ヤマハピアニストラウンジ Facebook

ピアニスト 吉田 友昭のザルツブルグ日記

2010年日本音楽コンクールで優勝。鮮烈なデビューを飾ったピアニスト吉田友昭が留学先のオーストリア・ザルツブルグより、音楽武者修行の日々を一年間お届けしていきます。
(毎月1日.15日配信予定)

No.26
Date.2014.07.24

最終回。ありがとうございました。

1年ちょっとに渡って書かせて頂きました日記は今回で最終回です。「1年間、月2回、600文字くらい」という事で承りましたが、文章の訓練を専門的に受けていない私がそれなりの文章を書くのは新鮮で楽しい半面、纏まらずに大変苦労するときもありました。23~33日周期で人間の身体・感情・知性それぞれの好不調の波があるというバイオリズム論に最近興味を持っていますがそのリズムも影響しているのでしょう。理論上では今週末にバルセロナでリサイタルを行う時に感情と知性がほぼベストな状態、という事なのでどんな演奏になるのかとても楽しみです。

さて、日記という事で毎回過去をふり返る事を中心に書いてきました。最終回はこれからの未来について書きます。
9月はミュンヘン、マイセン、とドイツで2回リサイタルを行い、10月はオランダからスロヴァキアにスロヴェニアと南下しながら6都市で公演します。そして11月。日本で演奏会が2つあります。日本でリサイタルをするのは実に2年ぶり。変化に成長した姿をお見せ出来ればと存じます。 まず11月7日に故郷の札幌、札幌コンサートホールKitaraでモーツァルト、ベートーヴェンの名曲を中心としたリサイタルを行います。
▼詳しくはこちら
http://www.kitara-sapporo.or.jp/event/dsp.php?num=378

11月15日には横浜みなとみらいホールで行われる横浜市招待国際ピアノ演奏会に出演します。最も信頼する調律師とCFXで演奏する事は勿論ですが、他の出演者3名と数年ぶりに再会する事が何よりも楽しみです。演奏家になりたいと夢を持つ小中高校生との交流会もあり、企画側と出演側が一致団結して子どもたちの未来へ向かう第一歩に働きかける事が出来ればと考えています。
▼詳しくはこちら
http://www.yaf.or.jp/mmh/recommend/2014/11/33the-33rd-yokohama-international-piano-concert.php

11月末からはスペインのバレンシアで3公演の後CD録音と今年は本当に演奏機会に恵まれた年となっています。家族、先生、友人知人、応援していただいている方のお陰と自分の情熱で今まで生きてきました。最近は留学の達人として若い学生から相談を受ける事も多くなりました。私が応援していただいたように、これから留学を始める若しくは音楽の道に進んでいく若い学生達に少しでも役に立てる事が出来たらと思っています。 最後になりましたが、つたない文章をお読みくださった方々、誠にありがとうございました。コンサートの場でお会い出来る事を心より願っております。


No.25
Date.2014.07.04

ショパンとマヨルカ島

ショパンが作曲に使用したピアノです。音はボヨヨーン・・・保存のため?何十年と調律していないようです。

太陽と美しいビーチ。英国人やドイツ人に人気のリゾート地で、日本人にとってのハワイのような位置。島全体で70ヶ所のビーチがあるというマヨルカ島でリサイタルを行いました。
今回のリサイタルは21時から開始なので、当日にザルツブルクから移動。2時間の飛行機でマヨルカ島に着、会場であるショパンが過ごしたヴァルデモサ村へタクシーで移動。美しいビーチ・・・は車内から全く見えず山奥へ、いろは坂のように登って村に到着。ショパンが転地療養とパリの喧噪を離れる目的で家族と共に移ってきた事は知っていましたが、想像を超える極端な僻地でした。なぜこんな山奥に住んだのか・・・とほとんどの人が思うでしょう。調べてみると不治の病且つ伝染病であったショパンの結核が島民から恐れられた事、結婚せずジョルジュサンドと愛人関係であった事、を理由として島民に嫌われ避けられたようです。島の中心部から追い出されるように馬車で3時間かかるヴァルデモサ村でなんとか修道院の宿泊施設を見つけたショパン御一行。僻地でひと冬を過ごしたショパンの病気は、不便な生活に不満足な医療のため生命の危機と言えるほど悪化したようです。結局計3ヶ月ほどの滞在でマヨルカ島を去る事になるのですが、この期間に有名な「雨だれ」を含む前奏曲集やバラード2番にスケルツォ3番などなど傑作を多く作曲しています。
これらの作品にこの時期のショパンの境遇が反映されている事は間違いないと私は思います。ではどんな内容がどのように・・・とここで止めにしましょう。例えばパリの魅力を言葉で表現しきれないように今回のマヨルカ島滞在中やショパンの家でリサイタルをしながら感じた事を、私の乏しい語彙による文章で表現する事は不可能&言葉で伝えきれない事への不満足しか生まないようです。ここはピアニストらしく演奏で表現する事が一番の解決策。今回は2つのポロネーズ作品40等を弾きましたが、今後のリサイタルでこの時期のショパン作品を演奏する機会を心より楽しみにしています。

