露、ぴったり息の合った師弟の演奏と語らいをお届けします。
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辻井 伸行 - 1988年東京生まれ。1995年7歳で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部第1位受賞。1999年11歳で全国PTNAピアノコンペティションD級で金賞を受賞。1998年10歳の時、三枝成彰スペシャルコンサートで本名徹次指揮、大阪センチュリー交響楽団と共演し鮮烈なデビューを飾った。2000年12歳で、第1回ソロ・リサイタルをサントリーホール小ホールにて行い、翌年第2回のソロ・リサイタルを開催。この他に、神戸音楽祭に出演するなど日本各地でコンサート活動を行う。2002年に「佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサート」に出演。また、同年、東京オペラシティ・コンサートホールで行われた金聖響指揮、東京交響楽団とのコンサートでは、モーツァルトとショパンのコンチェルト2曲を演奏し大成功を収めた。これまでに読売日本交響楽団、東京交響楽団の定期演奏会に登場したほか、海外での活動も行っており、カーネギーホールにてアメリカ・デビュー。ロシア(モスクワ音楽院大ホール)、チェコ、台湾などでも演奏。2002年にはパリで佐渡裕指揮、ラムルー管弦楽団とも共演した。2005年10月、ワルシャワで行なわれた第15回ショパン国際ピアノコンクールにて「批評家賞」を受賞。2007年、エイベックス・クラシックスより待望のデビュー・アルバム「debut」を発売。2008年、初の全国ツアーを開催。東京ではサントリーホール大ホールにてリサイタルを行い、大成功を収める。また同年、佐渡裕氏とともにドイツにて、ベルリン交響楽団と2ndアルバム「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番」を録音。
2009年6月7日、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールにて日本人初の優勝を飾った。また同時にビヴァリー・テイラー・スミス賞(コンクールのために書かれた新曲の最も優れた演奏に対して授与される)を受賞。
これまでに、増山真佐子、川上昌裕、川上ゆかり、横山幸雄、田部京子各氏に師事。
現在、上野学園大学演奏家コースに在学中。
「辻井 伸行」オフィシャルサイト
※上記は2009年9月30日に掲載した情報です。
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横山 幸雄 - 美しく洗練されたスタイルによる、味わい深い表現を持ち味とし、豊かな色彩感覚と緻密な構成力をかねそなえた本格派ピアニスト。1971年東京生まれ。 1990年パリ国立高等音楽院卒業。同年、ショパン国際コンクールにおいて、歴代の日本人として最年少入賞の快挙以来、人気実力ともに常に音楽界をリード するトップアーティストとして、確実に自己の道を歩みつづけ、大きな実りをもたらしている。活動は、古典から近現代まで、独奏曲・室内楽・協奏曲すべての分野において、圧倒的な幅の広さを誇る。内外の一流オーケストラや著名アーティストとの共演も数多く、深い信頼を得ている。また、ショパンやベートーヴェン、ラヴェルの全曲演奏会など、自ら企画する数々の意欲的な取り組みにより、高い評価を確立してきた。現在は、2010年に生誕200年を迎えるショパンのシリーズを各地で展開している。ソニーの専属アーティストとして、数多のCDをリリース。それらは文化庁芸術祭レコード部門優秀賞、国際F.リスト賞レコードグランプリ最優秀賞などを受賞。最新アルバム「バッハ:ゴールドベルク変奏曲」は、各紙で絶賛されている。近年、作曲家としても様々な作品を発表し、楽譜の校訂や単行本の出版など、執筆の分野でも示唆にとんだ著作を残している。これまで、新日鐵音楽賞フレッシュアーティスト賞、モービル音楽賞奨励賞、文化庁芸術選奨文部大臣新人賞など数多くの賞を受賞。上野学園大学教授、エリザベト音楽大学客員教授として、後進の指導にも意欲的にあたっている。2007年、東京と京都に自らプロデュースするイタリアンレストランをオープン。食と音楽の旬を楽しむ空間を演出している。
「横山 幸雄」オフィシャルサイト
※上記は2009年9月30日に掲載した情報です。
師弟で成し得た一つの金字塔 飽くなきピアノへの探究心と愛情が創造するものは。
