設計者と技術者に聞く ヤマハ・オーボエ40年の開発の歴史
最新モデル「YOB-831Ⅱ」までの
イノベーションの軌跡
1982年ウィンナオーボエの開発に始まり、
2022年に40年を迎えたヤマハ・オーボエの歴史は、
理論と感性のイノベーションの
積み重ねの歴史でもあった。
この記事は※2022年9月・10月に管楽器の
専門月刊誌「PIPERS」に連載されたものです。
※2023年4月~休刊
INTERVIEWEE
インタビュイー
宮岡 愼里
ヤマハ株式会社B&O 開発部管教育楽器開発グループ木管楽器チーム主幹
(2022年9月取材当時)
山本 晃生
ヤマハ株式会社B&O 開発部管教育楽器開発グループ木管楽器チーム主事
(2022年9月取材当時)
鈴木 浩行
ヤマハ株式会社B&O 開発部管教育楽器開発グループ試作室シニアマイスター
(2022年9月取材当時)
- 宮岡 愼里
- ヤマハ株式会社B&O 開発部管教育楽器開発グループ木管楽器チーム主幹
- 2008年〜2010年の間、銀座のヤマハアトリエ東京でアーティスト対応にあたった経験があり、ヤマハオーボエの全品番のモデルチェンジを手がけ、「Duet+」も開発した。小学生の時からオーボエに親しんでいる。
- 山本 晃生
- ヤマハ株式会社B&O 開発部管教育楽器開発グループ木管楽器チーム主事
- 入社後しばらくは生産技術部門で製造設備を手配しており、物作りの基礎は楽器設計に活かされている。「H-Limited Black Opal」から設計に携わり、現行カスタム「831II」を確立した。中学生時代からオーボエに親しんでいる。
- 鈴木 浩行
- ヤマハ株式会社B&O 開発部管教育楽器開発グループ試作室シニアマイスター
- 入社以来、オーボエの試作機を手作りで形にして来た生産現場の大ベテラン。その手一つで試作品の数々を形にして来た。木管楽器製造ラインの監督職も務め上げた現場のプロ。ヤマハ吹奏楽団でホルンを吹いている。
HISTORY
ヤマハ・オーボエ40年の
開発の歴史
はじめに
皆さんいつからどのようにヤマハ・オーボエの製作に関わって来られたのですか?
宮岡私はヤマハに入社した1993年から2013年までオーボエの開発に携わりました。モデルで言えば、YOB-831(現行カスタムの第1世代)、841(北米仕様)、それに「Duet+」(デュエット・プラス=上管内部に樹脂製インナーパイプを入れたモデル)を手がけました。
山本私は2006年の入社です。2009年に木管楽器の開発に移り、2013年から宮岡さんを引き継いでオーボエを担当しています。足かけ10年になりますが、途中ほかの仕事にも関わりましたので、実質7~8年でしょうか。現行カスタムのYOB-831Ⅱと「H-Limited」(広田智之氏と開発した限定モデル)の一部を手がけました。
鈴木私は試作の現場で、お二人が設計したものを形にする仕事を長年続けて来ました。渡された設計図をもとに、寸法を図面どおり正確に反映させて、管体から鍵柱(キイポスト)、音孔穴開け、組み立て調整までゼロからまるまる1本を手で作り上げます。
山本「図面どおり」に作ると言っても、普通は治具などがあって出来ることですけど、鈴木さんは簡単な定規などで作り上げてしまう。そんな人はなかなかいません。しかもそれをあまり苦労とは思っていない(笑)。
鈴木苦労だと思ったことはないですね。そんなものだと。もちろん製造ラインに乗せる時は、誰が作っても確実に同じものが出来るようにしないといけませんが、開発段階では設計者が欲しいと思ったものをすぐに形にすることが重要ですから。
この中では鈴木さんが最古参?
鈴木1989年入社です。入った時からオーボエづくりをやって来ました。ヤマハ・オーボエの量産が始まってまだ初期の頃ですね。
ウィンナオーボエも手がけられた?