現在のところ我が人生で第1位の碧い海と美しいビーチ。ショパンは・・・泳がなかったと思います。


No.24
Date.2014.06.16

チャンスを得る為のチャンス

国際コンクールで入賞してもマネージメントやプロモーター(主催者や企画者)との幸運な出会いに恵まれなければ、ヨーロッパで多くの演奏会を得続けていく事が難しい現在の時代である、という考えを土台として書きます。尚、日本やアメリカの音楽業界につきまして私はあまり詳しくないので考慮しておりません。
情報機関であるアーリンク・アルゲリッチ財団の資料によると、世界にある国際コンクールの数は現在700を超えます。開催頻度は毎年や隔年に5年毎などそれぞれ異なりますが、ここ15年間は「毎年300」を超える国際コンクールが開催されています。ちなみに20年前には170、30年前には80という数でした。ほぼ毎日世界のどこかでコンクール優勝者が輩出されている事が今の現実。もちろん出場者全体のレヴェルに賞金額にオーケストラとの共演有無など、それぞれ開催規模にはピンからキリまであるのですが・・・。
コンクールで優勝すると賞金と共に演奏会契約を得ます。さて、計10回以上の演奏契約を得る事ができる国際コンクールの数はどれだけあるのでしょうか。私の知りうる範囲では、全体数700の中で30を超えないと思います。そして2位や3位に多くの演奏会が与えられるコンクールの数は10を超えないと思います・・・これらの話をすると多くの人に「そんな馬鹿な」と信じてもらえないのですが。現実としてコンクールは毎年若しくは何年の開催毎に優勝入賞者を輩出し続けていきます。世界◯大コンクールで入賞しても、数年後には演奏会がほとんど無い状態になっている事は全く珍しい事ではありません。これも多くの人・・・特にこれから留学・コンクールに挑戦する若い学生に信じてもらえないのですが。
コンクールで得た演奏機会のチャンスから、最初に書いた新たなる出会いを求め、今後の演奏活動を広げていく・・・ですからコンクールに参加する事はチャンスを得る為のチャンスと言えるでしょう。コンクールで優勝する事は開催規模に応じて数回から数年間の演奏活動が保証されるのみで、例えば5年後も保証されている事には決してなりません。私見ですが、2位や3位を得たという事はより多くの演奏機会というチャンスを得る為に次なるコンクールに行かなければならない事を指していると考えて良いと思います。現実として私は今まで師事した先生達にコンクールで2位や3位を得た事をお伝えすると「なんと残念だ・・・次がんばろう」というお言葉を最初に受け取りました。
少々暗い内容となってしまいました。ではポジティブな面を。インターネットによる中継などでコンクール期間中の演奏つまり予選での演奏も今まで知らなかった人と出会うチャンス、演奏活動が広がる大きいチャンスとなりました。とにかく人前に出る事が演奏活動を広げる第一歩。コンクールという演奏の場も自らの演奏会として考える・・・チャンスの場に今後も多くの日本人学生達が挑戦していく事を心より願っています。

今週はショパンが恋人ジョルジュ・サンドとひと冬を過ごしたスペイン・マヨルカ島の修道院でリサイタルがあります。雨だれの前奏曲の作曲地として有名です。



No.23
Date.2014.06.02

コンクールを振り返る

アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノマスターコンクール。残念ながらファイナルに進出する事なく終えました。Facebook等を通じて応援いただいた方々に改めまして感謝申し上げます。誠にありがとうございました。今後日本での演奏会を通じてお会い出来る時を心待ちにしております。
さて、今回のコンクール滞在は本当に特殊な経験となりました。舞台で得た経験よりも参加者達との意見交換に熱中した日々。連日の食事タイムや就寝前における討論の話題は主にコンクール、演奏会、留学先の状況、価値観、人生における幸せ、等々。ホテルのルームを参加者二人でシェア、ほぼ全員が演奏家として既に活動していて自らの美学・人生観を持っている・・・熱中議論の雰囲気を生み出すには十二分の環境でした。期間中「お父さんFather」と呼ばれながら過ごした私(笑)の人生にとって最も大きな人生経験の一つとなるでしょう。今も目を閉じれば熱く議論した彼らの表情が思い出されます。
今回最も人気が高く、落選時には審査員に対して聴衆からブーイングが起こったポーランドのMarcin Koziak:「自腹で払ってでも演奏会をして、例えば自転車でビーチサイドを走る等、心の平穏と共に生きる事が人生の幸福。でも1年後には全く違う意見を言うかも・・・」
2次予選期間は私とシェアメイトとなり2位を受賞したアメリカのSteven Lin:「演奏会後に人を眠れなくさせる事が音楽のパワー。それは僕の考えであって何が良い価値観で悪い価値観なんて誰にも決められない。でもピアニストとして演奏活動を孤独にひたすら行う事は人生の幸せになるのだろうか・・・」
10代から神童としてデビューした現在24歳の中国Wang Chun:「若い時は舞台とコンクールはただ楽しい存在だったけど、今は恐い存在にしか感じない・・・」
私に最も大きな衝撃を与えたのは3位を受賞した韓国チョ・ソンジンの「今現在ヨーロッパで演奏会はほとんど無いからこのコンクールに来た・・・」という一言でした。浜松国際コンクールで優勝にチャイコフスキーコンクールで3位を受賞して現在パリに在住していても、ヨーロッパにおいて演奏会を得る事にほとんどつながらない・・・次回詳しくコンクールとその後の演奏活動について私なりの見解を書こうと思います。

