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上原 ひろみ さん(Uehara Hiromi) ピアノは愛情をかけたら、かけただけ返ってきます。人間関係と同じですね。 この記事は2009年5月18日に掲載しております。

日本が世界に誇るジャズ・ピアニスト上原ひろみさん。この春、巨匠スタンリー・クラークらのアルバムに参加、今年の「東京JAZZ」への出演も決定し、話題の尽きない「今」そして、ピアノとの素敵な関係を語っていただきました。

Profile

pianist 上原 ひろみ

pianist
上原 ひろみ
1979年静岡県浜松市生まれ。6歳よりピアノを始め、同時にヤマハ音楽教室で作曲を学ぶ。国内外の「ユニセフチャリティコンサート」「ジュニアオリジナルコンサート」等に多数出演。 17歳の時にチック・コリアと共演し、1999年にはボストンのバークリー音楽院に入学。在学中にジャズの名門テラーク・レーベルと契約。2003年にアルバム「Another Mind」で世界デビューし、欧米でのライブ活動をスタート。2004年春にはセカンドアルバム「Brain」をリリースし、アメリカの「サラウンド・ミュージック・アワード<ニュースター賞>」を受賞。2005年、活動の拠点をボストンからニューヨークに移す。2006年はサードアルバム「Spiral」を発売し、「ミラノ・コレクション」での演奏や、「ボストン・ミュージック・アワード<ベスト・ジャズ・アクト賞>」を受賞するなど活躍。2007年は新たにギターを加えたプロジェクトとして「HIROMI’S SONICBLOOM」を結成し、アルバム「Time Control」を発売。世界最大のフェスティバル英「グラストンベリー・フェスティバル」に出演するなど、全米・ヨーロッパ・中東などの各国でのツアーを行った。そして2008年新作「Beyond Standard」を6月に発売。ニューヨーク・ブルーノートでの4年連続一週間公演や、ハリウッドボウルでの「PLAYBOY JAZZ FESTIVAL」などに出演するとともに、北欧からアフリカまで世界中をツアーし成功を収める。
日本においては、2003年にTBS系「情熱大陸」に出演し話題となり、2003年度「日本ゴールディスク大賞」<ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤー>を受賞。2004年、巨匠オスカー・ピーターソンの日本公演のオープニングアクトを務め、2005年は「フジロック‘05」への参加、グラミーアーティストであるミシェル・カミロの日本公演での共演、サードアルバム「Spiral」(ジャズディスク大賞日本ジャズ賞受賞作品)は、オリコン20位のヒットを記録した。2006年は、ドリームズ・カム・トゥルーとのライブ共演、矢野顕子のアルバムへのレコーディング参加や共演ライブ、「東京JAZZ2006」への出演、タップダンサー熊谷和徳とのコラボレーションライブなどを実施。また、2007年には平成18年度(第57回)芸術選奨、文部科学大臣新人賞大衆芸能部門で受賞、「フジロック’07」への出演、浅田次郎原作・宮沢りえ主演映画「オリヲン座からの招待状」のメインテーマ曲を担当。さらには自身5度目となる日本ツアーも大成功に終了した。2008年1月には、チック・コリアとのブルーノート東京でのライヴを収めたアルバム「デュエット」(ジャズディスク大賞制作企画賞受賞作品)をリリースし、4月には日本武道館にてピアノデュオの公演を成功させる。5月には新作「ビヨンド・スタンダード」を発売し、ジャズ作品として異例のオリコンチャートTOP10を記録し、「第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞」、「第42回ジャズディスク大賞<金賞>」を受賞。11月からは6度目となる日本ツアー全14公演を実施。同時に初の映像DVD作品「上原ひろみ Live in Concert」と「上原ひろみ~Hiromis Sonicbloom Live in Concert」(ジャズディスク大賞最優秀ジャズ・ビデオ賞受賞作品)を2枚同時リリース。2009年は関西テレビ50周年記念ドラマ「トライアングル」のテーマイメージ曲を担当。また、ジャズ界の巨人スタンリー・クラーク、レニー・ホワイトとの話題のアルバム「ジャズ・イン・ザ・ガーデン」が春に世界リリースされるなど更なる飛躍が期待される。
「上原 ひろみ」オフィシャルサイト
※上記は2009年5月18日に掲載した情報です。

