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牛田 智大 氏(Ushida Tomoharu) 僕にとってピアノを弾くことは、自分の気持ちを表現する手段なのです。 この記事は2015年4月27日に掲載しております。

2012年、12歳でデビューして注目を集め、着実に成長を遂げている牛田智大。中学卒業の節目となるこの春は新たなレパートリーを引っ提げて各地でリサイタルを開催、夏にはミハイル・プレトニョフ指揮、ロシア・ナショナル管弦楽団とチャイコフスキー《ピアノ協奏曲第1番》を演奏する予定だ。
伸び盛りの15歳、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジに在籍し、ロシア・ピアニズムの真髄を学んでさらに大きく飛躍しようとしている彼の「今」に迫るべく、これまでの歩み、近況などを伺った。

Profile

pianist 牛田 智大
© Ayako Yamamoto/衣装提供:株式会社 オンワード樫山

pianist
牛田 智大
1999年10月いわき市生まれ。父親の転勤に伴い、生後すぐ上海に移り6歳まで滞在。
幼少の頃より音楽に非凡な才能をみせ、3歳よりピアノを始める。5歳で第2回上海市琴童幼儿鋼琴電視大賽年中の部第1位受賞。8歳の時から5年連続でショパン国際ピアノコンクールin ASIAで1位受賞。2012.年(12歳)、第16回浜松国際ピアノアカデミー・コンクールにて最年少1位受賞。2012年3月に日本人ピアニストとして最年少(12歳)でユニバーサルよりCDデビュー。その後、2013年「想い出」、「献呈~リスト&ショパン名曲集」、2014年7月2日「トロイメライ~ロマンティック・ピアノ名曲集」が発売されている(ユニバーサル ミュージック)。2015年6月に新譜発売予定。
各地でのリサイタルに加え、2014年9月5日には初の海外公演を行い、台湾の高雄市交響楽団と共演。2015年6~7月にはプレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団との初共演、日本ツアーが予定されている(チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番)。
上海にて陳融楽氏(現在バンクーバー在住)、鄭曙星(上海音楽学院教授・ピアノ学科長)、日本にて金子勝子(昭和音楽大学・大学院教授)に師事。現在、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジに在籍。ユーリ・スレサレフ(モスクワ音楽院教授)、ウラディミル・オフチニコフ(モスクワ音楽院付属中央音楽学校校長)の各氏に師事。
※上記は2015年4月27日に掲載した情報です

ラン・ラン、ユンディ・リに憧れてピアニストを目指す

 1999年、福島県いわき市で生まれ、生後7カ月で父の転勤先の上海に移った。当時家にあった電子ピアノに遊びながら触れているうちに、テレビなどで聴いた曲を耳コピーして弾くようになり、両親は彼にピアノを習わせることにする。

「ちょうど中国はラン・ランやユンディ・リの活躍でピアノ・ブームだったんです。彼らが演奏する姿が毎日のようにテレビに映し出され、僕はそれに憧れてDVDを買ってもらって毎日繰り返し見ていました。2歳か3歳くらいの頃でしたが、彼らの音楽に魅了され、素敵だなぁ、僕もピアニストになりたいなぁと思いました」

幼い彼を優しく導いてくれたのは、最初の師、陳融楽先生。ほどなくして、もっと専門的に学ぶべきという陳先生のアドヴァイスに従って、上海音楽学院教授・ピアノ科主任の鄭曙星先生に師事した。

「鄭先生は戦前のハルピン、上海でロシア人の教師に学んだ方で、よく響く美しい音を出すための打鍵の基礎を徹底的に指導してくださいました。毎回レッスンの始めに、スケールをゆっくり弾いて、一音一音、自分の弾いている音を聴くんです。腕や肩に力が入っていると、響きのない硬い音になってしまうので、脱力の大切さを耳と身体で自然に覚えました。以前、マエストロ・プレトニョフにレッスンしていただく機会があったのですが、打鍵の練習の仕方が鄭先生とまったく同じだったので驚きました。曲想についてのたとえ話なども似ていて、あぁ、僕は小さい頃からロシア・ピアニズムの教育を受けていたんだなとあらためて気づきました」

2歳10カ月でピアノを習い始めた時から、とにかくピアノが大好き。一日中飽くことなくピアノに向かっている。

「練習が嫌だとか辛いと思ったことは一度もないです。逆に両親が心配して、“やめなさい”と言うくらい(笑)。僕にとってピアノを弾くことは、自分の気持ちを表現する一番の手段なのかなと思います。口で何かをしゃべるより、ピアノで表現する方が楽なんです」

※上記は2015年4月27日に掲載した情報です