滞在ホテルが美しいビーチ・海の近くだったというのも参加者同士が自由に語り合えた理由の一つと思います。母なる海。




No.22
Date.2014.05.16

演奏会と同窓会に来たコンテスタント

ホテルの部屋には練習用アップライトピアノ常設。ワンチュンと爆笑トークをしながら寝起きしています。

イスラエル・テルアビブに来ています。アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノマスターコンクールへの参加。3年に一度の開催、審査員の弟子は参加不可能、国際コンクールでの入賞歴が3回以上、18歳から32歳まで。という主な基準で書類審査のみで選ばれた30数名が世界各地より集まりました。過去の優勝者一覧にはダニール・トリフォノフ、ゲルハルト・オピッツ、エマニュエル・アックスと現役のトップアーティストが名を連ねます。
一次予選、私は最終日に弾く事になりましたがホテルのシェアメイト中国人ワンチュン(2006年浜松国際コンクール入賞)が今日の午後に演奏。一人で集中しやすいようにさせるべくロビーで原稿を書いています。演奏順を決める為に初めて一同が集まった抽選時からこのコンクールはものすごく特殊な雰囲気。ほとんどのコンテスタントがお互いを以前より知っているのである人は何ヶ月ぶりに、またある人は何年ぶりに旧友に再会・・・という同窓会の雰囲気。私も再会の時をとても楽しく過ごしました。
「あいつが失敗すれば自分が、あいつよりは自分が・・・」などコンクールにありがちな愚かしい考えを持っているピアノ弾きは見当たらなく、それぞれが独自のアーティストの雰囲気を持って一次予選という演奏会に専念すべく素晴らしい表情と眼を持っています。全参加者が既に多くの演奏会を持って国際的に活動しているアルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノマスターコンクール。Live配信もされているようなので、是非アーティスト達の競演をご覧下さい。そして応援よろしくお願い申し上げます!
アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノマスターコンクール 公式サイト: http://www.arims.org.il

前回優勝者のトリフォノフが毎日走り回っていたというビーチがホテルの裏にあります。快適。

No.21
Date.2014.05.01

4年ぶりのパリ

パリのプティパレでリサイタルでした。かつて5年間住んだパリ。最近パリは街並など大きく変わったと在住者から聞いていましたが、今回2泊3日の滞在中かなり色々な所に行った私には変化を感じられませんでした。パリのフランス語、アコーディオン弾き、ホームレス、物価の高さ・・・お店は入れ替わっていても建物はそのまま。ザルツブルクにスターバックスが初めて出来た時に私含め在住者は大きい変化と感じましたが、その程度なのでしょう。数年くらいでは簡単に変わらない伝統があるのがヨーロッパだと思います。
今回のリサイタルはリハーサル開始時間を伝えていたのに調律師は先に帰ったので会う事無し。絶望的にひどい調律のピアノ。埃に指紋だらけなのでピアノ拭きから一人で開始。その後ステージ中心へのピアノ移動も一人。お客さんが入ってきたので「気が早いなあ」と思いながらリハーサルを続けていたらふと時計を見れば開演15分前。ホールの人も誰も呼びに来ません。あわててタキシードに着替えて本番。日本では考えられない環境です。
思い返してみると学校関係のコンサートを除いて、パリでのフルリサイタルというのは初めての経験でした。2人以上が演奏するジョイントコンサートという経験はありましたが。私は運良く多くのリサイタルの機会を今年いただいていますが、パリやベルリン等の大都市への留学生で年に3回以上、現地でリサイタルの機会がある人はほとんどいないと思います。バッハで有名なライプツィヒに留学している友人は、年に10回のリサイタルがあります。演奏家も多く住んでいる大都市に留学すると演奏の機会を得るのが難しくなる。これは意外と知られていない盲点だと思います。

写真1:プティパレ外観です。小さい宮殿の意味ですがかなり大きいです。美術館として開放されています。写真2:宮殿の中に普通のコンサートホールがあるのに驚きました。



No.20
Date.2014.04.15

4つもある音楽祭

真面目に(?)クラシック音楽の話題を書きます。
ドイツのバイロイト音楽祭、イタリアのフィレンツェ五月音楽祭、ザルツブルク音楽祭で世界三大音楽祭と言うらしいのですが、実はザルツブルクの音楽祭は、7~8月に行われる有名な夏の他に3つで計4つあります。まずモーツァルトの誕生日である1月27日から前後1週間ずつの「モーツァルト週間音楽祭」、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団をメインとして組まれています。
その次が4の「復活祭音楽祭」。こちらはベルリンフィルがオペラをやる事で有名でしたが、近年ドレスデン歌劇場管弦楽団がメインとなりました。
そして5月か6月に1週間行われる聖霊降誕音楽祭(漢字で書くとお題目のようですね)。現役最高のメゾゾプラノ歌手チェチリア・バルトッリが芸術監督を務めています。昨年はゲルギエフ指揮マリンスキー歌劇場管弦楽団がメインでした。
各音楽祭期間中は連日トップアーティストのオンパレード。一昨日はティーレマン指揮、フレミング、ハンプソンと豪華キャストでリヒャルト・シュトラウスのオペラ「アラベラ」を観劇。明日はエッシェンバッハがピアノを弾く室内楽コンサートに行ってきます。私もそうだったのですが日本のピアノ学生はピアノ作品「だけ」に詳しくなってしまう傾向がありますが、留学するとオペラに管弦楽等々の知識がCDではなく生演奏を通してどんと広がります。やはり留学は良いです・・・と終始真面目な話題となってしまいました。来週はパリのプティ・パレでリサイタルです!