ジャズとの出会いは8歳の時、ピアノの先生のおかげ

ピアノを始めたのは6歳の時です。ヤマハ音楽教室の幼児科に通っていて、母がなんとなく「この子は音楽が好きそうだな」と感じて、地元のピアノ教室にも連れて行ってくれました。自分の意思でも何でもありません。(笑)
ジャズとの出会いは8歳の時、ピアノの先生のおかげ お稽古事はたくさんしていました。そろばん、お習字、水泳。。。そろばんは指先を使うからピアノとの相乗効果でめきめき上手くなりましたよ。
ピアノはごくごく普通にバイエルから初めてツェルニー。。。と練習していました。違うことと言ったら習っていたピアノの先生がジャズ大好き人間だったこと。その影響で私は8歳の時にオスカー・ピーターソンやエロール・ガーナーのレコードを真似して弾くようになりました。こうしてジャズのリズムに触れるようになったことと、ヤマハ音楽教室のジュニア科専門コースに在籍し、作曲もやるようになったことで広がっていきました。

クラスで組曲「踊るポンポコリン」を演奏、全校生徒が総立ちに。

子供の時からプロでもないのに一つ一つの本番に対しての想いや責任がとても強かったですね。人前に出るのは嫌だったのに、人前で演奏することは大好きでした。発表会はもちろん、門下生のクリスマス会などもすべて全力投球。
これは学校生活も同じで、小学校の頃から音楽会でやる曲はすべてアレンジしていました。当時、「踊るポンポコリン」が大ヒットしていたので、まず音楽室に行って置いてある楽器をすべて調べました。アコーディオンが何台、スネアドラムが何台。。。と言う風に。それで編成を考えて楽譜を作り、クラスメイトに振り分けたんです。当時小学6年生! もう毎日みんなを猛特訓ですよ。(笑)
そして組曲「踊るポンポコリン」三部作は出来上がり、校内の音楽会で演奏、全校生徒が総立ちになりました。これが初プロデュース?

高校の文化祭も今のライブも自分にとって音楽に対する姿勢や情熱に差はない。

高校生の時の合唱大会では燃えに燃えて、運動部の子などは練習に参加できなかったりするので、そこは課外練習! 15人くらいうちに連れて来て特訓していました。今だから笑ってくれているけれど、きっと嫌だった人も沢山いたでしょうね。(苦笑)
当時バンド活動もやっていたのですが、メンバーを泣かせたりもしてました。音楽に対する姿勢の違いに。。。高校の文化祭でやるライブも現在のように東京国際フォーラムでやるライブも自分にとって音楽に対する姿勢や情熱に差はないんです。もちろん、今のようにお客様からお金をいただいていると言うプロとしての立場は違いますが。学校の視聴覚室をライブ・ハウスに見立てて行うライブにお客様が来てくれる、聴きに来てくれると言う事実に真剣でした。だから、先週渡した楽譜を練習してこないなんて、私にとってはもう考えられないことで、、、そう言った意味での確執や葛藤はありましたね。でも普通の高校生ですから、ベース始めたばかりとかカラオケ得意だから合唱部に入ったとか、そんなカンジでしょ? 誰もプロになろうなんて思っていません。それなのに、俄然プロ意識に燃えている私につき合わされたのだから、彼らはたまったもんじゃありません。(笑)
ただし、一度でもいいものを創り上げたと言う喜びを経験してしまうと、次は欲も出てくるから、「もっとがんばろうよ!」みたいな流れが出来て楽になりました。最初が一番大変だったかな。今でもよく言われますよ。なんであの時、トイレでずっと歌わされたのか(一番響きが良いのがトイレだった)、教室の窓開けて中庭に向かって発声練習させられたのか。。。と。(笑)
そうそう、面白いことが一つあって、ある人が「友人の結婚式でピアノを弾きたいから教えて!」と、よりによって私のところに来たんです。なんと不幸なことか。。。展開はご想像つくと思うのですが、私は「結婚式って一生に一度のことだから、そのためにしっかり準備をしなくちゃ!」と燃えました。彼女は後で一言「こんなはずじゃなかった。。。」。

