名演奏家の出現

 

音楽史について学ぶ

19世紀の音楽

名演奏家の出現

作曲家が作品を書いて、演奏家がそれを演奏し、一般の人たちがそれを聴くという演奏会の形式が完全に確立するのは、20世紀に入ってからです。バロック時代のバッハや古典派時代のハイドンを例に引くまでもなく、音楽家は生活手段として、宮廷楽長や教会の合唱長、あるいはオーケストラの楽員とか一時的に雇用された音楽家として、定職を得ることが必要でした。しかし、時代が変って、ベートーヴェンのように、自作品の演奏会の開催(ほとんどは作曲者自身で演奏されたが)による収入、弟子の教育による月謝、出版印税、依頼作品の報酬などによって、定職を持たないでも生活していけるようになっていきます。それが、19世紀はじめの状態だったのです。
市民社会が成立して、音楽家の自立ができるようになると、演奏を主体とする音楽家も現れるようになり、しだいに職業として作曲家と演奏家が分離するようになりました。その最も代表的な人に、ヴァイオリンのパガニーニとピアノのリストがいます。
パガニーニ
パガニーニ


リスト
リスト
パガニーニ(N. Paganini, 1782-1840)はイタリア出身で、20歳前後から演奏活動をはじめ、1828年のウィーン、29年のベルリン、31年のパリそれぞれでの演奏会で、すばらしい技巧を聞かせて、当時のヨーロッパに大きな賛嘆と驚異を呼び起こしました。たとえばフラジョレット、左手のピッツィカートレガートスタッカートの対比的な使用、二重音奏法など、現在の演奏技巧につながる基本的な奏法を確立したのも、パガニーニです。作曲家としても、《24の無伴奏カプリース》のような卓越した作品を書いています。しかし、彼には人間的に少し変ったところがあり、その風貌とともに、悪魔がのりうつっていると噂されることにもなりました。

そのほか、この時代には、練習曲で知られるクロイツェル(C. Kreutzer, 1766-1831)、教則本で有名なシュポーア(L. Spohr, 1784-1859)、ブラームスとの関係で知られるヨアヒム(J. Joachim, 1831-1907)などのほか、ベルギー出身のベリオ(C. A. de Beiot, 1802-70)や協奏曲作品でよく知られているヴュータン(H. Vieuxtempe, 1820-81)などの優れたヴァイオリン演奏家が出ています。

ヴァイオリンのパガニーニに対して、ピアノで名演奏家とうたわれたのはリスト(F. Liszt, 1811-86)でした。しかし、リストの場合には演奏家というより、むしろ作曲家としての存在の方が重要といえます。
そのリストを別格とすれば、この時期のピアニストには、フンメル(J. N. Hummel, 1778-1887)やクレメンティ(M. Clementi, 1752-1832)などがいます。フンメルは、ベートーヴェンと並び称されるほどの名人といわれた人。各地の宮廷楽長を務め、作曲家としても活動しました。もう1人のクレメンティは、イタリア出身で、若い時代から卓越したピアニストとして名声をあげ、1781年にウィーンでモーツァルトと競演した話は有名です。
この2人に続く世代には、クラーマー(J. B. Cramer, 1771-1858)やフィールド(J. Field, 1782-1837)がいます。前者は練習曲その他で知られ、後者はショパンへの影響という点で重要な存在です。そのほか、モシェレス(I. Moscheles, 1794-1870)や有名なチェルニー(C. Czerny, 1791-1857)も忘れられません。とくに、チェルニーはベートーヴェンの数少ない弟子の1人で、多くの練習曲を書いたことで知られ、その練習曲は現在も世界中で広く使用されています。また、フンメルの弟子で、リストの好敵手といわれたタールベルク(S. Thalberg, 1812-71)も19世紀を代表する優れたピアニストの一人です。

こうした新しいタイプの音楽家、つまり演奏家をヴィルトゥオーソとよんでいます。卓越した演奏家の出現によって、作曲家も、より難しい技巧に満ちた作品を書くようになり、この両者におけるお互いの影響が、この時代の音楽を大きく進歩させる刺激となっていったということができます。