ザルツブルクの良さを宣伝する日記となりましたので、街並の良さも宣伝。ミラベル庭園から旧市街、ホーエンザルツブルク城。



No.19
Date.2014.04.01

スペインで演奏ツアー

3月21日から3日間連続でバルセロナ、サバデル、リエイダとモーツァルトの2台ピアノの為の協奏曲を演奏しました。2台ピアノでオーケストラとの共演は人生で初めて。共演者のJackieことJaeKyung Yooさんに助けて頂きながら楽しんで終える事が出来ました。バルセロナの会場、ユネスコ世界遺産のPalau de la Musica Catalana(カタルーニャ音楽堂)ではなんと2000人を超えるほぼ満員大入りの観客。舞台登場前に久しぶりの吐き気を伴う緊張感に包まれました。あのマルタ・アルゲリッチでさえ舞台に上がる前は緊張するとの事ですから、むしろ緊張を全く感じなくなったら演奏家として危険な時期にあるのでしょう。
ホテルから車で1時間半の移動、即30分リハーサル、本番、車で帰り道1時間半。という厳しい日程もあった今回のスペイン滞在。いかなる状況においても気力&集中力のピークを本番の時間に持っていくようにする訓練(リハーサル時にピークではありません)、全ての演奏家を目指す学生ピアニストに必要だと思います。

左:バルセロナの美しいビーチ。訪れる価値ありです。右:カタルーニャ音楽堂。アールヌーヴォー様式。ステンドグラスから光が入ってきます。



No.18
Date.2014.03.17

またまた太陽と情熱の国へ!

明後日からまたまたスペインへ行きます。ここ1年間で6回目のスペイン。ザルツブルク日記じゃなくてスペイン日記の方が相応しくなっていますね。今回は1週間の滞在。Orquestra Simfonica del Valles(サバデル市交響楽団)とモーツァルトの2台のピアノ為の協奏曲K.365をサバデル、バルセロナ、リエイダの3都市で演奏します。バルセロナの会場はユネスコ世界遺産であるカタルーニャ音楽堂となり、ちょうど1年前に同じオーケストラとラフマニノフ協奏曲2番を演奏した思い出の地でもあります。
1日5回の食事、お昼寝休憩のシエスタ、美しいビーチのある海辺の都市……遠足の前日の夜のようにスペインへのウキウキ感に満たされています。今回は時間があればフラメンコを観に行こうとも計画。楽譜を忘れるなんて事がないように荷造りに集中します……ピカソ美術館にサッカー観戦も行こうかな。

数日前に演奏がアップロードされていました。いくつになってもどれだけ経験を積んでも、自分の演奏を聴くと今後の課題しか見えないものです。

《動画出典:「Concurs Internacional de Musica Maria Canals dde Barcelona」公式チャンネルより》



No.17
Date.2014.03.03

リサイタル@太陽と情熱の国

ステンドグラスの美しいゴシック様式の大聖堂で有名なレオン市。

スペインの首都マドリッドからバスで4時間。1000年前にカスティーリャ・レオン王国の首都として栄えたレオン市でのリサイタルでした。スペインの北西部に位置します。
スペインでは長距離バスが庶民の足となっており、都市部を離れるとオリーブ畑や砂漠のような草原地帯(ずーっと同じ風景)をひたすら走って行きます。ドン・キホーテが風車を巨人と思い込んで戦いを挑むのも、長距離バスに乗れば誰もが想像できます。同じ風景が続くので頭もおかしくなるのでしょう。 さて、3年前にもリサイタルをさせていただいたレオン市のコンサートホール。1200席もある音響の良いホール。聴衆も熱狂的にクラシック音楽を愛している。ここまでは素晴らしい点。
午前のリハーサル前に調律師が来る事はなく、午後に現れてちょっとだけ仕事をして帰る。これももう慣れました。
しかしプログラムの前半、ムソルグルキー「展覧会の絵」を弾き始めて即、どんどん音が狂ってわんわん揺れるピアノの音。これにはさすがに動揺しました。後半にバッハが控えていたので「こりゃどうしよう」なんて考えながら前半終了。もう調律師はいないので、休憩中にさっと調律なんてありえません。どんな悪環境でも自分の音楽をする。それしか残されていません。
そんな日本では考えられない環境で演奏しながら今日も生きています。

スペインから帰ってきたウィーンで、現在イスラエルで生きるピアニスト佐野主聞君に奇跡的遭遇。12年ぶりの再会、10分だけ楽しくお話してお互いの生きる道に別れました。