誰に対しても妥協を許さない自分がいた

大学から東京に出ました。中学や高校卒業のタイミングでアメリカに留学したいと言う気持ちはあったけれど、自分の中で「どうしても行きたい!」と言う震え立つ何かがなくて、その気持ちがないとだめだと、どこかで思っていました。
大学に進んでも被害者は尽きず(笑)、入学式の後のオリエンでたまたま隣に座った女の子と意気投合。音楽が好きで何か楽器をやりたいと言うので、一緒にジャズ研に入りました。彼女は私がどれくらい弾けるかなんて知りませんから、「バンドやろう。私ベースにしようかな」と。そして、彼女はベースを買ったその日から毎日私の家に来てブルース、ボサノバ。。。と練習させられました。でもその甲斐あって、彼女は2年後には私のオリジナルを弾けるところまで到達しましたよ。
今だに色々言われます。。。「私は普通に軽く大学生活を楽めればと思っていたのに、たまたまオリエンで隣に座ったばかりに、毎日スパルタでベースの特訓をしなくてはならなくなった。なんで明日までに曲を仕上げなきゃいけないの?! なんでこんなブルースのベースラインを練習しなくちゃならなかったの?!」と。
学生時代の友人たちはみんな「ひどい目にあった話題」では私のことを話します。(苦笑)
誰に対しても妥協を許さない自分がいたんですね。本当に悪いことをしました。

同じ志を持った人たちと過ごすしあわせ

大学を2年で中退して、アメリカ・バークリー音楽院に留学しました。英語がしゃべれると友達ができると思っていたけれど、ピアノが弾けると友達ができるということを実感! しかも弾ければ弾けるほど、さらに増える! それがとても不思議でした。しゃべったことがなくても一緒にセッションすれば分かり合える。日本でそんな経験はあまりなかったので、とても貴重な体験をたくさんしたと思います。
国籍も肌の色も違う人たちが世界中から集まってきて、音楽で分かり合える、そして同じ志を持った人たちと一緒に過ごすことのしあわせ。。。まさに24時間音楽漬けです。楽しかったですね。

応援はするけれど期待は全くしない愛すべき家族たち

私の家は特に音楽一家と言うわけでもなくて、ごくごく普通の家でした。音楽が好きそうだと思ってピアノ教室に連れていってくれた母しかり。応援はとってもしてくれるけれど、期待は全くしない。私が一生懸命やっているのはわかっているので「楽しいのなら頑張れば。。。」みたいな。(笑)
それは今でも同じです。とても冷静。。。それがよかったのかな。でも家族の存在に本当に助けられていると思います。
昔と今で大きく変わったのはライブの本数。以前は1週間に1本ギグがある、みたいな感じだったのに、今では日常茶飯事ですから。同じ会場で3日間や1週間やることもあります。ピアニストと言う職業がこんなに体力勝負なものだとは正直思っていませんでした。世界中をまわっているので、とにかく移動距離が長いし、体のメンテナンスがとても大切です。

スタンリー・クラークのアルバムに参加して

スタンリー・クラークとレニー・ホワイトは何十年も一緒にやっている人たちなので、「あ,うん」の呼吸もすばらしい。その上にピアノを乗せていけたことは幸福な時間でした。私は今まで自分のやりたい音楽を、叶えてくれる、手伝ってくれるメンバーを集めてやってきたわけですから、今回は全く違う視点で取り組みました。スタンリー・クラークと言う人が創りたい美意識とか世界観と言うものを一緒に描くお手伝いをさせてもらったんです。彼がどんなものを作り上げたいのか、何を求めているのか、それは「音」で感じ取るしかないのです。一音一音大切にね。

秋のリリースは初のソロ・アルバム、大満足の一枚!

春から夏にかけてオーストリア、ドイツ、スイス、イタリア、英国。。。とヨーロッパ・ツアー、7月にはまたNYブルーノートで一週間やれるし、とても楽しみです。つい先日NYで新しいアルバムの録音が終わりました。初めてのピアノソロ・アルバムです。
ピアノ1台きり、ピアノの音しかないので、今回はフル・コンサートグランド(CFIIIS)で練習し準備の時間をしっかり取りました。いつもは、普通のピアノで準備して、最後にフルコンで仕上げるのですが、今回は、どうすればピアノという生き物が一番活かされるのかということを追求したくて。日本では秋ごろにリリースされます。大満足の一枚に仕上がりました!ぜひ聴いて下さい。

上原 ひろみへ “5”つの質問

※上記は2009年5月18日に掲載した情報です。