古典主義の音楽

音楽史について学ぶ

古典主義の音楽

古典主義音楽の背景

古典派の音楽を代表するのは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという3人の作曲家です。ハイドン(F. J. Haydn, 1732-1809)は1750年代に作曲活動を始め、その生涯は19世紀の初めまで続きました。モーツァルト(W. A. Mozart, 1756-91)は、神童の誉れ高く、一桁の年齢、つまり1760年代から作品を書き始めたものの、その生涯は短く、1791年に35歳の生涯を閉じています。ベートーヴェン(L. v. Beethoven, 1770-1827)は、その2人よりやや生年が遅く、19世紀の最初の四半世紀までその生涯を伸ばしますが、彼の没年時代には、すでにロマン主義の音楽が華やかに開始されていました。
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その後の音楽界の推移

この時期の歌劇界には、ドイツ人ですが、主としてイタリアで活躍したハッセ(J. A. Hasse, 1699-1783)、反対に、イタリア人でウィーンその他で活動したヨメリ(N. Jommelli, 1714-74)、あるいはピッチーニ(N. Piccini, 1728-1800)などが出て、19世紀はじめにロッシーニその他が現れるまでの歌劇界を推進していきます。
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ハイドンとモーツァルト

1732年生れのハイドンが、エステルハージ家の楽長職についたのは、彼が29歳のときでした(当初は副楽長、5年後に楽長)。そして、58歳までの30年にもおよぶ年月にわたって楽長職を務め、その後は自由な音楽家として、名声と富に包まれながらその生涯を静かに終えました。それに対して、優れた音楽家を父として生れ、幼少から英才教育を受けたモーツァルトは、早くからヨーロッパ各地に旅行をして、神童の名を欲しいままにしました。しかし、25歳でウィーンに自立してからの10年間は、経済的にも恵まれず、人からも受け入れられず、不遇ともいうべき境涯のうちにその生を終えたのです。ハイドンの77年という長い生涯のうち、モーツァルトはハイドンの24歳から59歳までの35年間と、僅かにその生涯を重複させているに過ぎません。年齢的にもハイドンの方が24歳も年長であったにもかかわらず、モーツァルトの死後もその活動の時期を伸ばし、ある点では後輩のモーツァルトに影響されたところすら皆無とはいえません。
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ベートーヴェン

ベートーヴェンはウィーンで自由業的な芸術家として生活しました。それは彼自身の人柄や、生まれつきそうした生活の知恵を備えていたということもありますが、なによりも、そういうことの可能な時代になっていたためだといえるでしょう。
ベートーヴェンが1792年にウィーンに出た時期には、すでにフランス革命が勃発していました。ヨーロッパを支配していた絶対主義体制が次第に崩れ、近代的な市民社会の萌芽が生まれ、世紀後半の国民主義的な傾向へと少しずつ動き始めていた時代です。この時期になると、音楽も一部貴族階級の独占的な芸術ではなくなり、広く市民社会層にも迎えられるようになっていました。ベートーヴェンの出演した音楽会に出席した人々の多くが、そういう人たちであり、ベートーヴェン自身も、昔のような宮廷楽長的な肩書きは持たず、1人の音楽家として出演したに過ぎなかったのです。ベートーヴェンの音楽を考察するとき、まず第1にそれを考えておくことが必要でしょう。
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