No.16
Date.2014.02.18

ピアニストになる道 進路決定から受験編

バイオリンの東條大河くん、中卒で日本を離れてローザンヌにザルツブルクと留学してきた立派な16歳! 独自の音楽家人生を歩んでいます。

どうして「趣味のピアノ」からピアニストを目指すようになったのか。 高校は進学校でしたので、大学受験を見すえて勉強漬けの日々を過ごすことになります。まさにそれがイヤでした。「周りの人達と同じ事をしたくない。音楽は好きでピアノはちょっと弾けるし、じゃあプロを目指してみるか」こんな軽い?感じで進路希望調査に東京芸術大学と書いて提出。この時からピアニスト人生が始まったとも言えます。一度決めたら腹をくくってやる性格は今も昔も同じ。両親含め周囲の意見を気にせずに突き進んでいきました。
高校の授業が終わって帰宅が17時。2時間練習して夜ご飯、20時~23時練習、お風呂、0時~3時練習。就寝。学校ではひたすら寝る。修学旅行には参加せず練習。3年生になると学校は可能な限り休んで猛練習をしました。「趣味のピアノ」となる前にヤマハ音楽教室で身に付けた基礎、サッカーで学んだ根性、当時師事していた先生からの恩恵・・・ひたすら突き進んで東京芸術大学にそのまま合格。まさに運が良かったのだと思います。
そして日本でクラシック音楽を学ぶという環境に満足出来ず、パリに留学。ローマ、ザルツブルク・・・と過ごしてヨーロッパ生活も11年経過となりました。
さて、明日からスペインへ移動してリサイタルをしてきます。ここ1年間で5回目のスペイン。太陽と情熱の国で演奏する時はいつも心身ともに絶好調となります、今回もどんな演奏になるのか楽しみです。

スペイン北西部のレオン市。1200席もあるホールでリサイタルです。

No.15
Date.2014.02.03

ピアニストになる道 ピアノを始める少年編

ヤマハ音楽教室に兄が通っていた事が我がピアノ人生のきっかけです。音楽家ではない両親がおケイコ事として兄に始めさせ、レッスンには親が付き添う事が普通でしたので幼い私も付き添っていました。そのうち4歳になった私も始めさせられ、実家もグランドピアノを購入。恵まれたスタートですね。音楽教室では音楽の基本的な知識(リズム感、調性感など)を九九のように楽しみながら体で感じてすり込みのごとく覚えたのだと思います。家でのピアノ練習は毎日2時間くらいおケイコ事として母に叩かれながら厳しく管理されつつ、小学校3年生までヤマハに通いました。その後高校1年生まで丸7年の間はサッカーに熱中して週に計1時間しか練習しない「趣味のピアノ」となっても、すり込まれた基本の感覚があったからこそピアニストへの道に進めていけたのだと思います。練習しない趣味のピアノですから子供コンクールに出ても入賞する事はほぼ皆無。そこから突如として寝る間も惜しんでピアノに狂って猛練習する高校2年生となるのですが、それは次回~進路決定から受験編~にて。

色々な楽器に触れる事が出来た事もヤマハ音楽教室で得た貴重な経験。



No.14
Date.2014.01.17

ピアニストになる道 序文

おそらく母によるコーディネート。お洒落を通り越して奇抜です。

成人式も終わってセンター試験に受験の季節。ザルツブルクは記録的な暖冬で雪が降りません。
さて、最近日本に帰国する度にレッスンする事が恒例となっています。照れがありました「先生」と呼ばれる事にも慣れました。進路相談もたまに受けます。多くの人が私の事を天才で幼少期からピアノ漬けの日々を過ごしてきたと思っていらっしゃるのですが、私は子供の為のコンクールに毎年参加して入賞した事はほとんどありません。先祖は農民で親族に音楽家はいなく、高校は普通科でした。小学校では先生が生徒を叩いたり正座させたりが普通の時代でしたので、ピアノ練習に関しては時々母が私を叩いてイヤイヤ泣きながらやっていたのを思い出します。小学校4年生から高校1年生までの平均練習時間は毎日ではなく週に計1時間でした。小学校4年時にサッカーのJリーグが開幕。情熱はサッカーにとことん向かいました・・・という風にこれからいくつかに分けて今までの我が人生を振り返ろうと思います。次回は~ピアノを始める少年編~を書きます。

サッカーに明け暮れた吉田少年とチーム一同。メガネ男子です。

No.13
Date.2014.01.07

謹賀新春

新春のお喜びを申し上げます。昨年も多くの方々にご支援いただきまして、公私ともに大変充実した一年を過ごす事ができました。心より御礼申し上げます。
ヨーロッパ生活も11年目、今年はスペイン、イタリア、オランダ、ドイツにて演奏会が20回と大変恵まれた一年となります。一つ一つの演奏会に全力を尽くします。日本国内では秋に横浜で演奏させて頂く予定です。最高のスタッフ、最高の調律師、CFXと共に芸術を創る至福の時が待ち遠しいです。
さて、大多数の演奏家も同じでいらっしゃると思いますが、年末年始だからといってピアノ(楽器)から離れることも出来ず、普段と変わらない日常を過ごしました。禁煙を始めたニコチン依存症の人のように、もしも弾かない日が2~3日間あると落ち着きがなくなって寝付きが悪くなる。弾く事による体の運動もなくなり代謝も低下、欲求を満たす為に飲食過多となって不健康になってしまうのです。世間一般で言う「お休みの日」は健康維持のために練習する・・・今年も健康第一に過ごします。