「夢は世界に羽ばたくこと。器の大きなピアニストになるのが目標であり、夢でもあるんです。そして、僕の演奏を聴いてくれた人たちが音楽のすばらしさを感じ、演奏に感動してくれたら本当にうれしい。いつも聴衆とともにありたいと願っていますから」 8月25日、軽井沢の大賀ホールで、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝記念「辻井伸行with横山幸雄ピアノ・コンサート」(軽井沢八月祭実行委員会、学校法人上野学園主催)が開かれた。プログラムはモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K448(375a)」からスタート。第1ピアノを辻井が担当、第2ピアノを横山が担当し、華麗で色彩感に富んだ作品をふたりとも鮮やかな音のパレットを広げるように弾き進めた。両者のキレのいい音とやわらかな響きの絶妙のバランスがホール全体を包み、1曲目からやんやの拍手喝采となった。
2曲目は辻井が得意とするショパンのバラード第1番 ト短調 作品23。若々しくダイナミックな響きが印象的で、若きショパンが紡いだ物語性に富む作品が、勢いに満ちたみずみずしい音楽となってスピーディに流れていく。
次いで横山がバラード4曲中もっとも高度で絶妙なルバートを要求されるバラード第4番 ヘ短調 作品52を演奏。豊かなニュアンスに彩られた成熟した響きを披露した。これに続けて彼の作品である「アヴェ・マリア—バッハ=グノーの主題による即興」が演奏され、作曲家&編曲家の一面を垣間見せた。
続いて辻井がヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの第2次予選リサイタルの必須課題曲である、アメリカの現代の作曲家ジョン・マストによる「即興曲とフーガ」を演奏。コンクールのほぼ2か月前に楽譜が届いたという現代作品をすべて暗譜して完全に自分のものとし、自信をもって演奏する姿に会場からは大きな拍手が送られるとともに、感動のあまりそっとハンカチで目を押さえる姿も見られた。
最後はラフマニノフの組曲第2番の第4曲「タランテラ」。この作品だけはふたりがピアノを交換。第2ピアノ側の席の聴衆にも辻井の演奏姿、指先が見え、みんなが腰を浮かすように、一瞬たりとも指先を見逃すまいとする様子が印象的だった。
アンコールでは連弾も登場。ドビュッシーの4手のための「小組曲」が演奏され、最後はミヨーの2台のピアノのための「スカラムーシュ」第3曲で締めくくられた。
冒頭の言葉は辻井伸行が常に語っている自身の目標であり、夢である。この日も聴き手と一体となり、人々の大きな拍手が彼にコンサートの成功を告げた。
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール後は、演奏会に加えてさまざまな取材や行事に追われる日々が続いた。横山幸雄とこれほど多くの作品を合わせる時間はあったのだろうか。非常に息が合っていたが、超多忙な両者のリハーサルは一体いつ行われたのかが疑問だった。これに関して横山が答える。
「まったくその通り。ふたりともゆっくりリハーサルをする時間はありませんでした。各々が練習してお盆の時期に1時間ほど音合わせをし、今日の本番前に最終的に短いリハーサルをして仕上げました。なんといっても集中力と体力勝負。僕は体力だけは自信があるんですが、その僕よりも辻井くんのほうが数倍も体力があるので、たのもしい限り。それに彼は集中力が並ではないので、短時間で合わせることができたんです」
これを横で聞いていた辻井は、はにかんだような笑顔を見せながらこう補足する。
「横山先生はいつも効率よくスピーディに教えてくださるので、僕はそれに素直に従っていればいいんです。今回のようなふたりでの演奏も、ふだんのレッスンの積み重ねだと思っています。いつもふたりで演奏しながらレッスンをしていますし、先生の演奏はずっと聴き続けていますので、呼吸がわかる感じ。今日も相手の音に注意深く耳を傾けるように心がけました」
この子弟関係は、どうやら似た者同士といえそうだ。集中力、体力はいうにおよばず、片時もピアノから離れないというところも似ている。実は、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの本選直前、横山は最終的な「怒涛のレッスン」を行うべく、コンクールの開催地であるテキサス州フォートワースに飛んだ。このコンクールは本選で2曲のコンチェルトと、リサイタル・プログラムを3回に分けて演奏しなくてはならない。通常、本選を控えたピアニストは睡眠や休息をゆっくりとったり、何か気分転換をしたりと、心身を休ませることが多い。だが、横山は辻井の意向を汲んで、直前に10時間に渡る猛レッスンを行った。
「先生は各々の作品のこまやかな抑揚やフレーズ感、リズムから表現力まで細部にわたってレッスンをしてくれました。寝たり食べたり、最低のことはしたはずですが、ほとんど覚えていません。直前の夜中1時までぶっ続けで10時間ピアノに向っていた。それだけを覚えています」