鈴木作りました。ただ、ヤマハがウィンナモデルを作ったのは私が入社する7年も前のことです。
左から山本晃生、宮岡愼里、鈴木浩行の各氏(浜松市のヤマハ本社にあるミュージアム「イノベーションロード」で)。
開発のきっかけを探っていたところへ
ウィーンフィルから
ウィンナオーボエ製作の依頼が……
ウィーンフィルからの依頼が
オーボエ開発の引き金に
ヤマハ・オーボエの歴史は、そのウィンナオーボエに始まるわけですね。今からちょうど40年前の1982年です。
1970年代、ウィーンフィルが伝統的に使って来た管楽器の供給が危ぶまれ、「ウィーンの音」が失われることに危機感を抱いたウィーンフィルのメンバーたちが、ヤマハにウィンナモデルの開発を依頼し、ヤマハはビジネスにはなり得ないその申し出を楽器メーカーとしての使命感から引き受け、苦労の末にトランペットやホルンなどと一緒にウィンナオーボエ(YOB-804)も完成させた。これがヤマハ・オーボエの歴史の始まりですが、ウィンナモデルの開発を引き受けたとき、オーボエに関してヤマハはどんな状況にあったのですか?
宮岡管楽器のラインナップが拡充する中で、ダブルリードだけは最後に残されていました。オーボエはクラリネットと工程要素こそ共通点が多いものの、内径が細く、メカも複雑で容易には着手できない……いわば開発のきっかけを探っていたところへ、ウィーンフィルからウィンナオーボエの依頼をいただき、「これはフレンチオーボエを作る礎になるに違いない」と判断して開発がスタートしたと聞いています。
もちろん、金管楽器のウィンナモデルが作れたからと言ってウィンナオーボエが簡単に作れるわけもなく、そこには先輩たちの血の滲むような努力があったろうと思います。オーボエは細かい形状の部品が多く、加工するための刃物なども華奢で、それをいかに実用化していくのか。フレンチオーボエの量産を見据えながら、そうした工法の開発も同時に進めて行ったんですね。
ウィンナオーボエの製作を依頼して来た当時の首席オーボエ奏者ゲルハルト・トレチェック氏(中央)とヤマハ設計陣の竹内明彦さん(左)、伊藤充信さん(右)。1980年、ヤマハ工場内の試奏室で。
ウィーンフィルからの感謝状
オーボエの開発が図らずもウィンナオーボエから始まったことが、何かメリットをもたらしたことはなかったのですか?
宮岡ウィンナオーボエの機構はフレンチオーボエほど複雑じゃありませんから、試奏したプレイヤーの意見を反映させるとき、すぐに分解して対応しやすい。それだけ初期の開発を早く進められるメリットはあっただろうと思います。
山本オーボエは何と言っても、今でもそこが大変ですね(笑)。
YOB-831を試奏するゲルノート・シュマルフス氏(手前は宮岡さん)。シュマルフス氏は831 の開発に大きく貢献した。
ヤマハを早くから愛用しているイタリアの名手パオロ・グラツィア氏(ボローニャ歌劇場管弦楽団首席)と宮岡さん。
プレイヤーの奏法や美学は
リードに現れ、
それにどうマッチさせるかは
計算だけでは最適解を出せない。
ヨーロピアンとアメリカンの
2本立てで
皆さんの前に各年代のヤマハ・オーボエを並べていただきました。ウィンナオーボエの隣にあるのが、ヤマハが作ったフレンチオーボエの第1号ですか?
宮岡はい、1983年に試作したモデルです。ヤマハのマークもなく、完全な手作りですね。
ウィンナオーボエ(一番奥)から現行モデルまでのヤマハ・オーボエを前に……左から鈴木さん、山本さん、宮岡さん。
3年後の1986年に晴れてヤマハ・オーボエが発売されます。しかもアメリカンタイプ(YOB-811)とフルオートのヨーロピアンタイプ(YOB-822)の同時発売。2本立ては最初からそう計画して?