日本食材店がないザルツブルクで精一杯のおせち料理。美味しゅうございました。



No.12
Date.2013.12.16

それぞれのクリスマス

大道芸人ピアニストも稼ぎ時。警察に見つかる度に移動です。

ドイツとオーストリアに留学した人なら誰でも経験があるクリスマスマーケットの時期です。大体11月末からクリスマスイブまでの時期、町の中心にある広場にクリスマスタワーという塔を建設して周りに出店が並びます。軽食にお土産物が売られ、手足が痛くなるくらい寒いので人々はホットワインを飲んで体を温めます。
パリではシャンゼリゼ通り等の豪華絢爛なるイルミネーション。ローマではバチカン市国を目指して世界中から集まる人の渦。それぞれのクリスマスを思い出します。ここザルツブルクでは「きよしこの夜」の音楽のように静かに過ごす事が出来そうです。ザルツブルクからすぐ近くの村で誕生したこの音楽。
話は飛びますが私の思い出す日本のクリスマスは「きよしこの夜」で始まるタモリさんのTV番組、笑っていいともクリスマス年末特大号です。今年でこの特別番組も最後となると知り、感慨深く感じています。
皆様それぞれの素晴らしいクリスマスをお過ごしくださいませ。

飾り物の出店は眺めているだけでも大満足。

No.11
Date.2013.12.02

内気だったパティシエ、モンポウ

リサイタルでモンポウを弾いたのは初めてでした。

雪国のザルツブルクからまだまだ温暖なバルセロナに行ってきました。
フレデリック・モンポウ財団の主催でリサイタル、作曲家モンポウはカタルーニャ州バルセロナご出身。財団の方々が「実は現代のスペイン人・カタルーニャ人にモンポウはあまり人気がない」と嘆かれていました。一日五回もの食事をする生命力あふれた国民にとって繊細に内面的で夢のようなモンポウの音楽は飽き易いとの事。断食開けという意味のデサユノ(朝食)、11時に軽食、14時~16時までランチ、19時の小皿料理、21時からディナー。働くよりも食べる事を優先していたらそりゃ経済危機になって当然です。
オペラを書いていたら人気が出たのに・・・なんて財団の方が仰って私も納得してしまいました。ファリャにグラナドスにアルベニスも書いたオペラ。
いっさい書かなかったモンポウ。パリでケーキ屋を開業していたという裏話まであります。おそらく一日5回の草食系スイーツ男子だったのでしょう。

モンポウの家で財団理事長のホアン・ミラ氏と。肖像画にモンポウ自身が描いたスケッチがあります。

No.10
Date.2013.11.15

大家さんは王家のお血筋

大家さんについて、続けて書きます。両親にハプスブルク家と言うと「は?」と言われてしまいました。かつての王家と説明してもお伽噺の世界と思われそうで、如何にしてうまく説明出来るか思案中です。
映画「アマデウス」に登場し、モーツァルトのオペラに対して「綺麗だけど、音符の数が多すぎる」と感想を述べられる皇帝ヨーゼフ2世は大家さんのお爺ちゃんの、お爺ちゃんのそのまたお爺ちゃんのお兄さん。ベートーヴェンのウィーン時代における最大のパトロンであり、大公トリオや告別ソナタ等々を献呈されたルドルフ大公は大家さんのお爺ちゃんの、ひいお爺ちゃんの弟さん。
という事は大公のお兄さんのひ孫さんのお孫さんは大家さん、に仕える(隣に住まわせてもらっている)私はピアニスト!・・・そんな満足感に親近感を得ながら(?)今日もピアノに向かっています。

家からすぐ近くの山、頂上から半分まで雪で白くなりました。



No.09
Date.2013.11.01

ザルツブルグはすでに冬

紅葉の季節もあっという間に終わり、ザルツブルクは冬に入りました。
明日にでも雪が降りそうな気配です。
さて、私が現在借りている家の大家さんはハプスブルク家の末裔でいらっしゃいます。大家さんのお爺ちゃんの、お爺ちゃんのそのまたお爺ちゃんはフランス革命で有名なマリー・アントワネットと兄妹となり、そのお母さんが16人の子を産んだ女帝マリア・テレジア。ハプスブルク家の人々に共通する下顎が前に出ている特徴を大家さんもしっかりと受け継いでいらっしゃいます。
大家さんと会話をするときは普通と違った展開になります。
 「ウィーンのシュテファン大聖堂に行ってきました」「死んだら私が入る所ね」
 「シェーンブルン宮殿は大きいですね」「昔の別荘ね」
 「ウィーン・フィルのニューイヤコンサート・・・」「ああ、一族が始めたやつね」
貴族に雇われた音楽家になったつもりで、今日も音楽に集中します。(繋がった住居に住まわせて戴いているだけですが)

一番手前の扉が我が家の玄関、かつて使用人が使っていた部屋です。



No.08
Date.2013.10.15

バレンシアに思いを馳せて。

ザルツブルクは気温10度を超えない寒さになりつつあります。日本では真夏日というニュースを知り、ふと緯度が気になりました。調べてみるとパリが48度、ザルツブルク47度、札幌43度、ローマ41度、東京35度。エルサレムと鹿児島31度。もちろん緯度だけで気候は決まりませんが、日本が思っていたよりも南に位置している事に驚きました。

緯度39度で気温30度の日々を過ごしたバレンシアに思いを馳せます。長いコンクール期間中に最も困るのは毎日の食事場所。

ちゃんとしたレストランに入るとお金も時間もたっぷり取られますので、ホテルに近くて簡単に食べる事が出来て且つ安めのところを探します。今回お世話になったのはAmador Cerveceria-Resturanteという処。毎日のように通い「TOMOは必ず勝つ」と毎回励まされながらコンクール会場に向かいました。 ホストファミリーや他の参加者、審査員等様々な人々と新しく出会うのも国際コンクールの醍醐味です。