「僕が現地に滞在していたのは26時間だけ。その間、辻井くんがホームステイをしていた家で僕がオーケストラ・パートを弾いたりしながら最終の仕上げを行いました」
こうした努力が実を結び、辻井伸行は見事優勝の栄冠に輝いた(中国のツァン・ハオチェンと優勝を分け合った)。このコンクールは1958年に第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したアメリカのピアニスト、ヴァン・クライバーンが1962年に母国で設立したもの。ソロ、室内楽、協奏曲、新曲と多岐にわたる課題曲をこなさなければならない、ハードなコンクールである。
今回辻井の選んだ作品を見ると、彼は第1次予選をショパンの12の練習曲作品10からスタートし、第2次予選リサイタルではベートーヴェンのピアノ・ソナタ「ハンマークラヴィーア」ほかを取り上げ、第2次予選室内楽ではタカーチ弦楽四重奏団とシューマンのピアノ五重奏曲を演奏している。そして本選リサイタルではベートーヴェンのピアノ・ソナタ「熱情」ほかを弾き、本選協奏曲ではショパンのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏している。まさに重量級のプログラムだ。
「ショパンもラフマニノフも大好きな作曲家ですので、思いっきり心を込めてのびのびと弾くことができました。第1次予選ではリストの《ラ・カンパネラ》も演奏していますが、僕はリストも大好きなんです。《ハンガリー狂詩曲》のようなはげしい曲も好きですね。でも、こういう曲はものすごく集中力を必要としますので、結構大変ですが…」
横山の発言にもある通り、辻井の集中力はケタはずれ。ピアノに限らず、何でもやり始めると長時間続ける。大好きな水泳を例にとると、4時間泳ぎっぱなし。録音も納得する音が生まれるまでプレイバックを何度も繰り返し聴き続け、自然な音になるまでいっさい妥協はしない。本人はまったく疲れを見せないが、周囲の人は根負けすることも。
「2005年のショパン国際ピアノ・コンクールに出場するときも可能な限り練習をし、現地に入ってからもずっと練習を続けました。残念ながら本選には残れませんでしたが、ワルシャワの空気を感じたことで、ショパンに対する思いや愛情がより深くなった気がします」
歴代の優勝者によるショパン国際ピアノ・コンクールのライヴ録音もずっと愛聴してきた。とりわけ気に入っているのは、スタニスラフ・ブーニンとユンディ・リの演奏。いつの日か自分も参加したいと願って耳を傾け続けた。そしてコンクールでは、批評家賞を受賞した。
「ワルシャワでもっとも印象に残っているのは、ショパンの生家のジェラゾヴァ・ヴォラに行ったこと。生家の周囲の広大な自然、涼やかな風、木々のざわめき、小川のせせらぎ、鳥の声、花の香りなど、すべてに深い感動を覚えました。すごく静かで、耳をすますと自然界の音しか聴こえない。なんてすばらしい環境なんだろうと感慨深かった。この感覚はショパンの作品を弾く上でとても大切で、いまでもこの感覚を忘れないようにしています」
彼は昔から風を感じるのが好きで、友人と山登りをして頂上を流れる空気や風の音、自然のスケールの大きさを感じ取り、それらから得た曲想を「高尾山の風」という自作に込めている。パリを訪れたときにも、セーヌ川下りをしたときのイメージを「セーヌ川のロンド」と題した曲に託した。
「作曲も即興も昔から自己流でピアノに向って続けています。演奏する作品を覚えるのはすべて耳から。ひとつひとつの音や和音、フレーズなどすべを記憶していきます。音符を覚えるのは難しくありませんが、それをリサイタルで演奏するレベルにまで高めていくのが一番大変です。長い時間練習を重ねて、ようやく自分の音だと思える音になったときが一番うれしい。それを、今度は聴いてくださるかたに楽しんでいただきたいと思ってステージに立ちます。リサイタル前は8時間くらいぶっ通しで練習します」
真摯で前向きで明るい辻井伸行。いま一番の課題は「自立すること」。両親や先生、周囲の人々のサポートを極力減らして自主性をもってさまざまなことをこなすことだそうだ。来年はまたショパン国際ピアノ・コンクールが巡ってくるが、「もうコンクールよりも、実際の演奏活動で一歩一歩自分を磨いていきたいと考えています。クライバーン・コンクールでは3年間のコンサート契約をいただいたので、ヨーロッパやアメリカでの演奏が入っています。ものすごくハードですが、レパートリーを増やし、少しでもいい演奏をしたい。努力あるのみです」
10月から12月にかけて全国ツアーが行われ、日本各地で演奏する。「大好きなピアノと一緒ならなんでも乗り越えられる」という彼の演奏は、聴き手の心の奥深い部分に真の感動を届ける。ぜひ、ナマ演奏の醍醐味を!!
Textby 伊熊よし子
※上記は2009年9月30日に掲載した情報です。