宮岡当時、日本のオーボエ界は徐々にドイツスタイルに移行していた時期でしたが、一方でアメリカンスタイルの方も4割ほどいらっしゃいました。その流れを受けて、ヨーロピアンタイプはドイツスタイルに集約してフルオート(YOB-822)を先に開発し、同時にアメリカンタイプ(YOB-811)も売り出したわけです。オーボエ・メーカーは基本的にいずれかのスタイルに基づいたモデルを発売するのが普通ですから、ヤマハは随分欲張りに見えますが、当時の日本のマーケットに応えようとしたんですね。これは最近知って驚いたのですが、当時の企画書を見ると、ヨーロピアンタイプはさらに2種類が検討されていました。
ドイツスタイルとアメリカのスタイルではリードも異なります。それにも対応しないといけない。
宮岡ピッチも変えています。ヨーロピアンは442~443、アメリカンは440。440と言っても音がぶら下がってはいけない。アメリカのオーボイストの方から「440のピッチにふわっと乗っけられるように」と難しいことを要求されたりもしました。アメリカでは指揮者によって443を要求する人もいるとのことで、ピッチの柔軟性も求められます。
楽器設計の難しいところは、計算だけでは最適解が出せないことなんです。プレイヤーの奏法や美学はその方のリードに現れ、それにどうマッチさせるかが大事になりますが、これには音楽的要求への洞察力も求められます。
ただ、ヤマハは管楽器づくりの黎明期の頃から、当時の原始的とも言えるコンピュータを使って数値で音程計算を行っていました。計算どおりに音が出るわけじゃありませんが、少なくとも、ここをいじると音程のツボが安定するとか、きれいなヴィブラートがかけられるとか、音の安定性や響きの問題などを感覚だけでなく、楽器音響学の裏付けをもって設計して来た強みはあります。
ヨーロピアン、アメリカンのそれぞれでアドバイザーとなったオーボイストたちがいたわけですね。
宮岡ヨーロピアンではギュンター・パッシン(ミュンヘン音大教授)、インゴ・ゴリツキ(シュトゥットガルト音大教授)、ヨッヘン・ミューラー=ブリンケン(ヴュルツブルグ音大教授)、ゲルノート・シュマルフス(デトモルト音大教授)といった方々。もちろん国内のプレイヤーの皆さんからも、銀座のヤマハアトリエが窓口になっていろんな意見をいただきながら仕様を決めて行きました。
アメリカンタイプでは、当初シカゴ響のレイ・スティルさんに評価をいただいたあと、しばらくして1999年に新しい北米仕様のモデル(YOB-841)を出した時には、ボストン響のジョン・フェリロ、フィラデルフィア管のリチャード・ウッドハムスの両氏にアドバイスをいただいています。
フェリロ、ウッドハムスの両氏は実際にオケで使ったのですか?
宮岡はい、フィラデルフィア管の本番後、ウッドハムスさんのあまりの上手さに来場者が騒然となった場面に居合わせた時は報われた気がして嬉しかったです。
831はアイデア満載の楽器。
音孔はトランペットの
ベルのような曲線になっている。
スピーカーからヒントを得た
831の音孔形状
1999年に現行カスタム・オーボエの初代に当たるYOB-831が発売されます(フルオートのYOB-832も同時発売)。製品番号の「3」はヨーロピアンタイプということですか?
宮岡ヨーロピアンタイプYOB-821のバージョンアップです(北米仕様のYOB-841はアメリカンタイプYOB-811のバージョンアップ)。
831でヤマハ・オーボエはそれまでと一線を画する進化を遂げ、高い評価を得ましたね。
山本宮岡さんが手がけられましたが、831はとにかくアイデア満載の楽器なんです。例えば、音孔はトランペットのベルのような曲線になっています。通常のオーボエの音孔は段差のあるストレートな形状です。
宮岡ヒントになったのは、スピーカーのコーン。指数関数型の曲線を描きます。その曲線を音孔に採用すると、ハイパスフィルターのカットオフ周波数が下がり……要するに、低い倍音が強まるんです。私の狙いは、「高い倍音を殺すことなく、重心の低いふくよかな音を得たい」ということでした。
丸く柔らかな音を作ろうと思うと、どうしても高い倍音を殺してしまいがちになる。しかし太くて豊かな音には、きらびやかさも絶対に必要です。じゃあどうするか? 高い倍音はそのままに、低い方の倍音だけが強く出るようにすればよいと考え、この形に辿り着きました。この形では基音に近い倍音がより強く出るようになります。
この音孔はヤマハが初めてですか?