ファイナル進出の結果を受けた直後、お店の方々に調律師花田さんも交えてシャンパンで乾杯。

No.07
Date.2013.10.01

ホセ・イトゥルビ国際コンクールで優勝しました。

CFXからいかに芸術・音を引き出すかについて討論中

夏が過ぎ去って冬が近づくザルツブルクからまだまだ気温30度の南国スペイン・バレンシアへ行ってきました。「ホセ・イトゥルビ国際コンクール」に参加しまして幸運に恵まれ第一位を得る事が出来ました。
facebook等を通じて応援頂いた方に御礼申し上げます。今月下旬発行の「ピアノの本11月号」で詳しくお伝えしますので、もし機会がありましたらご一読いただければ嬉しく思います。
コンクール期間中はパリからいらっしゃったヤマハアーティストサービスの花田拓郎さん(現在ヨーロッパで最も優秀な調律師の一人)に大変お世話になりました。8年前、私が初めて国際コンクールで賞を得たときの調律師が花田さんだったのです。ご一緒するのは実にそれ以来。舞台の上ではお互いが芸術・音を求めて真剣勝負・・・ピアニストにとって調律師は最も重要なパートナーです。技術だけでなく人柄が何よりも重要なのはピアニストと一緒と思います。花田さん、またいつか油にまみれた汚いレストランでパエリア食べましょう!

ヤシの木に囲まれたバレンシア音楽堂。

No.06
Date.2013.09.17

お米のはなしから

ヨーロッパに住むほとんどの日本人留学生に購入した経験があると思います。

「のだめカンタービレ」にも登場したお米、日の出SHINODE。城下町のようなプリント、江戸なまりを意識して「しので」の名前となっているのは粋だねえと思っていたのですが、最近新しい説を聞きました。
日の出米はイタリア産の日本米、イタリア語には「はひふへほ」の発音がなくHINODEにすると「いので」となってしまうので苦肉の策として「ひので」に近いSHINODEにしたとの事。真相やいかに。
パリに留学した10年前、アルファベットの綴りは勿論一緒なのにフランス語による作曲家の名前発音に困惑したのを思い出します。バック、アイドゥン、モザール、ショーアンベール、ラヴェルではなくハヴェール。和声法の授業中に「リヒャルト・シュトラウスが」と発言したら先生に誰?という顔をされたのも今となっては良き思い出です。フランス語ではリシャール・シュトロウスでした。

No.05
Date.2013.09.02

今回は京都から。。。

まだまだ暑い京都へ行ってきました。私が現在奨学生としてご支援頂いております公益財団法人ロームミュージックファンデーション様で行われたセレモニー出席と演奏会出演が目的でした。20名程の日本を離れて世界各国で学ぶ奨学生が一同に会し、留学先での活動報告や今後の抱負を含めたスピーチを一人ずつ。

学校やレッスンの内容がどうこう以前に、慣れない海外生活や外国語に四苦八苦しながら日々生きていく事・・・演奏者以前に「人間」として学んだ事がとても大きくて貴重・・・多くの奨学生がこう語っていました。
留学したいと思った時に「どの国、学校、先生が私に良いのだろう」と悩んで留学を実行に移せないまま時期を失ってしまう学生が日本に多いと私は考えています。とりあえず飛び込んで苦楽に満ちた日常生活を始めましょう。「人間」の成長が、上記の悩みへの答えを変えていくと私は思います。

パリで生きるピアニスト齊藤一也君とも約3年ぶりの再会。


私のスピーチの締めは「これからも人間として成長します」でした。

No.04
Date.2013.08.20

今回はオランダ日記

毎朝インターネットで日本のニュースを読むのが日課なのですが、日本だけではなく北半球の世界各地で記録的猛暑になっているとの事。
今月初めから10日間を過ごしたオランダの講習会。最高気温は25度程度で夜は13度くらい。オランダ人によると「今夏は毎日暑い」との事でしたが、私を含めた他国からの参加者には「なんて快適」な日々でした。
ピアノコース参加者の5割はアメリカ留学中のアジア系ティーンエイジャー、3割ヨーロッパ人、2割ロシア人、日本人は私一人。ランチやディナー時には英語ならぬ米語、オランダ語、ロシア語、独語、仏語、伊語、中国語と飛び交い、私も言語能力をフル活動させて孤軍奮闘しました。
期間中はホームステイ滞在、教会でのリサイタルが全参加者に一回。とレッスン以外で経験する事が多く、日本の音楽学生に強くお薦めしたい講習会です。演奏能力以前に国際人としての経験と教養が鍛えられます。

左:オランダと言えば風車、想像以上に大きいです。右:天気が悪くなると8月なのに冬服となります。



No.03
Date.2013.08.01

ザルツブルグ音楽祭が始りました

ザルツブルクの人口は15万人。それを遥かに超える25万枚のチケットが発行されるザルツブルク音楽祭。7月中旬から一ヶ月半の間、ザルツブルクは世界で最もクラシック音楽が栄える都市となります。今年は気温が30度を超える日が続き、冷房設備も充実していないので「太陽に焼かれて死んじゃう!」と音楽祭に訪れた多くの人が思っているでしょう。
先週エディタ・グルベローヴァの歌曲リサイタルへ行ってきました。歌声は勿論ですが共演者のピアノが奏でる一音一音が「わお!」と叫びたくなるくらいの素晴らしさ。
ピアノは他の楽器と比べて音を出すのが至極簡単なため(ド、ミ、ソと管弦楽器で鳴らすのにどれだけの習得時間がかかるでしょう)、ピアニストは頭や体が疲れてきた時などついつい音の「ありがたみ」を忘れて弾いてしまうものです。
「暑さに負けて、音に対して冷たくなっていないか」紙に書いて壁に貼ります。

