この記事は2014年11月11日に掲載しております。
2002年、ロシアで開催されるチャイコフスキー国際音楽コンクールピアノ部門で、日本人として、そして女性として初の優勝に輝いた上原彩子。その快挙は、日本のピアノ界にとってセンセーショナルな出来事だった。それから12年。今も充実した演奏活動を続ける彼女に、幼少期からのピアノとの関わり、そして現在の活動についてお話を伺った。
- pianist
上原 彩子 - 3歳児のコースからヤマハ音楽教室に、1990年よりヤマハマスタークラスに在籍。
2002年6月には、第12回チャイコフスキー国際コンクール ピアノ部門において、女性としてまた、日本人として史上初めての第一位を獲得。 2008年度第18回新日鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞受賞。2004年12月にはデュトワ指揮NHK交響楽団と共演し、2004年度ベスト・ソリストに選ばれる。
2006年1月10日には「日本におけるロシア文化フェスティバル2006」オープニング・ガラコンサートでゲルギエフ指揮マリンスキー管弦楽団と共演、また、2010年5月にはユーリー・バシュメット率いる国立ノーヴァヤロシア交響楽団と、2013年6月にはドレスデン・フィルとの日本ツアーを行い高評を博した。CDは日本人ピアニストとして初めて、EMIクラシックスと契約し、プロコフィエフのソナタ7番等を収めた「プロコフィエフ全集」など3枚がワールドワイドで発売されている。
※上記は2014年4月30日に掲載した情報です
練習時間は毎日しっかり確保!
「この12年が、これまでの人生で一番充実した時間でした」
そう言って、幸せそうな笑顔を見せる。チャイコフスキーコンクール優勝以来ピアニストとしてキャリアを重ねる傍ら、結婚、出産を経験し、今や3児の母でもある上原彩子。
12年前、ピアニストとしての将来の自分を想像していたかと尋ねると、
「コンクールに優勝した直後は目の前のことで精いっぱいでした。先のことを考える余裕がそもそもありませんでしたが、少なくとも、12年後に3人の子供を持っているとは思いもよらなかったですね(笑)」
私生活の充実が、すばらしい形で音楽に影響を与えているピアニストだ。近年の彼女の演奏からは、聴く者の心を穏やかにする懐の広さ、深い愛情、そして揺らぐことのない強さを感じる。母として、女性としてのエネルギーが、ますます演奏家としての彼女を輝かせているのだろう。
「子供は毎日変わっていきますから、常に勉強。ピアノのことより、明らかに知らないことだらけです。一緒にいる時間はとにかく楽しいですし、まだ小さいので、母親として必要とされる幸せを感じます。練習時間は、子供たちが小学校や保育園に行っている時間帯に確保しています。朝10時から始めて、保育園のお迎えにいく午後4時までの、6時間。子供たちが帰ってきたあとは、ピアノは弾きません。いくら練習が途中でも時間が来たらやめなくてはいけない。気が済むまで練習できないことに不満を感じた時期もありましたが、もう慣れました(笑)。どうしても足りないと思う時は、午前3時くらいに起き出して練習することもあります」
子供たちに届けたい『くるみ割り人形』
この冬リリースされるチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を収録したアルバムは、そんなお子さんの存在もあって生まれたものだ。
「一番上の娘がずっとバレエを習っているのですが、彼女も私も『くるみ割り人形』が大好きで、よく一緒にDVDを観ていたのです。子供のレッスンを見学にいってバレエのステップや型などを見るうち、音楽的な新しい発見もありました。最近、小さな子供にも聴いてもらえる演奏会をやりたいと思うようになって、準備をしているところです。『くるみ割り人形』は、プレトニョフ編曲の作品に、自分で編曲した作品をいくつか加えて、物語の筋を追っていける内容にする考えです」