宮岡少なくとも私は他に見たことがないですね。普通に角のある音孔形状だと、音波の跳ね返りがはっきり出るので、ある意味しっかりした音になります。私が求めたのは、プレイヤーが自由に表現しやすい柔軟性のある楽器でした。実際、特にソリストの方々に高く評価していただきました。
一方で、オーケストラのセカンド奏者が小さな音で目立たずに吹くようなときに「コントロールしづらい」という声もいただくようになりました。そこで、そうした声を反映させようと山本さんの時代にモデルチェンジを行ったのが、第2世代となる現行のYOB-831Ⅱ。2016年に発売しました。831Ⅱによって、オーケストラ奏者にもより広く使っていただけるモデルに進化したと思っていますし、実際、愛用して下さる方が飛躍的に増えました。
山本831Ⅱの音孔について言えば、宮岡さんが開発された放射状の形状と、従来の角張った形との「いいとこ取り」でバランスをとっています。
通常のオーボエの音孔
YOB-831 の音孔。スピーカーのコーンのような曲線を描く。
いま国内のプロ奏者と
音大の先生の50%くらいは
ヤマハ・オーボエを愛用している。
「H-Limited」を経て
831Ⅱへ進化を遂げる
初代831と現行831Ⅱの間には10数年の開きがあり、その間、いわゆる「広田(智之)モデル」といわれる限定モデル「H-Limited」が開発されました。しかも「H-Limited」は2度もバージョンアップされています。「H-Limited」のノウハウが831Ⅱの開発にも生かされているわけですね。
山本はい、もちろんです。
「H-Limited」はどのように始まったのですか。
山本広田さんとヤマハアトリエ東京とは、修理や改造などで早くからお付き合いがありました。限定モデルを作る話は、広田さんが持ち込んだベルがきっかけでした。そのベルを付けると、確かにしっかりとした響きの良い音になる。それで「作りましょう」となったのですが、他にも、金無垢のリードソケットとか白い革のタンポを付けるとか様々な提案をいただいて、最初の「H-Limited」(赤リミテッド=2009年)を出しました。
30本限定で作ったところ、非常に好評をいただいたので、さらに広田さんの意見を採り入れ、翌年(2010年)、2代目の「H-Limited Blue
Sapphire」(青リミテッド)が出ます。青リミテッドでは、831より前のモデルの821(1989年)の要素もかなり採り入れました。
そこからさらに開発を進めたのが、3代目の「H-Limited Black
Opal」(黒リミテッド)。これは、赤リミテッドと青リミテッドのハイブリッド的なモデルで、この段階でヤマハ・オーボエはほぼ現在の形になりました。「H-Limited」は限定モデルですから、あちこち贅沢な仕様が施されていますが、それを標準仕様に落とし込み、広田さん以外のプレイヤーの方々からも広く意見をいただいて831Ⅱが生まれました。
「H-Limited」は新しくなる度に本誌でも紹介しましたが、831よりもやや重めの吹奏感を求めたわけですね。
宮岡はい、ご理解の通りです。
山本重めで、より響きがあって、息が寄りかかれるような……。831Ⅱは、831の柔軟性に加えて、オーケストラにもよりマッチするしっかりとした響きが備わっています。
当時のH-Limitedのパンフレット表紙
831Ⅱになって愛用者が一気に拡がったそうですが。
山本「H-Limited」で目に見えて愛用する方が増えたのですが、831Ⅱが出てそれが加速しました。現時点で、国内のプロ奏者と音楽大学の先生の50%くらいはヤマハ・オーボエを使って下さっていると思います。
半分も!?
山本正確な統計とは言えませんが、我々のリサーチではそうした結果が出ています。日々プレイヤーと接するヤマハアトリエのスタッフたちの存在と尽力のおかげもありますね。楽器というのは気に入っていただけないと使ってもらえない話ですから、我々には嬉しい数字です。
フルオート(YOB-832Ⅱ)を使われる方も多いのですか?
宮岡それは年代によります。40代半ばより上の方々ではフルオートが多く、広田さんもずっとフルオートですが、中には途中からセミオートに変えられた人もいます。
この記事は※2022年9月・10月に管楽器の専門月刊誌「PIPERS」に連載されたものです。
※2023年4月~休刊