ちょうど一年前はオーストラリア・シドニーで花火を観ていました。



夏季休業の為、次回の更新は8/20(火)を予定しております。

No.02
Date.2013.07.12

スペイン王立学士院で野外リサイタル

When in Rome, do as the Romans do(ローマにおいてはローマ人のするようにせよ)郷に入れば郷に従えの英語版です。

ローマのスペイン王立学士院における野外リサイタル、全うしました。国籍はスペインだけどローマに住むからローマ人の主催者に朝「天気予報は雨だけど、どうするの」と尋ねると「雨とか考えないの!」と本当に言われて絶句。雨は開演直前に10分だけ降りました。彼らに言わせると雨の心配をしたザルツブルグ人=私のせいでしょう。

演奏中の写真撮影を頼んでいたのに「忘れた」の軽いお言葉をいただきました。

午前中に調律師が来て「今日は天気が危ないね」と話しかけてきたので、「やっと話の通じる人が来た」と安心して任せていたら1時間後にはもう姿が見えず。11時に調律が終えられたピアノ、開演は20時半。気温30度の直射日光に雨、雨ニモマケズ風ニモマケズ野外ステージ上でピアノは待機してくれました。常識非常識に郷がどうのこうのよりも「まず忍耐」とピアノから教えられました。

300年前からの歴代スペイン大使の肖像画が並ぶ豪華な練習室。

No.01
Date.2013.07.01

はじめまして。

皆さんこんにちは。「ピアノの本」で留学日記「サムライピアニストの日々」を書いております吉田友昭です。よりリアルタイムな日々をお伝え出来るようにこちらでも書かせていただく事になりました。これからよろしくお願い致します。 「ピアノの本」7月号では主にこれから留学しようか迷っている日本の音楽学生に向けて書きました。全ての留学生が現地で感じるであろう「空気が良い」という感触、空気が綺麗で健康に良いという意味では決してないこの感触について中心に書いています。日本では経験する事が難しい留学の良さを読者の方々に感じて頂けたらと思います。
今週末にローマのスペイン王立学士院という場所でリサイタルを行うのですが、回廊に囲まれた中庭で野外リサイタルとの事。現在の天気予報は雨。どうなることやらと心配しつつ、ピッツァとパスタまでもうすぐと心が踊っています。次回の記事で雨ニモマケズ演奏する日本男児の姿をお伝えできたらと思います。

モーツァルテウム音楽大学の玄関ホールにて。「水槽」と名付けられたレッスン室がガラス越しに丸見えです。



Profile:吉田 友昭 Tomoaki Yoshida

1983年生まれ、札幌市出身。4歳よりヤマハ音楽教室にてピアノを始める。
北海道札幌東高等学校、東京芸術大学を経て20歳時にヨーロッパへ移住し、パリ国立高等音楽院を一等賞の成績で卒業した後、ローマ聖チェチーリア音楽院、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学で学ぶ。これまでに三角祥子、宮澤功行、田中宏明、渡辺健二、青柳晋、ミッシェル・ベロフ、エリック・ル・サージュ、セルジオ・ペルティカローリ、パーヴェル・ギリロフの各氏に師事。
2010年第79回日本音楽コンクール第1位、併せて井口賞、野村賞、河合賞、三宅賞、岩谷賞(聴衆賞)を受賞。同年ギリシャ・アテネにて行われたマリア・カラス国際グランプリ最高位、2013年スペイン・バレンシアで行われたホセ・イトゥルビ国際コンクールで日本人初となる第1位、その他マリア・カナルス、ハエン、カサグランデ、ベオグラード、シドニーの各国際コンクールで入賞。
フランス・パリで5年間、イタリア・ローマで4年間を過ごした後、現在のオーストリア・ザルツブルクに居住し演奏活動を続けている。これまでにサンクト・ペテルブルク管弦楽団、ヤッシー交響楽団、バーリ交響楽団、バレース交響楽団、コルドバ管弦楽団、バレンシア交響楽団、ベオグラード放送管弦楽団と共演。国内では東京フィルハーモニー管弦楽団、セントラル愛知交響楽団と共演。
2011年は毎日新聞社主催による全国ツアーをはじめ、NHK交響楽団首席奏者との室内楽公演を行い日本での演奏活動を開始。2012年2月の銀座ヤマハホールでの演奏会は「音楽の友」誌において「モーツァルトで驚いた。細部まで心血注がれ遊び心もある敬虚な音楽。古のピアニストたちが浮かぶ珍有なピアニスト」と評される。
2014年はバレンシア市によるデビューCDを作成する他、スペイン、イタリア、オランダにて演奏ツアーを行い、20回を超えるリサイタルにソリストとしてオーケストラとの共演を予定している。バルセロナ・カタルーニャ音楽堂、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ミュンヘン・ガスタイク文化センター、バレンシア音楽堂、パリ・プティパレ、ブラスティラバ・フィルハーモニー等で演奏予定。
2011年度よりロームミュージックファンデーション奨学生。

続きを見る

https://twitter.com/tomoaklavier

Column Index

ヤマハピアニストラウンジ Facebook

ページトップへ戻る