新アルバムの録音で使用したのは、ヤマハのCFX。チャイコフスキーコンクール優勝時もヤマハのピアノがパートナーだった彼女にとって、特別な親しみのある楽器だ。
「これまでのヤマハのピアノが持っていた繊細さをそのままに、CFXではよりダイナミックな音、特に低音でより力強い響きが出せるようになりました。日本には響きの良い大きなホールが多いですから、広い場所でも充分に響くパワーを持ち、なおかつ色彩の広がりが無限でいろいろな音色を引き出すことのできるピアノは、理想的です」
本当に響く音を鳴らすということ
上原がピアノを始めたのは、3歳の頃。母に連れられて近所のヤマハ音楽教室に入ったのがきっかけだった。
「ピアノについての記憶はあまりないのですが、“なぁ?にちゃん”というキャラクター(当時の3歳児コースのひよこのキャラクター)が好きで、友達と一緒に歌ったり踊ったりするのがとても楽しかったことを覚えています。レッスンを終えて家に帰るのが、いつもすごくさみしかったですね」
初舞台を経験したのは、小学校に上がる少し前のこと。大阪のフェスティバルホールという大きな会場で、自作のピアノ曲を披露した。
「とても緊張しましたが、拍手をもらうのが快感でした。ピアノに対しての自分の気持ちに気が付く、いいきっかけだったと思います」
10歳になると、ヤマハマスタークラスでレッスンを受けるようになる。周囲は年上ばかりで、とにかくついていくのが精いっぱいだったと振り返る。
「ピアノはもちろん、楽典やソルフェージュも、周りの子たちがとても優秀だったので刺激を受けて一生懸命勉強しました。みんなみたいにもっと難しい曲が弾けるようになりたいと、がんばって練習しましたね」
数々の著名ピアニストを育てているロシアの名教師、ヴェラ・ゴルノスタエヴァ女史に出会ったのものこの頃だ。
「先生からは、ピアノで歌うということ、本当に響く音を鳴らすということを教えてもらいました。それまでは、ピアノは鍵盤を押し下げて弾くものだと思っていましたが、どちらかというと鍵盤を引き上げながら音を引き出していくという感覚を知って、衝撃を受けました」
ピアニストという夢を初めて意識したのは、ドイツで行われたエトリンゲン国際青少年ピアノコンクールで優勝した、小学6年生の頃。
「その時はピアニストになるのがどれほど難しいことなのかわからなかったので。……でも、実際ピアニストという仕事が大変だと気が付いたのは、ごく最近かも(笑)。ありがたいことに、若いうちに大きなコンクールで賞をもらい、コンサート活動をさせていただくようになって、何も考えず、がむしゃらに続けてくるだけだったので。ピアニストに限らず、何でも長く続けていくのは大変なことだと、今改めて感じます。ようやく大人になったのでしょうか(笑)」
今改めて弾きたい、モーツァルト
そんな中、今また真剣に取り組みたいと思っている作曲家がいる。
「モーツァルトのソナタを全部勉強したいと考えています。ここ2年ほどラフマニノフなどを集中して演奏していたのですが、もう一度初心に帰って、基本的な部分を見直したいと感じていて。シンプルだけれどとても難しいモーツァルトに取り組みたいと思うようになったのです」
最近はモーツァルトの時代の楽器を知るため、古楽器演奏のレッスンも受けているという。
「モーツァルトは、モダンピアノとは、音、弾き方、そして考え方も違う楽器で作品を書いていたわけです。初めはなかなか古楽器の音に馴染めなかったのですが、慣れてくるとその美しさに魅力を感じるようになりました。当時の人がテンポルバートを多用して演奏していたということも知りました。制限のある中でどれだけの表現ができるかという古楽器演奏の経験を、モダンピアノでの演奏にも活かしてゆけたらと思います」
子供たちのために弾きたいと思った「くるみ割り人形」、そして今夢中で取り組んでいるモーツァルト。幼少期から自由な気持ちでピアノに向き合い続けてきた彼女が、またひとつ愛すべきレパートリーを増やし、私たちに届けてくれる。
Textby 高坂はる香
※上記は2014年4月30日に掲載した情報です